臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』~コーヒーが変えた西洋近代社会!コーヒーから見た世界史を学べるおすすめ本!

コーヒーが廻り世界史が廻る スリランカ、ネパール、東南アジアの仏教

臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』概要と感想~コーヒーが変えた西洋近代社会!コーヒーから見た世界史を学べるおすすめ本!

今回ご紹介するのは1992年に中央公論新社より発行された臼井隆一郎著『コーヒーが廻り世界史が廻る』です。

早速この本について見ていきましょう。

東アフリカ原産の豆を原料とし、イスラームの宗教的観念を背景に誕生したコーヒーは、近東にコーヒーの家を作り出す。ロンドンに渡りコーヒー・ハウスとなって近代市民社会の諸制度を準備し、パリではフランス革命に立ち合あい、「自由・平等・博愛」を謳い上げる。その一方、植民地での搾取と人種差別にかかわり、のちにドイツで市民社会の鬼っ子ファシズムを生むに至る。コーヒーという商品の歴史を、現代文明のひとつの寓話として叙述する。

Amazon商品紹介ページより

本書『コーヒーが廻り世界史が廻る』は副題に「近代市民社会の黒い血液」とありますように、コーヒーが近代社会にいかに影響を与えたのかということを見ていける作品です。

私がこの作品を手に取ったのは以前当ブログでも紹介した鈴木睦子著『スリランカ 紅茶のふる里』のという本がきっかけでした。

私は今、スリランカについて学んでいます。学び始めた当初はインドとスリランカの仏教の違いや関連について調べていたのですが、いつしかスリランカの歴史、政治経済、文化全体にまで興味が広がり、紅茶の本へとたどり着いたのでした。

そしてこの本を読んで驚いたのは紅茶で有名なスリランカが実はかつてコーヒーの産地として有名だったということでした。

私はスリランカのコーヒーに衝撃を受け、これを機にコーヒーの歴史を一度じっくり見てみようと思いこの本を手に取ったのでありました。

そしてコーヒーが大好きな私にとってこの本はまさに大当たりの素晴らしい一冊でした。

コーヒー・ハウス(1664年)Wikipediaより

本書はコーヒーの起源から始まり、そこからいかにしてコーヒーがヨーロッパ社会に浸透していったかを見ていきます。

コーヒーが飲まれ始めたのは15世紀後半のイスラーム世界においてでした。しかも単にイスラーム社会で飲まれたというだけでなく、スーフィーというイスラム教神秘主義者の間で特に好まれていたというのは非常に興味深かったです。

そしてロンドンにコーヒー・ハウスが作られたのが1652年のこと。ここからイギリスでのコーヒーの歴史が一気に始まっていきます。

コーヒー・ハウスは単にコーヒーを飲む場所ではなく、そこが集会所となり政治経済、学問芸術、あらゆることが自由闊達に討論される場所として市民達に用いられるようになっていきます。

本書の中で特に印象に残った箇所をここで紹介します。コーヒーハウスがなぜヨーロッパで人気になったのかがよくわかる箇所です。少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

コーヒー・ハウスは新しきものの生まれ出るかいばおけであった。近代市民社会の多くの制度はそこで準備された。しかしコーヒー・ハウスはまた、そこに出入りする人間を近代市民社会向けに改造する場所でもあった。コーヒーは人を醒まし、理性的にし、人をお喋りにする液体でもあるとされた。無論、本当の因果関係は反対であり、人々を引きつけたのはコーヒーと呼ばれる黒い苦い飲み物それ自体というよりは、新種の「公共の場」の魅力であり、真の商品は情報であった。ともかく午後六時ともなれば、コーヒー・ハウスの部屋は人で溢れ返る。人に会い、お喋りし、歓談し、仕事上の用件を済まし、そしてなによりもまず政治上のニュースを聞き、重要な出来事について話し合い、検討するためにコーヒー・ハウスに寄り集まってくる。(中略)

コーヒー・ハウスの雰囲気の中心にあるのは、「判断を異にする人々」の自由な言論を可能にするデモクラティックな精神である。コーヒー・ハウスでどこが上座か気にする人間はいない。壁にはコーヒー・ハウス内で遵守されるべき「規則と礼法」が貼られ、歓迎の旨から始まって、ここではたとえオエライさんが来ても、席を譲る必要がないことなどが決めてあった。

しかし、コーヒー・ハウスが自由気儘な空間であるとはいっても、一つ重要な規制があり、それが前近代的庶民からある能力を搾り取るように引きだし、近代市民を形作るのに大きな力を発揮した。会話能カである。コーヒー・ハウスでは様々な人々が集まって話をするとはいっても十七世紀のロンドン市民がすべて、いかに会話すべきかを心得ていたわけではない。家で夫婦喧嘩でもやらかす具合に喋り散らされた「公共の議論」など犬も喰わない。「規則と礼法」は、コーヒー・ハウスの中で避けるべき不謹慎な行ないを数え上げている。トランプやさいころ遊びを禁じた他に、罵り声や叫び声を「悪魔の仕業」として戒めている。近代市民社会は、公共世論を担うにたる会話能力を備えていない人間を望まない。黙っているとバカにされる社会である。

「コンヴァセイション」という、市民社会で必須の技術を開発するにあたって、十七世紀のコーヒー・ハウスは歴史的な役割を果たした。従来、ひとが会話する場所として思い浮かべられるものは、舞踏会場、劇場、公園、マチネー、夜会など、要するに上流社会の社交場である。これら古典的な場所に対して、コーヒー・ハウスの会話の特殊性は身分制の枠が取り払われている点にあった。身分の高い人々も、はるかに低い社会階層の人々と親しく話をするのに抵抗を持たなかった。まさに顧客の層が多様であることがコーヒー・ハウスの魅力であり、そのことによってのみ、社会情勢や政治動向、商売の成り行きから文芸に至るまで、変化に富んだ、予想もしない顧末を備えた会話や討議が可能となったのである。宮廷社会的なまだるっこしいバカ丁寧さは無用であった。ここでものをいうのは、情報の内容であり、会話のスピードであり、コミュニケーションであった。コーヒー・ハウスは、忙しいビジネス社会にふさわしい会話技術を教える話し方教室でもあったのである。

会話は思考に跳ね返り、新たな時代の精神を目覚めさせた。時代の精神に表現を与える作家たちがコーヒー・ハウスに通ったのはいうまでもない。何軒かのコーヒー・ハウスは、著名な詩人たちの出入りする場所として有名になった。ドライデンが君臨し、ポープやスイフトの出入りしていたウィルズ、アディソンやスティールの道徳的週刊新聞『タトラー』や『スぺクテイター』の発行によって名を知られることになるメトンズやセイント・ジェイムズなどである。十七世紀から十八世紀にかけて、コーヒー・ハウスは文学者の生活の中心を占めると同時に、近代市民社会の住民を、判断し批判する公衆に押し上げる一翼である「読者層」を創りだす拠点でもあった。この「読者層」とはなによりもまず、「自分の家でよりも多くの時間をコーヒー・ハウスで過ごす立派な市民」のことである。彼らは簡潔な文章で意見を表明する技術を学ぶ。というのも、「耳は目のように長い文章を追うことができない」からである。コーヒー・ハウスは彼らに異なった意見を交換することから、彼らの公的見解を形成する技術を習得させたのである。自分の意見をもっぱら他人の意見を拝聴して作り上げた人間が、おのれの判断力をもっぱら読書を通して養った人間よりも優れているとは、本来とても言えないはずである。しかし前者が柔軟性に富み、敏捷性に優れ、社交性に溢れ、一言で言えば、時代にフィットするタイプであることは疑いない。

要するに近代市民社会は、血の廻りの早い人間を徳とする。血行を促進するコーヒーはこの時世にうってつけの飲み物であった。大英帝国の商船は世界の海洋を駆け廻り、商品循環も貨幣循環も商都ロンドンを中心に地球的規模で始まり、議員も適宜ローテーションを求められ、ビジネスマンはコーヒー・ハウスを廻り歩き、コーヒー・ハウスの中ではウェイターがテーブルの間を廻り歩き、そのウェイターの体内には血液が忙しく駆け廻り、すべては廻ることが良しとされる時代である。しかし時代だって廻るのである。そしてどういうわけか、今をときめくそのコーヒーとコーヒー・ハウスが、あっさりと時代の廻りから振り落とされてしまうのである。

中央公論新社より発行された臼井隆一郎著『コーヒーが廻り世界史が廻る』P73-77

イギリスでコーヒーがいかに社会に大きな影響を与えていたかがこの箇所から伝わってきますよね。

ですが一番最後の「そしてどういうわけか、今をときめくそのコーヒーとコーヒー・ハウスが、あっさりと時代の廻りから振り落とされてしまうのである。」という意味深な言葉に注目です。

まさにどういうわけか、イギリス社会に絶大な影響を与えたコーヒーの人気がここから衰えていき、やがてあの紅茶にとって代わられることになっていきます。その顛末も本書では語られます。

そしてイギリスだけでなくフランスやドイツなどにおけるコーヒー事情も詳しく語られますのでとても刺激的です。フランス革命やナポレオンにもコーヒーは大きく絡んできます。

「コーヒーを通して見る世界史」と言うべき素晴らしい作品です。これは面白い!コーヒー好きの私にとって非常に刺激的な一冊でした。

新書でコンパクトにコーヒーの歴史を知れるおすすめの作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』~コーヒーが変えた西洋近代社会!コーヒーから見た世界史を学べるおすすめ本!」でした。

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