ナチス

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(11)異端審問を学ぶことは「人間とは何か」「現代とは何か」を考えることである

学べば学ぶほど、ものごとはそう単純ではないことに気づく。

「異端審問官を、賄賂と権力に弱いと言って責め、拷問官を、サディストだと言って責め、植民地拡大のため戦争に賛成する者を、戦争をしたと言って責めることができた。」と著者も述べています。 残虐行為をした人間を「悪人だ」と断罪し、その悪の責任を彼に押し付けるのは簡単です。しかし、その悪が彼固有のものではなく、人間そのものが背負っているものだとしたらどうでしょうか。彼を責めることは自分を含めた人間そのものを責めることにもなるのです。

異端審問のシステムは中世スペインだけではありません。現代に生きる私たちの世界にも連綿と続いています。そうした人間そのものについて考えることが必要なのではないでしょうか。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(9)モンテーニュと異端審問のつながり~衰退するスペインとヨーロッパ啓蒙思想の拒絶

モンテーニュは啓蒙思想で有名なフランス人ではありますがその血筋のルーツはスペインのコンベルソであったと言われています。驚くべきことに、異端審問が横行していたスペインの歴史がモンテーニュの思想に大きな影響を与えていたのでありました。

敵対的な思想を持つ者を抹殺しようとした異端審問でしたが結局こうしたもっと強大な存在を生み出すことになってしまったのです。教会への不信や懐疑論、無神論の流れは教会の権威を徐々に蝕んでいきます。

近代的なヨーロッパの哲学者がいかに生まれてきたということに異端審問が大きな影響を与えていたというのは非常に興味深いものでした。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(8)中世スペインの権力自壊の前兆~強大な官僚主義と膨大な事務の弊害とは 「中世異端審問に学ぶ」⑻

異端審問による弾圧と追放は単に政治的な問題だけではなく、経済面にもとてつもないダメージを与えたのでした。この引用箇所はこの本の中でも特に印象に残ったもののひとつです。

他者を排除することは結果的に自分たちの首を絞めることになるということをここで思い知らされます。感情に任せて悪者をやっつけたつもりになっても、実際は何一つ問題の解決にはなっていないのです。

これは現代でも同じです。誰かを悪者に仕立て上げ、責任は彼らにあると攻撃し排除する。本当に見るべきものは何かを議論せず、何の対策も打てないまま時だけが過ぎていく・・・

その結果見るも無残な損失が残され、国は衰退していく・・・スペインの異端審問はまったく他人事ではありません。これは今まさに私たちが直面している問題でもあるのです。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(6)スペイン料理や名物タパスに隠された意味~食文化と信仰のつながりとは

スペインの食文化を代表するタパスには実は裏の意味がありました。

スペインではキリスト教徒、改宗ユダヤ教徒・イスラム教徒は共存し、もはや同化していましたので単に見た目だけでは誰が何を信じているのかはわかりませんでした。ですのでこうした食べ物を通して信仰の如何を確かめようとしていたのです。

例えばですが、ある家で会食をしようとなったときに、客たちはそれぞれ料理を持ち寄ることになります。そしてその時に豚肉のソーセージをわざと持ち寄るのです。それで家の主人や他の客人がそれを食べようとしなければ隠れユダヤ教徒やイスラム教徒であることがばれてしまうのです。

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(4)スペイン異端審問時代の秘密主義と密告の横行による社会不信~疑心暗鬼の地獄の世界へ

この記事で見ていくのは単に「異端を裁くだけのシステム」と思われていたものが、社会全体の病気となっていく過程です。

最初は疑わしき者を罰するだけでした。

しかしそれがどんどんエスカレートし、もはや誰が誰に密告されるなどわからない疑心暗鬼の世界に変わっていきます。こんな世界で人と人との温かい交流などありえるでしょうか。私たちがこれまで当たり前のように交わしていた楽しいつながりはありえるでしょうか。

ここまで監視と密告が定着してしまえば、人間同士の信頼関係は崩壊です。

こうなってしまえばひとりひとりの国民にはほとんどなす術がありません。スペインは徐々に活力を失っていくのでありました・・・

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

(3)敵を打ち負かし、理想の実現を図るため拷問は行われる~犠牲者を人と見なさない心理とは

「私は不本意だがこれからお前を拷問にかける。お前が悪いことをしたから悪いのだぞ?神はそれを知っておられる。神は絶対に正しい。その神より委託を受けている私たちも正しい。お前は拷問によって苦しむかもしれんがそれは自業自得だ。だがそれによりお前は罪を償うことができるのだ。むしろ我々に感謝してもらいたい。」

異端審問官であれどさすがに自分の手を汚すのは精神的にダメージがあります。そこで自分たちの心が痛まないようにこうして神という絶対的な権威を利用していたのでした。これはスターリンやヒトラーによる虐殺の時にも見られたものです。絶対的な権威による免罪があるからこそ、淡々と暴力を振るうことができたのでした。

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

マリア・ロサ・メノカル『寛容の文化』~ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒が共存した中世スペインについて知るのにおすすめ

セルバンテスによって『ドン・キホーテ』が発表されたのは1605年のこと。

1492年にグラナダが陥落し、カトリック勢力がスペイン全土を統一してからおよそ100年少し。この間に異端審問は全盛を極め、ユダヤ人やイスラム教徒は迫害を受けました。

この迫害に対しセルバンデスは作中で驚くほど巧みにそれを風刺し、皮肉っています。これは普通に読んでいたらまず気付かないレベルです。当時の歴史を知り、さらに解説を受けなければまず通り過ぎてしまうでしょう。

私自身、この本を読んで改めて『ドン・キホーテ』がいかにすごいかを再発見しました。

この本の最大の見どころは本の終盤に書かれたこの『ドン・キホーテ』とスペインの歴史とのつながりと言っても過言ではないくらい私には驚きの事実でした。

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

(6)まとめ~なぜイワンは戦ったのか。戦争という極限状態における兵士の内面を学ぶ意味

この本に書かれた内容は本当にショッキングです。目を反らしたくなるような蛮行が語られます。

ですがそんな地獄のような世界を生きたイワンたちも涙を流していました。

イワンたちの犯した悪行は許されるものではありません。しかしそれをただ弾劾するだけでは何も解決しません。

なぜそのようなことが起こったのか、そしてイワンたちは何に苦しみ、涙を流したのか。このことを突き詰めていくことこそ、同じ歴史をくり返さないためにも重要であると私は感じました。

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

(5)ソ連兵たちは犠牲者を人間とみなさなかった~戦時下の兵士の心理と性暴力の悲劇

彼らが目指すはヒトラーの本拠地ベルリン。ソ連兵たちはその行く先々で暴虐の限りを尽くしました。

たしかに侵攻してきたナチスの残虐行為は悲惨なものでした。それに対し目には目をとばかりにソ連兵は侵攻した先々で略奪、殺人、レイプを繰り返したのです。

この内容はブログに書こうかどうかも迷ったほどです。ここから述べていく内容もそうです。この本では目を背けたくなるような事実が明らかにされます。

ただ、注意したいのはこうした行為がソ連兵だけのことで、私達には全く関係ないと思ってしまうことです。「ソ連兵が異常なだけだ」というように見てしまうと、この本の意味はまったく異なるものになってしまいます。戦争という極限状態では人間は誰しもこうなりうるということを忘れてはいけません。

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

(4)スターリンによる戦争神話の創造と歴史管理~現実を覆い隠す英雄物語の効用とは

1943年になるとソ連がついに優勢に立ちます。ここから政治家たちはさらに国民の士気を高めるために戦争神話を作り出していきます。

ソヴィエト政府にとって都合のいいように事実は解釈され神話は作られていきました。それに合致しないものはすべて黙殺されていったのです。

そしてそうした歴史管理は戦後もずっと続くことになります。

見たくないものに蓋をする。これは誰しもがそうしたくなるものです。戦争という極限状態で自分が犯してしまったことに対しては特にそう言えるでしょう。スターリンはそうした人間の弱さに付け込んだのでした。