チェ・ゲバラ『マルクス=エンゲルス素描』~ゲバラはマルクス主義に何を思う?あのゲバラがマルクスの伝記を書いていた!

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

チェ・ゲバラ『マルクス=エンゲルス素描』概要と感想~あのゲバラがマルクスの伝記を書いていた!ゲバラはマルクス主義に何を思う?

今回ご紹介するのは2010年に現代企画室より発行されたエルネスト・チェ・ゲバラ著、太田昌国訳の『マルクス=エンゲルス素描』です。

早速この本について見ていきましょう。

内容(「BOOK」データベースより)

あのゲバラが、マルクス=エンゲルスの、簡潔な伝記を書き遺していた―。

Amazon商品紹介ページより
チェ・ゲバラ(1928-1967)Wikipediaより

この作品はチェ・ゲバラによるマルクス・エンゲルスの簡潔な伝記になります。

上の商品紹介にありますように、まさに「あのチェ・ゲバラが!!」ですよね。

上の本紹介だけですと情報が少ないのでこの本の成り立ちについて巻末の訳者解説を見ていきます。

チェ・ゲバラが、ボリビアでの最後のたたかいを直前にした三〇代後半の日々に、マルクス主義経済学の研鑽を債み重ねていたということは、死後ほどない頃から言われていた。

ゲバラが経済のあり方に並々ならぬ関心を抱いていたことについては、一九五九年キューバ革命直後からの一〇年間に生起した諸問題を分析している、ポーランド生まれのジャーナリスト、K・S・カロルの詳細な報告『カストロの道ーゲリラから権力へ』(読売新聞社、弥永康夫訳、一九七二年、原書の発行は一九七〇年)が一定の頁を割いて述べている。

そこでは、世界じゅうの多くの人びとが気づいていた、虚偽が充満するソビエト的社会主義とは異なり、キューバでは真の社会主義を求める人びとの真剣な試行錯誤が試みられていること、だがその試みは、北の大国=アメリカ帝国主義の卑劣な妨害工作もあってさまざまな困難に直面していること、米国によるキューバ封鎖網や圧力が強まるに従って、それに対抗してソ連のキューバ介入の度合いが深まり、その影響が顕著になりつつあること、今までにない独自の性格を持っていたキューバ革命は、ソ連の介入によって深い危機にさらされている側面もあること、したがって、米ソの角逐のなかで苦闘する小国=キューバは「世界を引き裂いている危機や矛盾を、集中的に体現」しているがゆえに「一種の共鳴箱となり、現代世界において発生するいかに小さな動揺に対しても、またどれほど小さな悲劇に対してであろうとも、鋭敏に反応するようになった」こと―などが、豊富な文献資料、インタビュー、見聞を通して、明らかにされていた。(中略)

私は、ソ連邦が崩壊して一年後の一九九二年末にはじめてキューバを訪問したが、「カサ・デ・ラス・アメリカス(アメリカの家)」出版局の担当者は、チェ・ゲバラの遺稿を整理中であり、そのなかには、経済学関係のものも含まれている、と語っていた。

だが、それらは論文というよりも、メモや既存の書物への評註的なものが多くチェ・ゲバラの筆跡に慣れた人が作業を行なっても解読にはかなりの時間がかかるということだった。確かに、私がその話を聞いたときから数えても一四年の歳月をかけて後のニ〇〇六年に、それらは一冊の書物としてまとめられた。
※一部改行しました

現代企画室、エルネスト・チェ・ゲバラ、太田昌国訳『マルクス=エンゲルス素描』P85-90

この作品の原著はゲバラの遺稿を基にしてまとめられ、2006年に発表されたものになります。

そして上の解説にもありますように、この作品はチェ・ゲバラのマルクス主義に対する立場がどこにあるかが非常に重要なポイントとなっています。

まず、私たちはマルクス主義というとソ連を思い浮かべてしまいますが、ゲバラからするとソ連式マルクス主義は本来のマルクスから歪められているように見えていたようです。ソ連は硬直した官僚主義になっており、その実態はゲバラの理想とするマルクス主義とは異なっていました。(そのことについては以下の記事参照)

ではゲバラの考える理想のマルクス主義は何なのか、その一端をこの作品から見ることができます。

その例をいくつか見ていきます。

われわれが忘れてはならないことは、マルクスは常に、その人間性において至高の存在であったということである。この上ないやさしさで妻と子どもたちを愛した。だが、彼の生涯をかけた仕事を優先しなければならないとも感じていた。痛ましいことには、この模範的な父親にして夫であった人物にあっては、ふたつの愛―家族に対する、そしてプロレタリアートに貢献するという―は、互いに排他的なものだったのである。彼はそれらを両立させようと努力した。しかし、彼の私的な手紙の中では常に、どこか不安の木霊が息づいている。家族を苦しめている、逼迫した、時に惨めなまでの生活の現実を前に、理性を押し殺している。

現代企画室、エルネスト・チェ・ゲバラ、太田昌国訳『マルクス=エンゲルス素描』P43

「われわれが忘れてはならないことは、マルクスは常に、その人間性において至高の存在であったということである」

ゲバラのこの言葉は非常に重要です。

ゲバラはマルクスを『資本論』という理論を生み出した「知的な存在」というより、貧しい人々を救うために生きた「人間的に至高な存在」として大事にしていることが伝わってきます。ゲバラはマルクスの人間性に強く惹かれていたのです。

もうひとつ見ていきましょう。

マルクスは、共感能力が世界じゅうで苦しむ人びと全体に及んでいるような人間的な人物で、真剣なる闘争と、揺るぎない楽観主義のメッセージを携えていたが、歴史によって歪曲され、石のごとき偶像とされてしまった。

彼のような規範がいっそう光を増すためには、私たちは彼を救抜し、人間らしい大きさを与えなければならない。マルクス主義は、メーリングが行なった素晴らしい仕事を受け継ぎ、さらにに広い展望を与え、免れることのなかったいくつかの解釈上の誤まりを訂正して、伝記を完成されたものにする課題が待ち受けている。私たちがここで行なった素描は、マルクス主義経済学に触れたことのない、またその創始者たちの有為転変を知らない人びとにとって、彼の著作に関わる水先案内役となるだけであるが、これらの人びとにこの小さな著作を捧げる。

現代企画室、エルネスト・チェ・ゲバラ、太田昌国訳『マルクス=エンゲルス素描』P63-66

「マルクスは、共感能力が世界じゅうで苦しむ人びと全体に及んでいるような人間的な人物」

こちらもマルクスを理想的な人物としてゲバラは描いています。

この著作をゲバラが描いていたのは1960年代です。この頃はまだソ連の力は圧倒的でした。

ですが1991年にソ連が崩壊した後、マルクス主義の権威は一気に低下することになります。現代を生きる私たちの感覚と1960年代にソ連が圧倒的な力を誇っていた時代とではマルクスに対する見方は全くことなります。

さらに言えば、そもそも当時ではマルクス・エンゲルスに関する資料もある意味限られていました。マルクス・エンゲルスに対して都合の悪いものはそもそも共産圏では出回りません。神格化されたマルクス・エンゲルスしか触れる機会はないのです。そしてその逆に資本主義陣営側ではマルクスを悪魔のように描き出し、徹底的に攻撃しています。こうした背景の下では共産圏、資本主義圏どちらにおいても極端なマルクス像がその大半を占めていたのでした。

ゲバラもそうした背景の中マルクス・エンゲルスを学んでいます。

ただ、これまで当ブログで紹介してきましたように、近年マルクス・エンゲルスの様々な伝記や研究が発表されています。過度に神格化、悪魔化されたマルクスとは違う「人間マルクス」の姿を私たちは知ることができるようになってきました。

その中でも私はトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』という伝記を用いてマルクスの生涯を追っていきました。

これら様々な伝記を通して私が改めて感じたのは、やはりゲバラは理想化されたマルクスを見ていたのだなということでした。

「われわれが忘れてはならないことは、マルクスは常に、その人間性において至高の存在であったということである」

「マルクスは、共感能力が世界じゅうで苦しむ人びと全体に及んでいるような人間的な人物」

ゲバラが見ていたマルクスは上のような人物としてのマルクスです。

ですがこれが本当に正しいか正しくないかは実はそこまで大きな問題ではありません。重要なことは「ゲバラがマルクスをどのような存在として見ていたか」という点にあります。

ゲバラは「貧困に苦しむ民衆のために生きたマルクス」を見ていたのです。それはゲバラ自身が若い頃に南米を旅し、革命家を志したのと同じ姿です。

ゲバラは「高潔で人間愛に満ちた革命家マルクス」をそこに見ていたのでありました。

この『マルクス=エンゲルス素描』ではそんなゲバラによるマルクス・エンゲルス伝が語られます。ゲバラがマルクス・エンゲルスをどのように見ていたのかが非常にわかりやすい作品です。ゲバラのマルクス観を知るにはうってつけな作品となっています。

さて、ここまで当ブログでは『ドン・キホーテ』とのつながりからチェ・ゲバラについて見てきましたが、私は「マルクスは宗教的現象か」をテーマにマルクスについても更新を続けてきました。

これらの記事を通してマルクス・エンゲルスを学んできた私でありますが、実はひとつ大きな矛盾を抱えることになってしまいました。

それがゲバラとマルクスの関係だったのです。

私はチェ・ゲバラを尊敬しています。そして『ドン・キホーテ』と私を繋いでくれたゲバラは恩人でもあります。

その思いから私は2019年にゲバラのお墓を訪ね、感謝の念を捧げてきました。

ですが、問題なことにゲバラはマルクス主義を奉じていたのです。

2019年当時はマルクスのことについて私はほとんど何も知らなかったので、「高潔な革命家チェ・ゲバラ」に対しシンプルに尊敬の念を抱いていました。

正直今もその念は変わっていません。ゲバラほど高潔な人物は歴史上ほとんど類を見ないのではないでしょうか。

ただ問題なのはそのゲバラがマルクス主義者であったこと・・・

私はソ連のレーニン・スターリン体制下の出来事を学んだこともあり、マルクス主義に対する恐怖を抱いています。

そんなマルクス主義を奉じているゲバラを、私はこれまで通りのあり方で受け止めることができるのか、それが問題となってきたのです。

「われわれが忘れてはならないことは、マルクスは常に、その人間性において至高の存在であったということである」

「マルクスは、共感能力が世界じゅうで苦しむ人びと全体に及んでいるような人間的な人物」

先に述べたように、ゲバラが見ていたマルクスはこのようなものでした。

ある意味無邪気で楽観的なマルクス観です。

そう考えてみると、ゲバラはある意味マルクス主義を奉じようと奉じまいと「ゲバラはゲバラなのだ」と言うことができそうです。

マルクス主義に傾倒したからゲバラは革命家になったとか、ゲバラの本質はそこにあるとか、そういうわけではないのです。

このことについては三好徹『チェ・ゲバラ伝』でも書かれていました。ゲバラは元々ドン・キホーテのように社会の不正義を許すことができない高潔な士でした。そこでカストロと出会い、キューバ革命を戦ってマルクス主義のイデオロギーを研究することになったのです。

こう見ていくと、マルクス主義を晩年に学んでいたからといってそのままゲバラを問題視してしまうのはやはり不公平であるなと私は思いました。ゲバラがマルクス主義を奉じていたとしても、その根っこは理想を求めた一人の男だったのではないかと私は考えます。

というわけで私のこの矛盾はある程度解決されたのではないかと自分では今考えているのですが皆さんはどう感じますでしょうか。なんとも微妙と言えば微妙ですが何となくでもこの感覚が伝わって頂ければ嬉しく思います。

そしてもう一点。これも非常に重要な点だと私は感じているのですが、「あのチェ・ゲバラほど高潔な男でもマルクス主義は失敗したのだ」ということです。

キューバ革命後、カストロをトップとする社会主義政権は次々と改革を進めます。教育や医療は格段の進歩を見せ、皆が貧しいながらもかつての不平等は駆逐されていったという驚くべき成果を上げていきました。

しかしそうした面もありつつも、工業化は進まず、さらにはアメリカによる貿易封鎖によって経済成長はなかなか見込めませんでした。そんな中工業相として必死になって働き続けるゲバラ。しかしそれも報われず彼はキューバを離れ、最後はボリビアでの戦闘で命を落としてしまいます。

「彼ほど高潔な男でも失敗した」と私は先ほど述べました。その彼の高潔さ、仕事ぶりについて三好徹の『チェ・ゲバラ伝』では次のように書かれていました。少し長くなりますがゲバラの人柄を知る上で非常に参考になりますのでじっくりと読んでいきます。

チェはみずからいい出して、政府職員の労働奉仕を行なった。

「砂糖キビ刈りの労働奉仕は、日曜日ごとに必ず行なっていました。九階建ての工業省には、各階にひとりずつ責任者がいるのですが、チェは九階の責任者でした。出発はいつも五時ごろです。次官とかその下の部長クラスの人が自動車で行くのに、チェはいつもみんなといっしょにトラックに乗って行きました。喘息が起こったときだけ、自動車を利用したけれど、それでも奉仕をやめようとはしませんでした。一般市民もそれを知っていて、道ばたに出て待っていて、チェ!チェ!と呼んでいました。

休んでいたりするものがあると、『どうしたんだ?怠けていてはダメじゃないか』とたしなめていました。九階は、ほかの階よりも人数が少なかったのですが、負けてはいけないとみんなを励まして、仕事をさせるようにしていました。だから、みんな一所懸命になって仕事をしなければならなかった。チェ自身は、奥さんや子供さんまで労働奉仕にかり出していました」(メルセデス・E・ロカ女史)

このような努力にもかかわらず、工業化への道は険しかった。(中略)

じっさい、チェは苦闘を続けたのだ。すでに紹介したように、夜も眠らずに献身的に働いた。だが、すべてのキューバ人がチェのようではなかった。

―何キログラムの肉が食べられるか、あるいは一年に何回休みの日に海岸に遊びに行けるか、あるいは現在の給料でどれほどの美しい輸入品を買えるか、それは問題ではない。

とチェはいい、そしてかれはこの言葉のままの男であった。

かれは金銭や物質的な報奨をまるで受けつけなかったが、チェの金銭に対する淡泊さというよりも蔑視はつぎのような手紙からもうかがわれるだろう。国立出版社の責任者アイデ・サンタマリアにあてた一九六四年七月十二日付のものである。

―親愛なるアイデ

あなた方の裁量で例の金を渡すという作家同盟からの通知を受けとりました。愚かにも、かれらが大きな赤字をかかえているという本質の論争に入らないための妥協策のようです。
唯一の重要なことは、本からは一センターボも受けとることはできない、ということです。本は戦争の諸様相について語る以上のことは何もしていません。お金はあなたの方で自由に使って下さい。

前年に刊行された『革命戦争の道しるべ』の印税受取りを拒否しているわけである。だが、人びとは必ずしもそうではなかった。例のラテン・アメリカ気質が、いぜんとしてキューバ国民の間に根を下ろしているのだった。

ラテン・アメリカ気質とはどういうものか、それを説明するのはきわめて難しいが、それを承知でいえば、誇りと貪欲、そして時間に対する感覚の欠如もその一つにあげられるだろう。かの地においては、何かが予定どおりに運ばれることは奇蹟といってよく、ほとんどあり得ないのだ。メキシコでボリビアでぺルーでアルゼンチンで、わたしは旅行中にさんざん体験してきた。

キューバにおいても、それは例外ではなかった。出国査証のサインを得るために、わたしは一週間待ち、挙句の果ては日曜日に担当官の自宅を探しあてた上で、手にぺンを握らせるようにして、ようやく獲得したありさまだった。

砂糖キビ刈りにしてもそうである。昔から従事していたべテラン農夫は、一日八時間の労働で千二百アローバ(一アローバは十一キロ強)を刈る。首相のフィゲル・カストロは八百アローバを刈る。が、一般の労働奉仕隊員は二百かせいぜい二百五十アローバである。といって、かれらが労働嫌いというのではない。ひとつのことをやりとげるのに、ひどく時間がかかるのだ。

たしかに、革命後のキューバは、すべての面で改善された。義務教育は無料で識字率は百パーセントになったし、飢死するものは根絶された。二度にわたる危機をのりこえて革命はたえず前進し続けてきたが、当然のことながらすべてが順調というわけではなかった。とくに、人間の意識という点では、右のようにむかしながらの気質が各層に残っていた。精神的刺戟よりも物質的な刺戟に心を動かされた。いわば、花よりダンゴである。チェも、ダンゴの有効性を否定はしなかった。キューバ革命は、理論が先行した革命ではなかったし、余りにもひどいバチスタの搾取や暴虐に対する反作として起こった一面もあるのだ。それはいいかえれば、物質的なものを充足させたい欲求でもあったのである。だが、革命は万能の薬ではない。かれらの欲求をすべて充たしてやることはできない。それどころか、現実としては、その半分もかなえてやれない。

―困難な日々は、はるかかなたに過ぎ去ってはいない。経済面でも過ぎ去っていないし、それにもまして、外国の侵略の脅威の面でも過ぎ去ってはいない。本当に、いまは困難な日々なのである。が、いまこそ生きるに値いするのだが。

と、チェは「労働の先頭に立つ新しい態度」を説く。そして、かれ自身は、部下たちがあきれるほどに、先頭に立って働いたのだ。

チェのような献身ぶりは、誰にも真似のできることではなかった。もしも人びとがチェのもっていたような革命に対する情熱やかれが自分に課した責任感のせめて半分でも持っていたならば、キューバ革命の前進は、おそらく眼をみはるものがあったにちがいない。

文藝春秋、三好徹『チェ・ゲバラ伝』P304-308

『チェは「労働の先頭に立つ新しい態度」を説く。そして、かれ自身は、部下たちがあきれるほどに、先頭に立って働いたのだ。』

そして、

「チェのような献身ぶりは、誰にも真似のできることではなかった」

私はこれに尽きると思います。

チェ・ゲバラほど高潔で献身的な男はこの世にいません。いたとしてもそれはほんの一握りでしょう。

そんなチェ・ゲバラほどの男でもマルクス主義は失敗したのです。だからこそゲバラは次の場所を求めてキューバを去ったのです。

マルクス主義理論は徹頭徹尾理性的な革命理論です。

マルクス主義の問題点はそれを運用する人間次第でいとも簡単に全体主義や官僚の腐敗、搾取へと傾いていってしまう点にあります(資本主義陣営でも同じことは起こっていますが・・・)。

マルクス主義を国家に適用して運用した場合、それを指導する人間達が私利私欲に走ったらどうなるか、それは歴史が証明しています。

格差をなくした平等な社会を謳った人間達がいざ権力を握るとどうなるかということです。

権力や富の誘惑に勝てる人間がこの世にどれほどいるでしょうか。

ゲバラはまさにそうした稀有な例と言えるでしょう。ですがそのゲバラをもってしてもマルクス主義による社会変革はうまくいかなかったのです。

ゲバラほどではない人間達がやってみたらどうなることでしょう。私利私欲に走らず、権力の誘惑、自己保身に抗える人がいるでしょうか。いたとしてもそれはごく少数でしょう。多くの人は上で説かれたように「精神的刺戟よりも物質的な刺戟に心を動かされた。いわば、花よりダンゴ」を求めて生きているのです。

理論的な理想だけで人間は動いているのではありません。こうした人間の欲望、感情が考慮に入れられていないのがマルクス主義なのではないでしょうか。とはいえ「資本主義」が万能だとは私も思いません。デメリットがたくさんあるのは言うまでもありません。ですがマルクス主義の決定的な弱点はこうしたところにあるのではないかと私は思います。

マルクス主義を運用する人間は欲望や感情を排して運用しなければならない、そして人々も同じようにしなければならない。

そう考えると「ゲバラほどの男でも失敗した」ということの意味はとてつもないものがあるのではないかと私は思ってしまいました。

ただ、キューバの社会主義はソ連とは違う独特なものだったため、単純にソ連の国家体制や人々の生活と比べることはできません。キューバが置かれた状況は非常に特殊なものでした。そしてその中でカストロやゲバラがなんとか国を立て直そうと奮闘していたことは確かです。その辺りのキューバ事情に関しては以前紹介した伊藤千尋著『キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂』という本で詳しく見ていけますのでそちらもぜひおすすめしたいです。

さて、ゲバラの『マルクス=エンゲルス素描』を通してここまで長々とお話ししてきましたが、私にとってチェ・ゲバラの存在は非常に大きなものがあります。

ゲバラをもっと知るためにもぜひこの作品はおすすめしたいなと思います。

以上、「チェ・ゲバラ『マルクス=エンゲルス素描』~あのゲバラがマルクスの伝記を書いていた!ゲバラはマルクス主義に何を思う?」でした。

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