ボッティチェッリのマリアに夢中!フィレンツェの顔ウフィツィ美術館を訪ねて

ボッティチェッリのマリア イタリアルネサンスと知の革命

フィレンツェの顔ウフィツィ美術館を訪ねて

2022年12月上旬。私はフィレンツェを訪れました。そしてほとんどの観光客が訪れる王道中の王道、ウフィツィを堪能することにしました。

ですが、私の目的は単に美術館鑑賞をするだけではありません。「上田隆弘『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』~文豪の運命を変えた妻との一世一代の旅の軌跡を辿る旅」の記事でお話ししましたように、私はドストエフスキーゆかりの地を求めてこのフィレンツェへとやって来ました。そしてもちろん、この美術館にもドストエフスキーゆかりの作品がいくつも展示されています。

ただ、この美術館を訪れて思わぬ出会いをすることになりました。それがボッティチェッリのマリアだったのです。ここに来るまで全く想像もしていなかった出会いがここにあったのです。今回の記事ではそのことについてお話ししていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

フィレンツェ中心部はそれこそどこを歩いても驚愕してしまうほどの美しさ。何かスケールが違います。フィレンツェの初めての街歩きはもはや鳥肌が立ちっぱなしでした。これほど鳥肌が持続したのはこれまでほとんど記憶がありません。ただただ、「うわぁ・・・」とため息が漏れっぱなしでした。

最初にここを訪れた時にはこの建物が美術館なのかと驚いたものです。看板が無ければ通り過ぎて行ってしまったかもしれません。ではいよいよウフィツィ美術館に入っていくことにしましょう。

入場して階段を上ってやって来ました。するといきなりはっとするような光景を目の当たりにしました。

この廊下自体がまさしく絵画のようです。

ちなみに私は朝一番の時間帯を予約していたのでこれほど人がいないウフィツィ美術館を楽しむことができました。ここから30分もすれば人だかりでものすごいことになるので予約する際は朝一番を強くおすすめします。

この美術館に入ってすぐのエリアは中世の作品が主に展示されています。

ピエロ・デ・フランチェスカ『ウルビーノ公夫妻像<対画肖像作品>』(1472-74年ころ)

そこから初期ルネサンスを代表するピエロ・デ・フランチェスカの作品が展示された部屋へと繋がっていきます。

この美術館のありがたいのは、順路通り進めば中世絵画から初期ルネサンス、盛期ルネサンスへの流れを見ていくことができるという点です。年代が下るにつれてどんどん画風が変化していくことが一目でわかります。この展示スタイルには感心してしまいました。

ヴィーナスの誕生』(1485年頃)

そしていよいよボッティチェッリの登場だ。ルネサンスといえばこの人でしょう!

誰もが知るこれらの作品がこのウフィツィ美術館には展示されています。

ですが、私はこれらボッティチェッリの代表作中の代表作ではなく、同じ部屋に展示されていた次の絵に心を奪われてしまいました。

Madonna enthroned with child, four angels, and saints

特に、ここに描かれたマリアです。私は彼女から目を離せなくなってしまいました・・・!

ボッティチェッリの絵は何かが違います。実はイタリアに来る前にもフランクフルトのシュテーデル美術館で私はボッティチェッリの絵を観ています。

その時も薄々感じていたのだが、ウフィツィのあの絵を観てはっきりとわかりました。そう、言うならば顔力がんりきとでも言うべきものをボッティチェッリからは感じるのです。

シンプルに言うならば、顔が強いのです。他の表情を想像できない程確固たるものを彼の絵から感じます。

私にはこれ以上のことはわかりません。ですが、私はこのマリアに強烈に惹きつけられてしまいました。魅了と言っていいです。「よし、これで最後だ」としっかり目に焼き付けてこの部屋を後にしても、結局また戻って来てこの絵に見惚れてしまう。その繰り返し。私は二日連続でウフィツィを訪ねたのですがこのやりとりを10回近く繰り返してしまいました。どれだけこの絵が好きなのだと自分でも苦笑いするしかありませんでした。

そしてこちらがドストエフスキー夫妻もよく観に来ていたクレオメネスの作品「メディチのヴィーナス像」が展示されている部屋です。中に入ることはできないのでこうして部屋の外から眺めることになります。

これはまたなんと洗練された配置・・・フィレンツェの美的センスよ!

現在ルーブル美術館に所蔵されている『ミロのヴィーナス』が出土するまでは、ヴィーナスと言えばこちらの方が有名だったそう。そして女性美の極致としてこの像が評価されていたとのこと。ふうむ・・・ですが、やはり私の個人的な彫刻の美のベストはやはり『サモトラケのニケ』でしょう。

まあ、当時の人たちの感覚と現代日本に生きる私とでは美的センスの感覚も違うのは当たり前ですし、さらに言えばひとりひとり好みだって違います。これはあくまで「私の好み」。どっちが上か議論は不毛の極み。ただ、ドストエフスキーもこのヴィーナスを観てどう思っていたかというのは気になるところではあります。

そしてドストエフスキーが好んでいたというラファエロの『荒野の洗礼者ヨハネ』はミケランジェロの絵と、ラファエロの『ヒワの聖母』の間にありました。

正直、私はこの絵を初めて観た時、「何でドストエフスキーは他の絵ではなくこの絵を好きになったのだろう」と思いました。隣にはラファエロの有名な『ヒワの聖母』もあるのです。それにも関わらずドストエフスキーはこの絵にたいそう好みました。う~ん、なぜだろう・・・

そうしてじっくりと観ている内にふと気付きました。いつしか自分もこの絵から目が離せなくなっていることに・・・

ぱっと見ただけではその魅力が伝わらないものもあります。ゆっくりとじ~っと見て初めて何となく伝わり始めるタイプのものだってあります。おそらくこの絵は後者でしょう。

じっくりと全体を観ているとふと不思議に思うことがありました。

この絵、光源は左上の十字架のように見えるのですが、どうも体の後方にあるように見えます。ですが、構図的には十字架からヨハネのラインが一直線に走っていて非常に気持ちがよい。観ても観てもこの光源問題はわかりません。私の目の錯覚でしょうか。考え過ぎでしょうか。シンプルに十字架はヨハネより前にあるのでしょうか。ただ、そんなことを考えながらじっくり観ていると、だんだんドストエフスキーがこの絵に惹かれた理由がわかってきたような気がしました。

この絵をじっと見ていると、闇からヨハネが浮かび上がってくるように見えてくるのです。そしてドストエフスキーが愛してやまない「斜光」です。ドストエフスキーの作品では「斜光」が重大な場面で何度も出てきます。彼にとって暗闇に差し込んでくる光線は救済の光でもあります。彼にとってこの闇と光のコントラストは重大な意味を持つのでしょう。ドストエフスキーが「光と闇の巨匠」レンブラントを好んでいたというのもこの話に重なってきます。そう考えてみるとこの『荒野の洗礼者ヨハネ』もレンブラント的に見えてきます。

『キリストの洗礼』(1475年頃、アンドレア・デル・ヴェロッキオ)

他にもウフィツィ美術館には名画中の名画がずらりと展示されていて、とてもじゃありませんがここでは紹介しきれません。

ただ最後に一つだけ言うとするなら、左上の『キリストの洗礼』はレオナルド・ダ・ヴィンチがアシスタントを務め、左下の天使と背景を描いたとされています。

たしかに実際に絵を観てみるとその技術の差には驚くしかありません。ダ・ヴィンチのあまりの見事さに、この絵を描いた師匠はそれ以降筆を折ったという伝説も生まれたほどです。この伝説は後世の創作であるようですが、たしかにこんなものを見せつけられたらそうなってもおかしくないなと気の毒になってしまいました。ダ・ヴィンチ恐るべしであります。

正直、私はフィレンツェに来るまでウフィツィ美術館にそこまで期待はしていませんでした。ドストエフスキーが愛したピッティ宮のラファエロ作『小椅子の聖母』にばかり目が行き、こちらにまで頭が回っていなかったのです。

しかしどうでしょう。このウフィツィ美術館は私の想像より30倍も素晴らしい所でした。やはりこの美術館が世界でトップの位置にいるのも納得です。ぜひまた訪れたい場所です。そしてまたあのマリアにぜひとも会いたいものだ・・・!

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