死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤
ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」
エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。
だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。
ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」
エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。
だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。
2019年4月14日。
私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。
幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。
クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。
アウシュヴィッツ博物館前で降車します。
この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。
クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。
クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。
そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。
第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。
今回利用する空港はベングリオン空港。この空港は世界一出国審査が厳しいということで悪名高い。
普通の空港なら出発の2時間ほど前に空港に着けばいいところを、この空港は3時間前までには必ず着いていなければならないという条件がまずあります。
それに間に合わないとものすごく怒られるという。
それもそのはず、検査が何重にも行われ、荷物の中身もかばんを開けて全部チェックするという徹底ぶり。
そしてイスラエルで何をしていた?とかその荷物は誰がパッキングした?などたくさんの質問を受けることになる。
少しでも怪しいと別室送りになるというなんとも不安にさせるような情報もあった。
そんなベングリオン空港にこれから向かいます。
これからエルサレムの街を出発し、イスラエルの首都テルアビブに向かいます。
テルアビブと言えば首都移転問題で日本でも大きなニュースになった街。
そして事前に調べてみると、ここテルアビブは中東で最もヨーロッパを感じさせる一大ビーチリゾートなのだそう。
中東と言えば砂漠。そんなイメージがあったのですが、どうやらテルアビブは地中海に面した一大ビーチリゾートらしいのです。
宗教の聖地エルサレム、そして中東の砂漠。
そんなイメージを覆す世界がおそらくここにはあるのだろう。
マルサバ修道院からの帰り道、見晴らしの良い丘に立ち寄りました。向こうに見えるのはエルサレムの街並みです。
そこでガイドさんが言った言葉に私は凍り付いてしまいました。
そしてエルサレムに帰った後、私は改めてパレスチナ問題について考えたのでありました。
ベツレヘム近郊の断崖絶壁に立つマルサバ修道院。
まるでグランドキャニオンのような絶景が目の前に広がります。
そしてこの記事では教会と修道院の違いについて考えていきます。
難民キャンプを後にすると、いよいよイエス・キリストが生まれたという、生誕教会へと私は向かいました。
この記事ではベツレヘムの生誕教会での体験を通してイエス・キリスト、ムハンマド、ブッダの生誕についても考えていきます。
ベツレヘムの街を分離壁に沿って歩いていきます。
私が参加したツアーではパレスチナ難民が住む難民キャンプを訪れることになっています。
難民キャンプに行くのは今回が初めて。
テレビで見るような悲惨な光景を私は目の前にすることになるのだろうか・・・
この日、私はエルサレムから移動し、パレスチナ自治区のベツレヘムへと向かいました。
ベツレヘムはキリスト降誕の地として有名ですが、今この街はイスラエルによって完全に隔離された街となっています。
私はその分離壁を目の前にし、パレスチナ問題の根深さを痛感することとなりました。