ソ連の革命家レーニンとは「レーニンに学ぶ」記事一覧

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

目次

革命家レーニンの生涯とソ連の歴史を学ぶ~「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧

ウラジーミル・レーニン(1870-1924)Wikipediaより

これから紹介していく『レーニン 権力と愛』はレーニンその人だけでなく、当時の時代背景まで詳しく知ることができます。そして何より、私たちの生きる世界がどのようなものなのかを解き明かしてくれます。

ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思われてきましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ血塗られた歴史を繰り返さないためにも、今レーニンを学ぶ意義があるのです。

それぞれの記事でより詳しくお話ししていますので、興味のある方はぜひご参照ください。

なぜレーニンを学ぶのかー現代を生きるための知恵としてのレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑴

  • ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑴ 目次
    • 1.1 はじめに
      1.2 プーチンと現在も生きるレーニン
      1.3 レーニンの今日的な意義
      1.4 レーニンの政治手法
      1.5 レーニンの人物像

レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕が語られていきます。この後の記事でも紹介しますのでぜひ読んで頂きたい内容です。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、現代を生きる私たちに必要な知恵であると私は思います。

なぜレーニンを学ぶのかー現代を生きるための知恵としてのレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑴

レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境、そして兄の処刑~『レーニン 権力と愛』を読む⑵

  • 『レーニン 権力と愛』を読む⑵ 目次
    • 1.1 レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境
      1.2 皇帝暗殺を企てた兄サーシャの処刑
      1.3 兄サーシャの処刑の余波ーレーニンが革命家になったきっかけ

レーニン(ウラジーミル)は裕福な温かい家庭で育ち、リベラルな教育を受けていました。そのおかげかレーニンを含むウリヤーノフ家の子供たちは皆成績優秀だったそうです。

この一見革命とは無関係な家からなぜレーニンという革命家が生まれてきたのか、そのことをこの記事では見ていきます。

レーニンといえば、その後のソ連の方向を決定づけた冷酷な独裁者というイメージがありました。しかし彼は裕福で温かな家庭で育った普通の人間でした。そこから兄の処刑、町でのつまはじきなど、これまでの生活ががらりと変わってしまいました。こうした背景があったからこそレーニンが革命家になっていったと知り、それまでの冷酷で残酷な独裁者とはちょっと違った印象を受けることとなりました。

レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境、そして兄の処刑~『レーニン 権力と愛』を読む⑵

ロシアの革命家、テロリストの歴史~『レーニン 権力と愛』を読む⑶

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑶ 目次
    • 1.1 ロシア帝政末期、暗殺の時代
      1.2 「平和的手段はわたしからは奪われていた。」
      1.3 革命グループの歴史⑴ー「人民のなかへ(ヴ・ナロード)」運動
      1.4 革命グループの歴史⑵ーカリスマ的指導者ネチャーエフの暴力革命
      1.5 革命グループの歴史⑶ーマルクス主義革命家

この記事では19世紀末のロシアの政治情勢をお話ししていきます。この時期のロシアはテロが横行する非常に緊迫した状況でした。ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフもこの時代を生きています。この時代の政治情勢を知ることはロシア文学を知る上でも大きな助けとなります。

もちろん、レーニンもこうした時代背景の下生まれてきます。レーニンが生まれてくる背景をこの記事で見ていきます。

ロシアの革命家、テロリストの歴史~『レーニン 権力と愛』を読む⑶

レーニンの革命家への道ーチェルヌィシェフスキー『何をなすべきか』に憧れるレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑷

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑷ 目次
    • 1.1 革命家レーニンの勉学期
      1.2 レーニンのバイブルーチェルヌィシェフスキー著『何をなすべきか』とは
      1.3 『何をなすべきか』に憧れるレーニン
      1.4 レーニンのブルジョワ趣味
      1.5 マルクス主義との出会い
      1.6 農地経営の失敗と弁護士資格の取得

チェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』と言えば、ドストエフスキー界隈でもかなり有名な作品です。

ドストエフスキーの『地下室の手記』はチェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』に対する反論が書かれています。合理的知性は人間性を失わせるとドストエフスキーは叫ぶのです。

『何をなすべきか』という本はたしかに有名で、私も一度手に取ったのですがとにかく長い小説です。さすがに読むのは大変そうだと私はあきらめてしまい、この本に実際に何が書かれているかは知らずじまいでした。

ですがこのレーニン伝でざっくりとでありますが中身を知ることができてとても助かりました。この記事ではその内容を紹介しています。

レーニンは後に『何をなすべきか』というチェルヌィシェフスキーの作品と同名の本を書き上げ、これがボリシェヴィキ党のバイブルとなります。レーニンがどれほどこの作品に思い入れを持っていたかがうかがわれます。

レーニンの革命家への道ーチェルヌィシェフスキー『何をなすべきか』に憧れるレーニン~『レーニン 権力と愛』を読む⑷

なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術『レーニン 権力と愛』を読む⑸

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑸ 目次
    • 1.1 1891年の大飢饉とレーニンー冷酷な視線の萌芽
      1.2 革命家レーニン(ウリヤーノフ)の登場
      1.3 敵をやっつけるレーニンの弁舌ー毒舌・暴言を多用する独特な議論術
      1.4 毒舌と暴言の効果ーなぜ口の強い人に負けてしまうのか
      1.5 ゴーリキーから見たレーニンの演説

レーニンは議論において異様な強さを見せました。その秘訣となったのが彼の毒舌や暴言でした。

権力を掌握するためには圧倒的に敵をやっつけなければならない。筋道通った理屈で話すことも彼にはできましたが、何より効果的だったのは毒舌と暴言で相手をたじたじにしてしまうことでした。

しかも彼のすごい所はそれをしてもなお聴衆には彼こそ正しいと思わせる知的能力があったことでした。

この記事ではそんなレーニンのカリスマ的弁論術の秘密を見ていきます。

なぜ口の強い人には勝てないのか~毒舌と暴言を駆使するレーニン流弁論術『レーニン 権力と愛』を読む⑸

寛大なシベリア流刑 ドストエフスキー流刑時代との違い『レーニン 権力と愛』を読む⑹

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑹
    • 1.1 レーニン初めての海外経験
      1.2 レーニンの逮捕
      1.3 かつてより寛大で、後のソ連時代よりもはるかに寛大な刑事制度
      1.4 寛大なシベリア流刑 ドストエフスキー流刑時代との違い

革命家として活動していたレーニンはとうとう逮捕されてしまいます。そして彼はシベリア流刑になってしまうのですが、その待遇は私達の想像よりもはるかにいいものでした。

ドストエフスキー時代の過酷な流刑生活とは雲泥の差です。この記事ではその緩さについて紹介していきます。

この時の経験があったからこそ、後にレーニンが権力を握った時、想像を絶するほど厳しい刑事制度を作り上げたのでしょう。レーニン政権下では裁判なしの即時処刑や死につながる過酷な強制収容所を次々と作り上げ大量の逮捕者を収容します。自らの権力を維持するために、危険分子には一切容赦しない。こうした考えは自らの経験によるものが大きかったのかもしれません。

寛大なシベリア流刑 ドストエフスキー流刑時代との違い『レーニン 権力と愛』を読む⑹

レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは『レーニン 権力と愛』を読む⑺

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑺ 目次
    • 1.1 レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは
      1.2 無能な皇帝がもたらしたロシア革命

この記事で紹介する箇所はこの本の中でもトップクラスに重大な問題です。「宗教とは何か」という問題においてかなり突っ込んだ内容です。もちろん、ここで述べられること=宗教と絶対的に言い切れるわけではありませんが、宗教が広まっていく過程をピンポイントで指摘しているようにも思えます。

これは僧侶である私にとっても無視できない問題です。レーニンの生んだ共産主義ソ連は宗教がベースになっている可能性がある。宗教をどう定義するかによっても異なってきますがこれはこの後も考えていかなければならない大きなテーマであると思います。

レーニン・マルクス主義は宗教?政治家レーニン最大の手腕とは『レーニン 権力と愛』を読む⑺

レーニンの黒い資金源。若きスターリンの暗躍『レーニン 権力と愛』を読む⑻

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑻ 目次
    • 1.1 レーニン・ボリシェヴィキ党の意外な資金源
      1.2 「収奪」という名の強盗ーレーニンの黒い資金源。若きギャング・スターリンの暗躍
      1.3 「収奪者が収奪される」ーレーニンは強盗も正当化する
      1.4 レーニン・スターリンの最も劇的な「強制収奪」ーチフリスの現金強奪事件
      1.5 結婚詐欺による資金獲得

この記事で紹介している箇所も私の中でかなり衝撃的な内容でした。

レーニン率いる政治グループは部下に堂々と犯罪を犯させそれを資金源としていました。

こうまで堂々と強盗をしそれを資金源にする集団が政治集団として表舞台にいるという事実。

そしてこの時から影のギャングスターとして暗躍していた後のソ連の独裁者、スターリンの存在。

これはソ連史、特にレーニンとスターリンを学ばなければ知らずに終わっていた事実でした。

この記事もかなりショッキングです。ぜひ読んで頂きたい記事です。

レーニンの黒い資金源。若きスターリンの暗躍『レーニン 権力と愛』を読む⑻

第一次世界大戦とレーニンードイツの支援と新聞メディアの掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑼

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑼
    • 1.1 1917年ロシア二月革命の勃発
      1.2 レーニンの帰国ードイツの封印列車
      1.3 レーニンの政治活動ーポピュリスト的演説。嘘の公約。
      1.4 農村における内戦の予兆
      1.5 レーニンの権力拡大ー新聞メディアの掌握
      1.6 ドイツによる巨額の秘密支援金

1917年のロシア革命は1914年に勃発した第一次世界大戦の最中に起こった革命でした。この戦争がなければロシア革命もなかったかもしれません。

この記事ではロシア革命の顛末と、それを利用し権力を掌握しようとしたレーニンの動きについてお話ししていきます。

第一次世界大戦とレーニンードイツの支援と新聞メディアの掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑼

ロシア十月革命とレーニンの権力掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑽

  • ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑽ 目次
    • 1.1 ロシア十月革命とレーニンの権力掌握
      1.2 レーニンの強迫観念
      1.3 レーニンにとって「権力」とは何だったのか
      1.4 ボリシェヴィキの存続を予想する者はいなかった
      1.5 プーチン大統領も所属した、後のKGBー国家警察の要「チェカー」の創設

1917年2月に起きたロシア二月革命によってロマノフ王朝が倒れたことで、国政は臨時政府によって行われていました。レーニン率いるボリシェヴィキ党はその中の野党の一つに過ぎず、未だ力を持ってはいませんでした。

しかし臨時政府の運営はなかなかうまくいかず、国民の不満は溜まっていきます。そしてそうこうする内に一つ前の記事でもお話ししましたように、レーニンはドイツからの圧倒的な資金を元手に新聞網を掌握し国民の支持を得ていきました。

そして同年10月、ついにレーニンは動きます。軍部も味方につけたボリシェヴィキはクーデターを決行。そしてその後憲法制定会議を経てついにレーニンは権力を掌握することになりました。

レーニンは権力を掌握するとそれを守るためにすぐさま秘密警察を創設します。これはロシア皇帝直属だったオフラーナという秘密警察を見本に作った組織で、抵抗分子をいち早く発見し逮捕することを目的にしていました。しかし後にチェカーはオフラーナよりも比べ物にならないくらい残虐な方法を取るようになっていきます。

ロシア十月革命とレーニンの権力掌握『レーニン 権力と愛』を読む⑽

我々には全てが許されているー目的のために手段が正当化された世界『レーニン 権力と愛』を読む⑾

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む⑾ 目次
    • 1.1 レーニンによる暴力の奨励。混乱状態のロシア
      1.2 暴行・略奪の横行と正当化
      1.3 法の軽視。革命の名の下に裁きが許される
      1.4 革命法廷ーわれわれには、すべてが許されている

ロシア10月革命後、無差別の暴力が横行するほど治安は不安定化していました。ですがこれはレーニンが繰り返し大衆に説いていたことでした。暴力を奨励していたのは彼自身なのです。

中流階級以上の人間は大衆の格好の標的とされ、彼らへの暴力はボリシェヴィキのお墨付きの下、奨励されました。それまで不満を溜めこんでいた大衆はここぞとばかりに暴行を加え、復讐に走るのでした。憎悪を基にした社会変革をレーニンは広めたのです。

我々には全てが許されているー目的のために手段が正当化された世界『レーニン 権力と愛』を読む⑾

サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転と食料危機『レーニン 権力と愛』を読む(12)

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(12)目次
    • 1.1 サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転
      1.2 1918年の食糧危機
      1.3 食料危機に対するレーニンの回答ー強制徴発とテロルの強化
      1.4 「穀物のための戦い」の実態ー過酷な穀物取り立て

1918年3月、第一次世界大戦は今なお続き、ドイツ軍は首都サンクトペテルブルク(ペトログラード)に迫っていました。

そこでレーニンは首都をモスクワへ移転することに決定します。

現在にわたってモスクワが首都として存在するのもこの時に首都移転があったからこそなのでした。かつての旧首都としてモスクワが再びロシアの中心として君臨することになったのです。

また、この時第一次世界大戦と革命によって農村は荒廃し、輸送システムも崩壊したためロシアの食糧事情はすでに危険な状態でした。そしてそこに凶作が重なりさらなる危機が迫っていました。

レーニンは危機を打開するため、得意の戦法を用います。

「敵を作り出し、大衆の憎悪を煽り、暴力を行使する」という手法です。

穀物徴発は過酷を極めました。この記事では詳しいところまでは触れませんが、以前紹介した以下の本でかなり詳しくこの時期のソ連について書かれています。

この時の収奪は膨大な数の餓死者を生み出すことになりました。

そしてソ連の食糧政策はその後のスターリン時代に引き継がれ、1930年代には数百万人の餓死者が出る大惨事になります。

サンクトペテルブルクからモスクワへの首都移転と食料危機『レーニン 権力と愛』を読む(12)

レーニン崇拝、神格化の始まりと党官僚の腐敗『レーニン 権力と愛』を読む(13)

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(13)目次
    • 1.1 レーニン暗殺未遂事件とチェカーの弾圧
      1.2 レーニン崇拝、神格化の始まり
      1.3 権力掌握後も質素な生活を続けたレーニン
      1.4 レーニンの別荘とその料理人ープーチン大統領との意外な関係
      1.5 ボリシェヴィキ幹部の腐敗

1918年8月30日、レーニンは演説を終えた後、銃撃に遭います。

三発の銃弾が彼を襲い、あと少しで大動脈を傷つけ命を失うほどの大けがでした。幸い、命の心配はありませんでしたが、その後彼はこの傷の後遺症に苦しむことになりました。

レーニンが暗殺されかけ、命を失ったかもしれないという衝撃が、彼を神格化していく流れに火をつけました。

その流れはやがて死後にもっと加速していき、その姿を見たらレーニン自身が驚いてしまうほどであったでしょう。こうしてレーニンは神格化され、伝説と化し、人々に崇拝されるようになっていったのでした。

また、この記事の後半では党官僚の腐敗についてお話ししていきます。

レーニン崇拝、神格化の始まりと党官僚の腐敗『レーニン 権力と愛』を読む(13)

レーニンの文学観ードストエフスキー、トルストイらをどう見たか『レーニン 権力と愛』を読む(14)

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(14)目次
    • 1.1 レーニンの文学観
      1.2 レーニンとツルゲーネフ・トルストイ
      1.3 レーニンのドストエフスキー評

この記事ではレーニンの文学観についてお話ししていきます。

レーニンがドストエフスキーやトルストイというロシア文学の巨頭についてどのような考えを持っていたのか非常に興味深かったです。

レーニンの文学観ードストエフスキー、トルストイらをどう見たか『レーニン 権力と愛』を読む(14)

レーニンとロシア正教会ーソ連政府の教会弾圧『レーニン 権力と愛』を読む(15)

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(15)
    • 1.1 レーニンとロシア正教会
      1.2 レーニンの正教会攻撃の始まり
      1.3 本格的な弾圧の開始ー飢饉に乗じた略奪
      1.4 レーニンによる暴力的な教会弾圧-確信犯的な飢饉の利用

ソ連のイデオロギーにおいて宗教勢力は不俱戴天の敵でした。

しかしレーニンはすぐに行動には移さず、虎視眈々と教会を攻撃する機会をうかがっていました。

敵対勢力が最も抵抗できない時に叩く。それがレーニンのやり方です。

第一次世界大戦後、飢餓に苦しむ農民の不満が最大限に高まった時、彼は動き出します。

飢餓に苦しむ農民たちの不満を利用し、ついに弾圧に移るのでした。

権力掌握のために徹底した戦略を立てるレーニンらしい政策であったと言えます。

こうしてロシア正教会は徹底的に弾圧され、ソ連政権時の長きにわたって過酷な運命を辿ることになったのでした。

レーニンとロシア正教会ーソ連政府の教会弾圧『レーニン 権力と愛』を読む(15)

レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟『レーニン 権力と愛』を読む(16)

  • 1 ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(16)目次
    • 1.1 レーニンの晩年ーレーニン最大の誤りとは
      1.2 レーニンの遺言
      1.3 レーニンの遺体をめぐる論議
      1.4 レーニンの防腐処置とレーニン崇拝
      1.5 レーニン廟と今なお生き続けるレーニン

レーニンは1924年1月21日、53歳でその生涯を終えました。

レーニンは遺言において「スターリンは後継者にはふさわしくない」と記しました。しかし、結果的にはこの遺言はスターリンの巧みな策略によって問題にされず、スターリンがレーニンの後継者としてソ連を指導していくことになりました。

レーニン自身はまさか死後、自分の遺体が防腐処置をされ半永久的に保存され崇拝されることになるなど想像もしていなかったかもしれません。レーニンの家族も死後は墓に埋葬されることを望んでいました。

しかしソ連の指導力を高めるためには彼の遺体は非常に重要な意味を持っていました。そこに目を付けた人物達が家族の反対を押し切り、レーニンをまさしく不滅の神へと押し上げていくのです。

レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟『レーニン 権力と愛』を読む(16)

終わりに~『レーニン 権力と愛』を読んで

16回にわたって『レーニン 権力と愛』を読んできました。

私自身、この本を読んでぎょっとすることばかりで、思わず声を出してしまうくらい夢中になって一気に読んでしまいました。こんなに刺激的な本はなかなかありません。

そして何より、レーニンは名前は知ってはいても日本においてはかなりマイナーな存在です。私もソ連史を学ぶまでほとんど彼のことを知りませんでした。

しかしこの本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。

レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。

レーニンは世界史上の人間で特殊な人間だから私たちとは関係のない問題だと思ってしまうかもしれません。しかし人間の本質とは何かを考えていく上でレーニンという存在は非常に重大な問題を提起しているように私には思えました。「レーニン的なもの」は世界中どこでも起こりうることです。そのことは忘れずにいたいなと思います。

以上、「ソ連の革命家レーニンとは何者かー「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧」でした。

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