宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』~ダ・ヴィンチからフェルメールへと続く光と闇の探究とは

光の画家フェルメールと科学革命

宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』概要と感想~ダ・ヴィンチからフェルメールへと続く光と闇の探究とは

今回ご紹介するのは2011年に小学館より発行された宮下規久朗著『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』です。

早速この本について見ていきましょう。

名画に見る「闇」がつくった西洋絵画の歴史

17世紀西洋絵画の巨匠ラ・トゥールやレンブラント、フェルメールといった、日本で人気の高い画家に共通している特徴は、精神性の高い、静謐で幽玄な光と闇の描写にあります。それらの画家の絵画に描かれた深く豊かな闇の表現は、『陰影礼賛』を素直に理解し受け入れる感性をもった日本人にとっては、親しみやすく感じられるものです。しかし、「闇」を描くことは、西洋絵画の歴史の中では、極めて革新的な出来事でした。なぜなら、中世以降、西洋絵画は神を讃えることを目的に描かれたため、世界を照らし出す光に包まれているべきものだったからです。

本書では、イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチによって確立された革新的な「闇」の表現が、バロック絵画の先駆者カラヴァッジョによる光と闇がドラマティックに交錯する絵画を経て、いかにしてラ・トゥール、レンブラント、フェルメールらの静謐で精神的な絵画を生み出していったのか、西洋絵画における「闇」の歴史をたどります。わかりやすい文章と数多くの美麗で魅力的な図版によって、初心者も経験者もともに、これまでになかった斬新な視点から西洋絵画の歴史が楽しく読める書物となっています。

Amazon商品紹介ページより

この作品は書名にありますように、光の画家フェルメールの美しい絵画がいかにして生まれてきたのかということを「闇」を切り口に考えていく作品になります。

この本のもう一人の主要人物ラ・トゥール(1593-1652)はフランスの画家で、「夜の画家」と呼ばれる巨匠です。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール画
『聖ヨセフ』(1642年または1645年)Wikipediaより

窓から差し込む美しい光を描いたフェルメール。それに対し闇を照らすろうそくの火を描いたラ・トゥール。

この2人の対比はそれだけでも興味深いですよね。

そしてさらに興味深いのはこうした「光と闇」の探究はあのレオナルド・ダ・ヴィンチにも繋がっていくという点でした。

上の本紹介の中でも説かれていましたが、かつて西洋絵画において「闇」が描かれることはありませんでした。そんな中初めて大きな闇が描かれた作品として、この本ではイタリアの画家タッデオ・ガッディ(1300頃-1366)の『羊飼いへの天使の知らせ』が紹介されていました。

『羊飼いへの天使の知らせ』(1328年 – 1330年)Wikipediaより

そしてそこからおよそ150年の時を経てあの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が現れます。

『岩窟の聖母』1483年 – 1486年 Wikipediaより

ルーブル美術館に所蔵されているこの有名な絵画ですが、実はこの作品こそ絵画の歴史に巨大な影響を与えていたのです。著者は次のように述べています。

ルネサンスになって絵画には光の作り出す陰影が付されるのが普通となったが、夜景のような大きな闇はめったに描かれず、画面は明るく、すべてのモティーフは明晰に見えていた。また、濃い影を作り出すような強い照明も描かれなかった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二~一五一九)がイタリア北部ミラノで描いた《岩窟の聖母》(P29)においては、聖母子を取り巻く空間は洞窟の暗闇に支配されている。レオナルドは、強い明暗対比を避け、聖母や幼児キリストは背景からくっきりと浮かび上がらず、周囲の暗闇に溶け込んでいくようである。この絵は、洞窟がマリアの子宮を表していると考えられているが、これを機にレオナルドは全体を薄暗くして人物を配置するという手法を試したのである。遠方に見えるかすんだ風景は靄がかかったようであり光源となっていない。光はどこから差しているのかわからないが、人物たちは影の中から浮かび上がってくる。

輪郭線をはっきりとさせず、背景に溶け込ませる「スフマート」とよばれるぼかし技法はレオナルドが完成させたものだが、周囲を暗くするほどその効果が際立つのである。有名な《モナ・リザ》(P27)でも、顔や手の部分にスフマートが見られる。周囲は暗闇ではないが、やはり靄がかかったような薄明の風景が広がっている。

レオナルドはその膨大な手記の中で、光の反射や拡散のしくみについて研究しており、光に対して科学的に考察していたことがわかる。(中略)

一方でレオナルドは、背景を漆黒の闇に塗りつぶすこともあった。最晩年の《洗礼者ヨハネ》(P31)がそれである。この作品では、暗闇からヨハネの上腕から顔が浮かび上がるが、胸から下は薄暗い闇に覆われていて判然としない。闇に覆われることで、天を指差すヨハネのポーズが明瞭になり、その微笑が強調される。ヨハネは天を示すことによって、やがて神の子が来ることを示し、救済がもたらされることを告げて微笑んでいるのだ。キリスト到来以前の世の中は夜の闇に覆われているが、やがてそれが明けるであろうことを、この闇が暗示しているとみることもできよう。

彼の影響は16世紀初頭からミラノ周辺に広まり、人物の背景に神秘的な暗闇を描くことが流行した。また、レオナルドは、一五〇〇年にイタリア北部のヴェネツィアに滞在し、その地でジョルジョーネ(P37)らに影響を与えている。

小学館、宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』P27-32

ダ・ヴィンチが確立した「闇と光」の描写技法。

そしてそこからさらに時代を経て登場してきたのがイタリアの画家カラヴァッジョ(1571-1610)になります。

聖マタイの召命』(1599年 – 1600年)Wikipediaより

暗闇の中へ強烈な光線を差し込ませることでドラマチックな構図を完成させたカラヴァッジョ。

カラヴァッジョについては以前紹介したこの記事でもお話ししましたが、西洋絵画の歴史において決定的な働きをした人物であります。

そしてそれが巡り巡ってフェルメールの光の描写に繋がっていきます。絵画の歴史も繋がっているのだなということを感じられるのがこの『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』という一冊です。これは面白い本でした。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』ダ・ヴィンチからフェルメールへと続く光と闇の探究とは」でした。

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