(8)ギャングの統領として圧倒的なカリスマを見せるスターリン~ジョージア裏社会のボスとしての姿とは

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

ギャングの統領スターリンの圧倒的な力 スターリン伝を読む⑻

ヨシフ・スターリン(1878-1953)Wikipediaより

「スターリン伝を読む⑹」からはサイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』の続編にあたります『スターリン 青春と革命』を読んでいきます。こちらは続編ではありますが時系列からいうと前作の前に当たります。

では、早速始めていきましょう。

ロシアのテロリストの歴史

一八七〇年代には、反逆者は中産階級の人民主義者「ナロードニキ」だった。彼らは自由な未来が純粋な農民層とともにあることを望んだ。ナロードニキの分派がテロリスト・グループの「土地と自由」団に、そしてやがて「人民の意志」団に発展し、後者は皇帝アレクサンドル二世の暗殺が革命を成就させると信じた。

「人民の意志」団は三流哲学者ネチャーエフの思想を受け容れた。道徳を超越した彼の『革命家の教理問答書』はレーニンとスターリンを生んだ。ネチャーエフは、警察官を「もっとも残虐な方法で」殺害し、「この盗賊世界を不可分の破壊力に再編する」ことを提言した。

無政府主義者バクーニンは、「向こう見ずな盗賊世界」を「革命」に利用するというこの夢を共有した。レーニンが借用したのは、「人民の意志」団の規律ある組織と全面的献身、そしてギャング的な無慈悲だった。これらはスターリンが体現していた資質である。

アレクサンドル二世は、テロリストとのいたちごっこに直面して、当のテロリストたちに負けぬほど手の込んだ近代的保安組織の整備を開始した。彼は父親(ニコライ一世)の「第三部」を私服警察の「秩序・公安保護局」に改組した。

これはまもなく「オフラナ」と略して呼ばれるようになる。にもかかわらず、これらの改革のすべてをつうじて「人民の意志」団はオフラナ内部にスパイを持っていた。警察はテロリストたちを追い詰めた。しかし、あまりにも遅すぎた。一八八一年、彼らはサンクトぺテルブルグの街頭でアレクサンドル二世を暗殺し、目的を達した。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P158-159

1870年頃から過激なテロリスト集団が力を増し、政府とのいたちごっこが続いていました。しかし1881年、皇帝のアレクサンドル2世の暗殺によって政府の秘密警察はさらに強化されることになりました。この辺りの歴史はレーニン伝でも語られていましたので以下の記事もご参照ください。

スパイが大量に世に放たれ、誰がスパイで誰が裏切り者なのかがまったくわからない状態になります。革命家たちは誰がスパイかをかぎ分ける能力が求められました。そこでは陰謀や買収による工作や、二重スパイ、三重スパイまでも跋扈し、何を信じていいかわからない疑心暗鬼の極限の世界が現出したのでありました。

革命家たちに対する秘密警察の弾圧と内部浸透は驚くほど芸が細かく、功を奏した―オフラナはこの時代随一の情報機関だった。実際レーニンが、「秘密警察と同じように高度に訓練された、最高レべルの完璧さで陰謀のテクニックを持つ経験豊かな少数のプロ」を組織するために真似たのは、オフラナであった。

スターリンはまさしくそのような人間だった―この「別世界」は彼の生まれつきの生息地だったから。コーカサスではゲームの意味を理解するのが「別世界」よりもっと困難ですらあった。

グルジア人としての生い立ちはテロリスト・ギャングのための理想的な訓練だった。それは家族と友人への神聖な忠誠、戦闘技能、個人的献身、復讐の技術を土台にしていたが、スターリンにはそのすべてがゴリの裏通りで叩き込まれていた。

コーカサスの秘密警察はもっと暴力的だったけれども、もっと融通がきいた。スターリンは秘密警察を買収することと、そのスパイを察知することにかけては、異常に巧みだった。

スターリンは絶えずオフラナのスパイたちに尾行されたが、彼らをまく達人になった―「あの間抜けども」とスターリンは笑った。彼はまたまたチフリスの裏通りを蛇のように巧みに逃げおおせてきたところだった。

「われわれが連中に仕事の仕方を教えるとでも思っているのかね?」彼はメーデー騒乱のあとに続いた逮捕を逃れていた。しかし、何回も逮捕寸前まで行った。一度、潜りの本屋でグルジアの歌をうたっている時、警察にその場所を包囲されたが、彼は「間抜けな警官たち」の真ん前を通り過ぎて逃れた。

別の時は革命活動の会合に出ていて、警察に家を急襲された。しかし、スターリンと友人たちは窓から雨の中へ飛び出した。オーバーシューズも履かずに、哄笑を響かせながら。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P161-162

スターリンはそんな異様な世界を生き抜く才能をすでに持っていました。彼が生まれ育ったゴリでの経験はその才能に圧倒的な磨きをかけることになっていたのです。

ここに単なる政治家の域を超えたスターリンのすごみがあります。彼は秘密工作の達人であり、作戦の実行者としても一流であったことがここでうかがわれます。

ギャングの統領・スターリン

秘密警察に追われ、地下に潜伏した「ソソ」ことスターリン。

彼はその類まれなカリスマと指導力でいつしかギャングの統領のような立場になっていました。

「有名なソソ」は武装抵抗の第一人者として、半ばパルチザン、半ばテロリストである「労働者戦闘部隊」をグルジア全域で設立し、装備し、指揮した。

軍事とテロルの卓越した組織者スターリンは、「われわれは労働者戦闘部隊の立ち上げに真剣に傾注しなければならない」と書いた。しかし、この経験は彼に軍事指揮の嗜好を与えただけではない。自分はそのために天賦の才を持っているという妄想も与えたのだ。(中略)

チアトゥラでスターリンは鉱夫と地元のギャングたちを武装し、ワノ・キアサシヴィリを隊長として任命した。「同志ソソは命令を出しによくやってきた。そしてわれわれは戦闘部隊を立ち上げた」とキアサシヴィリは語っている。

キアサシヴィリは配下のパルチザンたちを訓練し、銃を盗み、ひそかに丘陵地帯を越えて弾薬を持ち込んだ。チアトゥラ駅でチャヴィチヴィリは別の労働者戦闘部隊の隊長ツィンツァゼに命令を与えるのを見守った。(中略)

ツィンツァゼとスターリンのガンマンたちはロシア軍部隊を武装解除し、憎むべきコサック騎兵を待ち伏せ攻撃し、銀行を襲い、スパイと警官を殺した。「やがて県のほぼ全域がわれわれの手に握られた」。チアトゥラは「一種の予備の軍事キャンプになった」とツィンツァゼは自慢している。

ソソはこのゲリラ戦を監督するために絶えずチアトゥラに出たり入ったりしていた。

奇妙なことに、ソソがチアトゥラにいる時は貴族のマンガン鉱山王たちが彼をかくまい、保護していた。最初、彼はバルフォロメ・ケケリゼの邸宅に滞在し、次いでもっと大物の侯爵イワン・アバシゼのもとに滞在した。アバシゼはマンガン産業家会議副議長で、シェルワシゼ侯爵、アミラフヴァリ侯爵、神学校の「黒点」教師ダヴィド侯爵と縁続きだった(アバシゼ侯爵はまた、現グルジア大統領ミヘイル・サアカシヴィリの曽祖父に当たる)。何が起きていたのか?

すべての革命家は少なくとも資金の一部を財閥・大企業家と中産階級から受けとっていた。これらの階層の多くの者はツァーリ体制から疎外され、いずれにせよ国政に何らかの影響を及ぼすことから、締め出されていた。

ロシア本国においても、繊維産業王のサッヴァ・モロゾフのような富豪たちはボリシェヴィキへの最大の寄付者だったし、その一方で弁護士、経営者、会計士の間では「革命政党へ寄付するのがステータス・シンボルになっていた」。これはとりわけグルジアで真実だった。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P232-233

スターリンはグルジアの武装組織を指導するまでになっていました。そして単に武装勢力を指導するだけでなく、地域の有力者たちとのつながりまで獲得します。ここまで来ると単に強いだけではなく、圧倒的なカリスマと交渉能力、世の中を読む力がないとできません。この時すでにスターリンは後の姿の片鱗を見せ始めていたのでありました。

ですが、それにしてもなぜ彼は地域の有力者たちや資産家達とのつながりを得ることができたのでしょうか。それが次の箇所で明らかにされます。

スターリンによるゆすり、みかじめ料

けれどもこれには単なる好意や慈善だけで説明できないものがある。恐らくスターリンは、みかじめ料取立てやゆすりのもうかる技術を、犯罪者の知り合いやバクーとバトゥミでの取引から学んだのだろう。

今や彼は金と引き換えに安全を提供していた。もし産業王たちが払わなければ、彼らの鉱山は吹き飛ばされ、その支配人たちは殺害されただろう。もし払えば、スターリンは彼らを保護した。

彼の戦闘員だった二人の人物が未公表の回想記で、スターリンが自分の側の取引義務をどのようにして守ったかについて回想しながら、彼が実際、悪魔とでも取引できたことを示している。

G・ワシャゼの伝えているところによれば、産業王たちが強盗の被害にあった場合、「『犯罪者』の捜査を組織したのは地元の市民たちではなく、J・V・スターリンだった」。

ある「盗賊たちがドイツのマンガン会社支配人を襲い、一万一〇〇〇ルーブルを奪った」とN・ルハゼは述べている。「同志スターリンはわれわれに、金を発見し、取り戻すことを命じた。われわれはその通りにした」

産業王たちがスターリンを味方にするほうを選んだのは、驚くにあたらない。チアトゥラでは暗殺が頻発していた。「資本家は非常に怖がっていたので、金を出させるのに手間取らなかった」とツィンツァゼは書いている。

警察官と密偵たちについて言えば、「チアトゥラの組織は彼らを一掃することに決定した」。彼らは一人、また一人と次々に殺された。スターリンは、丘陵地帯を移動する時は手下のギャングたちに護衛させ、自分の新聞に自分の論文をどんどん掲載し、大衆集会では驚くほど印象的なパフォーマンスを演じて、「お山の大将」になった。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P233-234

当時のグルジアの治安はかなり不安定でした。そのため資産家は暗殺の恐怖や企業の襲撃に日々脅えていました。

そんな状況があったからこそ圧倒的なカリスマと勢力を誇るスターリンの保護が必要となったのでした。

地元の警察を頼るよりも裏社会を知り尽くしたスターリンの方がいい。そう思わせるほどの力が彼にはあったのでした。もちろん、スターリンを頼らなければ逆にスターリンから何をされるかわからないという恐怖もあったでしょうが・・・

いずれにせよ、スターリンがこの時点ですでに社会を掌握し、政治家、活動家としての圧倒的な才覚を発揮していたことがうかがわれます。

続く

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