(16)なぜインドの仏跡は土に埋もれ忘れ去られてしまったのだろうか~カジュラーホーでその意味に気づく
カジュラーホー遺跡をはじめ、仏教遺跡の多くはインドで長らく忘れ去られていた存在でした。
それらは土に埋もれ、19世紀にイギリス人が発見するまで日の目を浴びることはありませんでした。ですが、それは本当にありうることなのだろうか。こんな巨大な遺跡を誰も知らないなんてありうるのだろうか。私はそんな疑問を抱えていたのでした。
カジュラーホー遺跡をはじめ、仏教遺跡の多くはインドで長らく忘れ去られていた存在でした。
それらは土に埋もれ、19世紀にイギリス人が発見するまで日の目を浴びることはありませんでした。ですが、それは本当にありうることなのだろうか。こんな巨大な遺跡を誰も知らないなんてありうるのだろうか。私はそんな疑問を抱えていたのでした。
ヒンドゥー教の信仰を考える上でシヴァ・リンガは絶対に避けては通れません。
前回の記事でも見たように、カジュラーホーでもこのシヴァ・リンガは重要な存在として鎮座しています。性的にストイックな仏教との比較のためにもこのシヴァ・リンガを学ぶことは大きな意味を持つのではないでしょうか。
私がここカジュラーホーにやって来たのは理由がある。私はここで「あるもの」を見たかったのである。その「あるもの」に皆さんもきっと驚かれることだろう。
私の中のインド・ヒンドゥー教芸術のナンバー1はぶっちぎりでここである。インド芸術の最高峰であることは間違いない。
2023年10月下旬。私は再びインドに向けて旅立ちました。
私はこの旅において徹底的に「異邦人」たろうと決めていました。
異邦人・・・。
私はこう思います。「異邦人の目は旅をより刺激的なものにする」と。旅は私達を強制的に日常から切り離し、異邦人へと変身させます。
8月のインドはあまりに厳しかった。その教訓を生かし、今度こそ無事日程をこなさなければならぬ。私は綿密に計画を練り直し、10月末からの第二次インド・スリランカ遠征に備えたのでした。この記事ではこのインド・スリランカ遠征の大まかな行程とその狙いについてお話ししていきます。
「仏教僧侶なのになぜそこまでしてヒンドゥー教の聖地を巡らなければならないのか。仏教の聖地を巡ればそれでよいではないか」
まさにごもっともな疑問であります。仏教を学ぶのなら仏跡に行けばよいのです。
ですが私はそうしませんでした。
この記事ではそんな私の思いについてお話ししていきます。
いよいよインド最終日。途中でインドの洗礼に倒れるというアクシデントもあったものの、濃厚で刺激的なインドでありました。
「もうこれ以上ないだろう」と空港への道中思ったものの、インドはまだまだ面白いものを見せてくれました。サービス精神豊富なインドで見た最後の事件をこの記事ではお話ししていきます。
辛いものがとことん苦手な私にとってインド食はまさに恐るべき存在でした。
そんな私が待ちに待っていたのがケンタッキーでの食事でした。ケンタッキーならどこに行っても美味しいはず!そんな期待をしていた私でしたがその望みもインドは木っ端みじんに粉砕したのでありました。
ついにやって来たインドの洗礼。私は激しい嘔吐と下痢に襲われることになりました。 この記事ではそんな私の奮闘と、そこからの復活についてお話ししていきます。私もこのインドの洗礼がトラウマになり、以後のインド訪問にも大きな影響を及ぼすことになりました。
ヒンドゥー教の聖地ハリドワールからさらにガンジス上流の聖地リシケシ。
ここはヨガの聖地として知られ、かつてあのビートルズがここで楽曲制作をしたことでも有名です。
そんなヨガの聖地に私もやって来ました。ハリドワールとの違いを感じながらの滞在となりました。