アンドレ・シャステル『ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇』~神聖ローマ帝国軍によりローマが破壊略奪された衝撃の事件とは

ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック

アンドレ・シャステル『ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇』概要と感想~神聖ローマ帝国軍によりローマが破壊略奪された衝撃の事件とは

今回ご紹介するのは2006年に筑摩書房より発行されたアンドレ・シャステル著、越川倫明、岩井瑞枝、中西麻澄、近藤真彫、小林亜起子訳の『ローマ劫掠ごうりゃく 1527年、聖都の悲劇』です。

早速この本について見ていきましょう。

1527年5月6日、ローマは陥落せり。この日朝靄の中、教皇の座・カトリックの聖都にして世界の首都たるローマは、ルター派のドイツ人傭兵隊とスペイン兵を中心とするカール五世の皇帝軍の急襲を受け、まさしく一朝にして崩れ落ちる。それはしかし、酸鼻をきわめる蹂躙と掠奪、神聖冒涜と文物破壊、文人と芸術家ディアスポラの一年の始まりにすぎなかった。―イタリア戦争(1494‐1559)の歴史に名高い“ローマ劫掠”をルネサンス学の巨匠が描く美術史/精神史の傑作!図版135点。

Amazon商品紹介ページより

1527年のサッコ・ディ・ローマ(ローマ劫掠)事件。

私がこの事件を知ったのは以前当ブログでも紹介した『教皇たちのローマ』のおかげです。

この事件は1527年にローマが攻撃され、虐殺、略奪の限りが尽くされた恐るべき出来事でした。

ローマ劫掠を描いた銅板画 Wikipediaより

しかもそれを行ったのが何を隠そうカール5世の神聖ローマ帝国軍でした。

カール五世(1500-1558)Wikipediaより

カール五世はスペインと神聖ローマ帝国という二つの国の皇帝です。つまり彼は熱烈たるカトリック国家のトップにいた人物になります。そのカトリック王国の盟主が聖地バチカンを徹底的に破壊し略奪したというのですから私はその事実に頭がくらくらする思いでした。

と言いますのも、私はこれまで、スペインはアメリカ大陸の発見後その黄金を用いてカトリックの繁栄と宗教改革への対抗のために莫大な財と労力を用いていたと理解してきました。

たしかにそれは事実なのですが、そんなスペイン・神聖ローマ帝国があろうことかカトリックの総本山のバチカンを略奪し破壊するなんて想像できるでしょうか。

なぜこのようなことが起きてしまったのかは長くなってしまうのでお話しできませんが、私にとってはこの出来事はあまりに衝撃的なものとなったのでした。これまでもローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)という出来事自体はキリスト教史を学ぶ上でおそらく目にしていたことはあったはずです。ですがこの出来事の重大さ、深刻さには全く気付いていませんでした。この本を読んで初めてその意味がわかりました。そのような意味でも『教皇たちのローマ』はこれまでのキリスト教観を覆してくれた作品になりました。

そしてその『教皇たちのローマ』の中で参考文献として挙げられていたのが今回ご紹介するアンドレ・シャステル『ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇』になります。

『教皇たちのローマ』ではローマ劫掠やアンドレ・シャステルについて次のように述べられていました。

本文で記したように、プロテスタントやカトリックやハプスブルク家にとってもサッコ・ディ・ローマは、いわば歴史の汚点であり、あまり触れてほしくないエピソードである。

だからヨーロッパでは、一般にこの事件について詳しく論じられない傾向がある。日本では、ニ〇〇六年に主に美術について論じたシャステルの古典的研究書が翻訳されたが、事件の概要はほとんど知られていないといっていい。そして、この事件が意味するところ、また事件の影響は論じられたことがないように思われる。

平凡社、石鍋真澄『教皇たちのローマ ルネサンスとバロックの美術と社会』P336

たしかにサッコ・ディ・ローマという事件は私もこれまでほとんど聞いたこともありませんでした。しかも本で読んだことがあっても「こんなことがありましたよ」程度のさらっとした記述しかないのです。ですのでその重大さに気づくことはありませんでした。

なぜこの事件があまり語られないのかということの背景には上のような事情があったのですね。

ですが今回紹介している『ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇』はそんなサッコ・ディ・ローマを正面から論じた貴重な作品となっています。

訳者あとがきではこの本について次のように述べられています。

「ローマ劫掠」というヨーロッパ史上の事件は、日本の読者一般にそうなじみのある出来事ではないかもしれない。

一四九四年にフランス王シャルル八世がナポリの領有権を主張してイタリアに軍を進めて以来、イタリアはフランス・スペイン領大国が闘争を繰り返す舞台となり、半島に群立する小国家を翻弄した。キリスト教世界の精神的首長たるローマ教皇庁―当時はイタリア中部に広い領土を有するれっきとした「国家」でもあった—も例外ではなかった。

一五二三年に教皇に選出されたメディチ家出身のクレメンス七世は、両勢力の政治的圧力に対して外交的操作によって均衡を保つことに失敗し、神聖ローマ皇帝とスぺイン王を兼ねたカール五世の軍隊によって「世界の首都」たるローマが蹂躙されるという、前代未聞の破局を招いてしまう。

ミケランジェロやラファエッロがヴァティカン宮殿に現在も残る華麗な壁画を描き始めてから二十年もたたない頃だ。

本書は、このローマ劫掠という出来事を、二十世紀を代表するフランスの美術史家アンドレ・シャステルが、狭義の美術史的議論に限定されない広い文化史的視点から論じた一書である。
※一部改行しました

筑摩書房、アンドレ・シャステル著、越川倫明、岩井瑞枝、中西麻澄、近藤真彫、小林亜起子訳『ローマ劫掠ごうりゃく 1527年、聖都の悲劇』P456

この作品ではサッコ・ディ・ローマという恐るべき事件の経緯をかなり詳しく見ていくことができます。

サッコ・ディ・ローマ事件は私にとってあまりにショッキングな出来事でした。

その目を背けたくなるような悲劇を学ぶのにこの本は最適です。この本の帯では次のように述べられています。

ニューヨークの9・11と同様に一世代の集団心理を一変させてしまった出来事(ジュディス・フック『ローマ劫掠』第2版序文)

大規模な集団的悲劇が生じるときには、その前触れに、最中に、そして事後にも、あたかも大火の際に息を詰まらせる熱波が渦巻くように、抑制し難い想像力の疾風が吹き荒れる。残虐と恐怖が支配する動乱のなかでは、想像世界のもろもろの様態が、その本来の力と強力な波及性を存分に発揮しつつ姿を現すのである。ローマ劫掠は、この事実を顕在化したのであり、我々はその論証を試みようとしている。……疑いもなくローマは一度精神的に壊滅した。それでは、芸術はこの崩壊を映し出しているだろうか(本書序章より)

筑摩書房、アンドレ・シャステル著、越川倫明、岩井瑞枝、中西麻澄、近藤真彫、小林亜起子訳『ローマ劫掠ごうりゃく 1527年、聖都の悲劇』帯より

この本は石鍋真澄著『教皇たちのローマ』とセットでおすすめしたい作品です。

荘厳で圧倒的な美しさを誇るバチカンの信じられない歴史を目の当たりにすることになります。

私はこの本を読んでからのこの一か月弱、いまだにそのショック状態から抜け出せておりません。それほどの衝撃です。宗教だけでなく、人類の歴史としてこの出来事は非常に大きな意味を持っていると私は感じています。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「アンドレ・シャステル『ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇』~神聖ローマ帝国軍によりローマが破壊略奪された衝撃の事件とは」でした。

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