アウシュヴィッツのガス室で感じた恐怖~「普通であること」の恐さに戦慄する ポーランド編⑥

アウシュビッツ ポーランド編

アウシュヴィッツ・ビルケナウとは―ガス室の恐怖 僧侶上田隆弘の世界一周記―ポーランド編⑥

アウシュヴィッツ収容所での見学を終え、次に向かうのはビルケナウ収容所。

アウシュヴィッツからはバスで5分ほどの距離だ。

ここまでアウシュヴィッツ収容所のことをお話しさせて頂いたが、普通アウシュヴィッツと聞いてイメージするのはおそらく上の写真なのではないだろうか。

だが、これは正確にはアウシュヴィッツではなく、ビルケナウ収容所に当たる場所なのだ。

では、ぼく達がよく耳にするアウシュヴィッツ・ビルケナウとは一体何を指す名前なのだろうか。

そもそも、アウシュヴィッツという名前がポーランドの地名オシフィエンチムをドイツ読みさせて作られたものであることは先の記事で述べた。

つまり、これまで紹介してきたアウシュヴィッツ収容所とは、オシフィエンチムの地に作った最初の収容所ということになる。

そしてポーランド中、世界中からユダヤ人がここに移送されてくることになるのだが、その人数があまりに多かったためアウシュヴィッツ収容所では受け入れきれなくなっていった。

収容所を大きくしようにも地形の関係上それも不可能。

というわけで、ナチスは隣接する村に第二の収容所を作る必要に駆られた。

それがビルケナウ収容所なのである。

ここは村の郊外の湿地帯に作られた広大な収容所だ。

そして300以上の施設がここに建てられ、ここに運ばれて来て生存することを許された人間が収容されたのだ。

線路のすぐ目の前に収容所は広がる。

線路の反対側にも同じ景色が広がっている。

線路は収容所と収容所の真ん中を通っているが、実はこの線路、柵で囲まれた強制収容所の外を走っているのだ。線路は強制収容所内にはない。

汽車から下りてすぐに、人々は並ばされ、「選別」を受ける。

働ける者とそうでない者を医者によって選別される。

この選別によって75パーセントもの人が収容所に入ることもなくそのままガス室に直行したと言われている。

つまり、この選別に選ばれた者だけが、線路から先に広がる収容所へと入っていくことになったのだ。

しばらく線路上を歩いていくと、当時ガス室のあった場所へとたどり着く。

敗戦が確実となったナチスは証拠隠滅のためにガス室の破壊を命じる。

しかし、敗戦目前のナチスにはかつてのような秩序だった行動は起こせず、破壊は中途半端なものにしかならなかった。

それで残されたのがこのガス室跡だったのだ。

実は先ほどまで訪れていたアウシュヴィッツ収容所にはガス室が当時の姿そのままに復元されている。

そのアウシュヴィッツのガス室がこちらだ。

中の撮影はできなかった。

撮影禁止のエリアではないのだが、ぼくにはできなかった。

そんなに恐ろしい場所だったのか?

いや、違う。

じゃあ、なぜ?

わからない。

でも、あまりに何も感じさせないことに恐怖を感じた。

そう言える気がする。

無機質で暗くて冷たい部屋。コンクリートで作られた壁のせいだろうか、一歩歩く度に冷たい空気を肌に感じる。

ここだ。今まさにぼくが立っているここで数え切れない人々がガスで殺されたのだ。

何も知らずにここに押し込められ、シャワーを浴びられるかと思ったら急に息苦しくなってくる。犠牲者はきっと何が起こっているかもわからず苦しみのうめきを上げながら息を引き取っていったのだろう・・・

だが、それはぼくの想像の話だ。ここでそういうことがあったと聞かされて知ったからこそぼくはそう思ったのだ。

恐ろしいことに、このガス室はそんなことを感じさせないくらい無機質でただがらんとした空間だったのだ・・・

恐る恐るこの部屋を抜けるとその先に焼却炉があった。

そこにあったのは一人一人を横たわらせて炉へと送り出していく形のものだった。

ぼく達僧侶は、一般の人よりはるかに多く、火葬に立ち会う仕事だ。

だからこのような形の炉を目にしたとき、ぼくの頭の中をよぎったものがあった。

いつもぼくが目にしている、遺族が涙を流し最後のお別れをしながら亡き人が炉の中へ送り出されていく場面だ。

ぼくはこの炉を見てはじめて納得した。

ここで人が死んでいったのだということを。

無機質なガス室を見ただけでは、そこで大量虐殺があったとは感じられなかった。

その無機質さこそナチスが生み出した最も恐ろしい殺人の手法なのだ。

人が死んだことを感じさせない技術。

ぼくはそのことを痛感する。

この写真がビルナケウの写真だと言わなければ、どれほどの人がビルケナウの写真であることに気づくことができるのだろうか。

アウシュヴィッツも、ビルケナウも、特別な空気など存在しない。

「普通」の場所だったのだ。

「ここで大量虐殺があった。」

「多くの人の無念が宿る地なのだ。」

そう考えるぼくたちはきっと、こう思ってしまうだろう。

「そのような場所はきっと恐ろしくて暗い、独特な雰囲気があるのだろう」

まったくちがう。

そんな空気はまったく存在しなかった。

でも、

だからこそ、こんな恐ろしいことはない。

どこにでもある普通の場所で、これは起こりうることなのだ。

ここだけが特別なのではない。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ。

いつか来てみたい場所だとずっと思っていた。

フランクルの『夜と霧』の舞台となった地。この本をきっかけにぼくはフランクルの著作をいくつも読むことになった。

ぼくの考え方に大きな影響を与えたのがフランクルの言葉であり、アウシュヴィッツだ。

アウシュヴィッツに実際に行って、ぼくはどんな思いを抱くのだろうか。

旅の前にはそんなことをよく考えていた。

では、実際ぼくはここに来て何を感じたのか?

何度でも言おう。

それは、アウシュヴィッツの「普通さ」だった。

しかし同時にそのことに対するぞっとするような恐怖だ。

ここに来れて本当によかった。そして中谷さんのガイドを聞けて本当によかった。

学ぶことが多すぎる。これから学ばなければならないことがありすぎる。

アウシュヴィッツはやはり、強烈な印象を残した場所だった・・・

続く

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