チェーホフ小説の極み!『六号病棟』あらすじと感想~あまりに恐ろしく、あまりに衝撃的な作品
まず皆さんにお伝えしたいことがあります。
それは「この作品はあまりに恐ろしく、あまりに衝撃的である」ということです。
この作品はチェーホフ作品中屈指、いや最もえげつないストーリーと言うことができるかもしれません。
この作品はチェーホフどころか、最近読んだ本の中でも特に強烈な印象を私に与えたのでした。これはもっともっと日本で広がってほしい作品だと私は思います。
まず皆さんにお伝えしたいことがあります。
それは「この作品はあまりに恐ろしく、あまりに衝撃的である」ということです。
この作品はチェーホフ作品中屈指、いや最もえげつないストーリーと言うことができるかもしれません。
この作品はチェーホフどころか、最近読んだ本の中でも特に強烈な印象を私に与えたのでした。これはもっともっと日本で広がってほしい作品だと私は思います。
人間の可能性を信じるオプチミズム。
「人間は真実を求めて二歩前進し、一歩後退する。苦悩や過ち、退屈が、人間を後ろに投げ返すが、真実の渇きと不屈の意志は、前へ前へと駆り立てる」という人生観がチェーホフにはあります。
地獄の島サハリン島を経て書かれた『決闘』はチェーホフの思想を知る上でも非常に重要な作品となっています。
チェーホフは作家として確固たる地位を抱いてから晩年にいたるまでトルストイと親しく交流していました。
しかし芸術家トルストイ、そして人間トルストイとしては亡くなるまで尊敬の意を持っていましたが作家、思想家としてのトルストイとは距離を置くようになっていきます。彼の中でトルストイ思想との決別があったのです。
それがいよいよ形になって現れ出てくるのが『決闘』という作品だったのです。
チェーホフはこの作品の主人公に「ロシアの余計者」の血を引くラエーフスキーという人物を置きました。
ロシア文学の伝統とも言える「余計者」たちは人生に飽き、生きることに投げやりな存在でした。しかしチェーホフはこの作品においてそんな余計者の末裔ラエーフスキーに試練を与えます。
チェーホフは人生の意味は何かを問い続けた作家です。その彼にとって「人生は意味のない虚しいものだ、どうせ自分にはどうしようもない」と投げやりになっている余計者たちの思想をどう乗り越えていくのかというテーマは非常に重要なものであったように思われます。
サハリンと言えば私たち北海道民には馴染みの場所ですが、当時のサハリンは流刑囚が送られる地獄の島として知られていました。チェーホフは頭の中で考えるだけの抽象論ではなく、実際に人間としてどう生きるかを探究した人でした。まずは身をもって人間を知ること。自分が動くこと。そうした信念がチェーホフをサハリンへと突き動かしたのでした
『魔の山』、『ヴェニスに死す』などで有名なドイツのノーベル賞作家トーマス・マンは『チェーホフ論』という論文を書いています。その中で彼は一番好きな作品として『退屈な話』を挙げています。
今回の記事ではその『チェーホフ論』を見ていきながら、彼の『退屈な話』評を見ていきたいと思います。
この作品のタイトルは『退屈な話』ですが、読んでみると退屈どころではありません。とてつもない作品です。
地位や名誉を手に入れた老教授の悲しい老境が淡々と手記の形で綴られていきます。
『魔の山』で有名なドイツの文豪トーマス・マンが「『退屈な』とみずから名乗りながら読む者を圧倒し去る物語」とこの作品を評したのはあまりに絶妙であるなと思います。まさしくその通りです。この作品は読む者を圧倒します。
そしてあのトルストイもこの作品の持つ力に驚嘆しています。ぜひおすすめしたい名著です
この作品はページ数にしてたったの10ぺージほどの短編です。しかしこの短編の中に驚くほどの思索が込められています。
真の自由とは何か。私たちは何に囚われているのかということをチェーホフはこの作品で問いかけています。
恐るべし、チェーホフ・・・
長編小説で長々と物語を語りながら根源的な深い問題について考えていくならまだわかります。しかし10ページほどの短編でこれだけ凝縮された思想問題を語ってしまうのは異常だと思いました。チェーホフには本当に驚かされます。
この小説の舞台は鉄道建設の現場という資本主義建設の最先端の場です。そこで技師のアナーニエフと学生のシテンベルクと出会った「私」が彼らの問答を通して人生を考えるという筋書きです。
この作品はショーペンハウアー思想に興味がある人には画期的な作品です。
と言いますのも、チェーホフ流のショーペンハウアー的ペシミズムとの対決というのがこの作品の主題となっているからです。
ページ数も50ページほどとコンパクトなので気軽に読めるのも嬉しいです。
『曠野』はチェーホフが実際に旅した見聞が基になって描かれました。
そして重要なことはこの作品がチェーホフという作家がいよいよロシア第一級の作家として文壇に登場するきっかけとなったという点です。
この作品までのチェーホフは「A チェーホンテ」というペンネームで作品を発表していました。「チェーホンテ」というペンネームが示すようにどこかおどけたようなユーモア作家らしい雰囲気を出していました。
ですが彼はこの作品から「A チェーホンテ」ではなく、本名の「アントン チェーホフ」の名乗ることになります。
この作品はチェーホフの作家としての目覚めを知る上で非常に重要な作品となっています。