ポーランド

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

ワシーリー・グロスマン『トレブリンカの地獄』~ナチスの絶滅収容所の惨劇を赤軍ユダヤ人記者が告発

グロスマンの描いたトレブリンカは絶滅収容所といわれる収容所です。ここはそもそも大勢の人を殺害するために作られた場所です。そこに移送された者で生存者はほとんどいません。移送された人々は騙され、強制され、追い立てられ、次第に自分の運命を悟ることになります。そして圧倒的な暴力の前で無力なまま殺害されていきます。これはまさにフランクルの言う地獄絵図です。グロスマンはフランクルの描かなかった地獄を圧倒的な筆で再現していきます。『夜と霧』と一緒に読むと、よりホロコーストの恐ろしさを体感することになります。

ホロコーストを学ぶ上でこの本がもっとフォーカスされてもいいのではないかと心から思います。

独ソ戦~ソ連とナチスの絶滅戦争

V・ザスラフスキー『カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺』~ソ連が隠蔽した大量虐殺事件とは

アウシュヴィッツのホロコーストに比べて日本ではあまり知られていないカチンの森事件ですが、この事件は戦争や歴史の問題を考える上で非常に重要な出来事だと私は感じました。

国の指導者、知識人層を根絶やしにする。これが国を暴力的に支配する時の定石であるということを学びました。非常に恐ろしい内容の本です。ぜひ手に取って頂ければなと思います。

クラクフポーランド編

クラクフからチェコのプラハへ~レオ・エクスプレスにてバスと電車移動 ポーランド編⑧

この日の目的地はチェコのプラハ。

クラクフからプラハまではレオ・エクスプレスという鉄道会社を使って移動します。

ただ、クラクフ・プラハ間はまだ鉄道路線がほとんどないので、バスと鉄道を組み合わせての移動となります。

クラクフからチェコのボーフミンという街まではバス、そしてそこから鉄道に乗り換えてプラハまで向かいます。

アウシュビッツポーランド編

アウシュヴィッツのガス室で感じた恐怖~「普通であること」の恐さに戦慄する ポーランド編⑥

アウシュヴィッツに実際に行って、私はどんな思いを抱くのだろうか。

旅の前にはそんなことをよく考えていた。

では、実際私はここに来て何を感じたのか?

それは「何も感じないこと」の恐怖であった。アウシュヴィッツは「普通の場所」だった。だがそのことに私は戦慄を感じたのでした

アウシュビッツポーランド編

死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤

ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。

「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」

エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。

だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。

アウシュビッツポーランド編

死の収容所アウシュヴィッツを訪れる①~ホロコーストから学ぶこと ポーランド編④

2019年4月14日。

私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。

幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。

クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。

アウシュヴィッツ博物館前で降車します。

この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。

クラクフポーランド編

クラクフ聖マリア教会の高層建築と鳴り響くラッパの音 ポーランド編③

前回の記事に引き続き、クラクフ旧市街の聖マリア教会について、もう少し考えていきましょう。

改めて紹介しますが、この教会は1222年に建てられ、塔の高さは82mにもなる堂々たる建築です。

今回の記事ではこの教会にまつわるエピソードをご紹介していきます。

クラクフポーランド編

クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 ポーランド編②

旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。

この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。

さて、聖マリア教会に入場してみましょう。

外から見ても圧倒的な大きさでしたが、中の様子は一体どのようになっているのでしょうか。

クラクフポーランド編

ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み ポーランド編①

クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。

クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。

そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。

第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。

オルドヴァイタンザニア・トルコ編

世界一周紀行~世界の宗教と歴史を巡る旅―僧侶の私がなぜ旅に出たのか

私は2019年3月末から80日をかけて13カ国を巡る世界一周の旅に出ました。 そのルートはタンザニア→トルコ→イスラエル→ポーランド→チェコ→オーストリア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→クロアチア→イタリア・バチカン→スペイン→アメリカ→キューバです。 この記事では私がなぜ世界一周の旅に出たのかをお話ししていきます。