F・クレインス『ウィリアム・アダムス ―家康に愛された男・三浦按針』~初来日のオランダ船リーフデ号に乗ってきた英国人ウィリアム・アダムスの素顔とは

光の画家フェルメールと科学革命

F・クレインス『ウィリアム・アダムス ―家康に愛された男・三浦按針』概要と感想~日本に初めてやって来たオランダ船リーフデ号に乗ってきたイギリス人の素顔とは

今回ご紹介するのは2021年に筑摩書房より発行されたフレデリック・クレインス著『ウィリアム・アダムス ―家康に愛された男・三浦按針』です。

早速この本について見ていきましょう。

徳川家康の英国人側近の正体とは
プロテスタント、船大工、航海士、王立海軍船長、海賊……

関ヶ原合戦の半年前、ウィリアム・アダムスが日本に辿り着いた背景には、大航海時代の激動する世界情勢があった。彼が見た戦国時代末期の日本では、カトリックのイエズス会がキリスト教の信仰を広げ、イギリスとオランダの東インド会社が貿易の機会をうかがうなど、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ各国の思惑が交錯していた。家康の外交顧問・三浦按針として渦中にあった彼は何をなしたのか。二代将軍・秀忠のもとで禁教と鎖国が進むなか、どんな晩年を送ったか。ウィリアム・アダムスの波乱に満ちた生涯からとらえ直すグローバル・ヒストリー。

Amazon商品紹介ページより
「皇帝(大御所徳川家康)の前のウィリアム・アダムズ」Wikipediaより

今作の主人公ウィリアム・アダムス(1564-1620)はイングランド人の航海士でオランダ船リーフデ号に乗り日本に来航し、徳川家康に仕えたことから有名となった人物です。

彼が生まれた1564年といえばあのシェイクスピアガリレオ・ガリレイが生まれた年です。『ドン・キホーテ』の著者セルバンデスも同時代人です。

さて、この本を読んだのは前回の記事で紹介した平川新著『戦国日本と大航海時代』がきっかけでした。

この本では信長・秀吉・家康の3人が以下に世界情勢に通じていたかということに驚かされました。

スペイン・ポルトガルが宣教師を通じて侵略を企てていることや、彼らの武力がどれくらいのものなのかということもかなり正確に見抜いています。そしてさらにそれら西洋勢力を跳ね返すだけの武力が実際にあったというのも驚きでした。

スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダは行く先々で問答無用で武力を行使して支配を広げました。

ですが日本ではなぜかそれをしなかった。

よくよく考えれば不思議でしたがその裏には「しなかった」のではなく「できなかった」という事実があったのです。これは目から鱗でした。

そんな世界レベルの武力抗争や頭脳戦が繰り広げられていた中、大きな役割を果たしていたのが今回紹介する本の主人公ウィリアム・アダムスだったのです。

彼はイングランド人です。ですので敵国スペイン・ポルトガルがどんな思惑で動いているかが丸わかりです。彼の序言があったからこそ家康は広い視野で国際政治を行うことができました。

もちろん、ウィリアム・アダムス以前から信長、秀吉をはじめ情報収集はかなり正確に行われていました。

しかしスペイン・ポルトガル人以外の西洋船が1600年に初めてやってきたというリーフデ号に乗船していたウィリアム・アダムスの存在は非常に大きなものがあったと思います。

この本ではまずリーフデ号をはじめとしたオランダ艦隊の苦難の航海について語られます。ウィリアム・アダムス自身はイギリス人でしたがリーフデ号はオランダ船です。当時、イギリス・オランダ人は互いの国の船に乗ることもよくあったそうです。

南米最南端のマゼラン海峡を通り太平洋を越えてやってきたリーフデ号。その航海は悲惨を極め、日本にたどり着いた時にはまともに動くことができる船員はほとんどいなかったそうです。この本を読めば当時の航海がいかに過酷なものだったかがよくわかります。大航海時代といってもまだまだ長距離の船旅は危険なものだったということを感じます。

そして日本到着後からは家康との関係や当時の日本とスペイン・ポルトガル・イギリス・オランダを巡る国際情勢の問題も語られます。

前回紹介した『戦国日本と大航海時代』でもそうでしたが、この辺りの外交駆け引きは非常に興味深いものがありました。

フェルメールをきっかけに東インド会社に興味を持った私でしたが、そこから日本の歴史とも繋がったということでこれは楽しい読書になりました。

ウィリアム・アダムスがオランダ船リーフデ号で日本に漂着したというのは後のオランダ東インド会社と幕府との貿易に非常に大きな影響を与えることになります。

フェルメールと東インド会社、そして江戸幕府。

この3つのつながりを考えながらフェルメール絵画を鑑賞する。これは何ともマニアックでありながら楽しい鑑賞スタイルでもあります。絵そのものの素晴らしさから私はフェルメールにはまったのでありますが、こういう歴史的、地理的な面から考えていけるのもフェルメールの魅力なのではないかなと思います。

地理学者』1669年頃。シュテーデル美術館フランクフルト)。Wikipediaより

この絵にも東インド会社との関わりはいくつも出てきますし、男性が羽織っている青い着物はそれこそ日本由来のものです。

こうした東インド会社とフェルメールのつながりは以前当ブログでも紹介したティモシー・ブルック著『フェルメールの帽子』で詳しく解説されていますのでぜひそちらの本も手に取って頂ければなと思います。

以上、「F・クレインス『ウィリアム・アダムス ―家康に愛された男・三浦按針』初来日のオランダ船リーフデ号に乗ってきた英国人ウィリアム・アダムスの素顔とは」でした。

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