反抗息子エンゲルスの家庭問題~地元ドイツ・バルメンで居場所を失うエンゲルス「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(29)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

反抗息子エンゲルスの家庭問題~地元ドイツ・バルメンでの立場を失うエンゲルス「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(29)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

反抗息子エンゲルスの家庭問題

『聖家族』が発刊される以前から、家庭内の状況は和やかとは言いがたいものだった。エンゲルスは二年間、実家を離れており、家業の「悪徳商売」に戻ることに同意していたとはいえ、父親との関係は緊迫したものになった。どちらも無神論の共産主義と福音派プロテスタントの信仰は相容れないことに気づいた。

「僕はこの忌まわしい神の子羊的な表情に遭遇せずに、食べることも、飲むことも、寝ることも、屁をひることもできない」と、エンゲルスはマルクスにこぼした。

「今日は一族全員が〔プロテスタントの聖体拝領に当たる〕聖餐式にぞろぞろとでかけ……今朝は憂鬱な顔がいつにもましてきわだっていた。さらに悪いことに、昨夜はエルバーフェルトでモーゼス・へスと過ごし、朝の二時まで共産主義について長々と語り合っていた。今日はもちろん、僕の朝帰りを待ちくたびれた家族の顔は、僕が留置所に入れられていたとでも言わんばかりだった」。

妹のマリーが別の共産主義者エミール・ブランクと婚約したことも、事態をなんら改善するのに役立ちはしなかった。「もちろん、家のなかはいま地獄のような混乱状態にある」。善良な敬虔主義者である父フリードリヒと母エリーゼは、おそらくどこですべてが間違ったのか自問していたことだろう。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P161-162

このシリーズでも以前お話ししましたように、エンゲルスは富裕な綿工場経営者の長男として生まれ、温かな家庭で何一つ不自由のない生活を送っていました。

しかし、いつしかエンゲルスはそうした生活に反抗し始め、今や共産主義思想の革命家となってイギリス・マンチェスターでの商人修行から帰ってきました。

離れていれば何とかだましだましやりとりできたものの、いざ一緒に暮らして顔を合わせていると、エンゲルスとその家族との相違はもはや無視できないものになってきました。

そしてエンゲルスはこの地元バルメンで、ついに一線を越えた行動を始めるのです。

共産主義思想の講演会を開き、地元市民から大顰蹙を買うエンゲルス

エンゲルスの政治戦略は、高まる世論の関心を、彼が昔の恩師であるモーゼス・へスとともに主催する一連の公開講座と討論会を通して、あからさまに共産主義の方向へ向かわせることだった。一八四五年二月の最初の講座は、エルバーフェルトの有名な宿泊施設ツヴァイブルッカーホフで、町のリべラルなエリートたちのために開催された。聴衆はニ〇〇人ほどにのぼり、地元の製造業や商社の重役から裁判所職員、地方検事までもが顔を揃えたが、エンゲルスはその前で共産主義の原理について簡単に説明し、聴衆からの質問を受けつけた。(中略)

説教の口調はやわらかかったものの、エンゲルスは当局のありがたくない関心を集めるようになった。エルバーフェルトの市長はホテルの支配人たちに、今後も集会の場を提供すれば営業許可を取り消すと脅した。

市長はすぐさまラインラント州首相フライへール・フォン・シュビーゲル=ボーリングハウゼンに手紙を送り、反体制的な討論会について説明し、へスとエンゲルスを組織者として名指しした。

治安当局もやはり彼に目をつけ、「バルメンのフリードリヒ・エンゲルスはたいへん信頼できる人物であるが、彼には文筆家として渡り歩く過激な共産主義者の息子がいる。息子の名前はフリードリヒである可能性がある」と、警察から内務省への報告に記されている。

そのような情報にもとづいて、プロイセンの内務大臣は、エルバーフェルト-バルメンで今後はいかなる共産主義の集会も禁止する法令を発布した。不運なエンゲルス父が不肖の息子のせいで辛酸をなめたことは、まもなくバルメンの上流社会の噂の的となった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P163-166

地元バルメンでひとり大人しくしていれば大事にはならなかったでしょうが、エンゲルスはそのような男ではありません。

彼は共産主義思想を広めるための講演会を開いたのです。

私たちが生きる現代の感覚で考えれば、講演会くらいでなぜそんなに大事になるのかと思ってしまうかもしれませんが、当時のドイツではこれは反体制活動と見なされ非常に危険なものでした。

それを堂々と行ってしまうエンゲルス。

当然当局からも目をつけられ、エンゲルスは政治犯・要注意人物となってしまいます。

こうなってしまうとバルメンの名士として生きてきたエンゲルスの父ももう我慢なりません。

父からお小遣いを減らされるエンゲルス

エンゲルスの父親は確かに息子の政治活動に腹を立てていた。エンゲルスが性徴りもなくマルクスにその場面を描写したところによれば、「共産主義者として僕が公衆の面前に立ったために、父のなかで途方もない割合でブルジョワ的狂信が醸成された」。

結局、家業は継ぎたくないとエンゲルスが告げたことへの対抗措置として、この家父長はエンゲルスの小遣いを減らし、革命家志望の息子には「犬の暮らしそのものを送らせ」家のなかをうろつかせることにした。「彼はいまでは家族とひどく不和になっている」と、エンゲルスのブラッドフォードの友人ゲオルグ・ヴェールトは報告した。

「彼は無神論で不信心だと見なされており、金持ちの親父さんは彼の生活費のためにもう一ぺニヒも与えるつもりはない」。

そこで、エンゲルスは一八四四年の秋のあいだ書斎にこもって『イギリスにおける労働者階級の状態』を執筆することにした。だが、それすら疑念をかきたてた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P166-167

父の逆鱗に触れたエンゲルスはお小遣いを減らされる憂き目に遭ってしまいました。

ですが、やはり彼の父は甘いです。『「犬の暮らしそのものを送らせ」家のなかをうろつかせることにした』とは言いつつも、見方を変えればこれはエンゲルスを家の中で大人しくさせて、警察がうろつく危険な外の世界から匿うのと一緒です。

確かに外に出て大っぴらな政治活動はできないとしても、エンゲルスはやはり御曹司として大切に育てられていたことがわかります。

これだけの反体制活動をしておいてお小遣いが減らされるだけで済んだのは、やはりエンゲルスの恵まれた環境があってこそです。

そしてエンゲルスはこの期間を利用して、あのマルクスにも絶大な影響を与えた『イギリスにおける労働者階級の状態』を執筆したのでした。この作品については以下の記事を参照ください。

マルクスを追ってベルギーに向かうエンゲルス

このころには、マルクスは政治上好ましくない人物としてパリから追放され、ブリュッセルでどうにか亡命生活を送っていた。彼に傾倒していたエンゲルスは、この新しい友人に本の前払い金を渡す約束をした。

警察が自分を逮捕する計画であることを噂に聞き、バルメンのブルジョワ階級の面前でこれ以上、両親の体面を汚すまいとして、エンゲルスはマルクスのもとに合流する決意をした。それは重大な一歩だった。一八四五年春にベルギーの国境を越えたころには、プロイセンへの帰国は、たとえマリーとエミールの結婚式に出席するためであっても、容易に許されないことは明らかになっていた。
※適宜改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P167

エンゲルスが地元バルメンの家に閉じこもっていた頃、マルクスはすでにパリにはいられなくなり、ブリュッセルに亡命していました。

そしてエンゲルスもいよいよ警察にも目をつけられ、危険な様相を呈してきました。そこで親の対面をこれ以上汚さないためにも、彼は家を離れることにしました。

行先は当然、盟友マルクスが滞在するブリュッセル。

ここから二人の波乱万丈の放浪生活が始まります。

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