エンゲルスの恵まれた家庭環境と故郷の町バルメン(現ヴッパ―タール)の社会事情とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(2)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

綿工場経営者の家に生まれたエンゲルス~彼の恵まれた家庭環境と故郷の町バルメン(現ヴッパ―タール)の社会事情とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(2)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しく2人の生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

エンゲルスの誕生

1820年、エンゲルスはドイツのバルメン(現ヴッパータール)に綿工場経営者の子として生れました。

現在、ヴッパータールは金融とファッションの街、デュッセルドルフのベッドタウンになっているそうです。ケルンも近いですね。

では、本文でエンゲルスの誕生について見ていきましょう。

赤ん坊のフリードリヒは、革命家となる将来など何一つにおわせるもののない家族と文化のなかに迎え入れられた。しかし、まもなくそれを声高に否定するようになった。家庭崩壊したわけでもなければ、父親を亡くしたのでも、寂しい子供時代を送ったのでもなく、学校でいじめに遭ったわけでもない。代わりに、彼には愛情深い両親と、甘やかす祖父母、大勢のきょうだい、安定した豊かな暮らしと、一族が代々培ってきた具体的な目的意識があった。


筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P19-20

エンゲルス家は典型的な上流ブルジョワ家庭であり、何一つ不自由のない温かな家庭でした。ですが、そういう環境から後に革命家と呼ばれる男が生まれてくるというのは歴史の不思議な巡り合わせですよね。

エンゲルス家の歴史

エンゲルスの家系は十六世紀末のラインラントの農場までさかのぼることができるが、一族が裕福になったのは、エンゲルスの曾祖父に当たるヨハン・カスパー・エンゲルス一世(一七一五~八七年)が十八世紀後半にヴッパータールにやってきてからだ。

農業から工業に鞍替えしたカスパーはヴッパー川―ライン川の支流の一つ―の石灰を含まない水と、その水で麻糸を漂白することから手に入る富に目を付けた。ポケットには二五ターラー〔大型銀貨〕しかなく、ほかには(一家の言い伝えによれば)背中の荷かごしかもたずにやってきた彼は、ヴッパー川沿いの深い谷の傾斜地にしがみつくような小さな町バルメンに住み着くことにした。勤勉な起業家の彼は、漂白場まで完備した紡績業を始めて大いに成功し、やがていち早くレースの編み機を備えた工房を創設した。息子たちに譲り渡したころには、会社はバルメンでも有数の企業となっていた。

それでも、カスパー・エンゲルス・ウント・ゾーネ商会は、単なる現金支払いの結びつき以上のものを社風としていた。のちにエンジン全開の産業化のもとで強いられたほど、労働者と雇い主のあいだの境目が明確でなかった時代に、エンゲルス家は家父長主義に利潤追求を融合させ、その思いやりのある雇用形態と、児童就労を禁ずる姿勢で広く知られていた。数世代にわたって、エンゲルス家は従業員たちに住居や菜園、それに学校までも提供するようになり、食糧不足のときは穀物の共同組合が設立された。その結果、エンゲルスはリボン織工や指物師、職人たちと気軽に入り交じりながら幼年時代を過ごし、階級にこだわらない気安きが彼のなかに育まれた。その経験がのちに〔イギリスの〕ソルフォードのスラム街やパリの共産主義者クラブで役立つことになる。

ヨハン・カスパーの息子たちは家業を受け継ぎ、事業を拡大して絹リボンの生産も始めた。一七八七年に彼が没するころには、エンゲルス家は商売を繁盛させつつ高邁な社会貢献活動にも従事することで、ヴッパータールの地域内で傑出した社会的地位を築くようになった。エンゲルスの祖父ヨハン・カスパー二世は市会議員に任命され、バルメンの福音主義の合同教会の創立者の一人となった。

だが、家業が三代目―エンゲルスの父親とおじたち―に受け継がれると、一家の結束力は失われた。度重なる諍いの末に、一八三七年に三人の兄弟は誰が事業を継ぐかをくじ引きで決めることにした。父フリードリヒ・エンゲルスは負けて、新たに事業を起こすことになり、二人のオランダ人ゴットフリート(ゴッドフリー)とぺーター・エルメン兄弟とともに合名会社を始めた。

彼はそこで急速に起業家としての才能を発揮し、新会社エルメン&エンゲルス商会は麻の漂白から綿糸紡績へと多角化をはかり、マンチェスターに一連の縫糸工場を立ちあげ、一八四一年にはバルメンと近くのエンゲルスキルヒェンにも工場を建設した。
※適宜改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P21-22

エンゲルス家の工場が当時としてはかなり人道的な立場で会社を運営していたというのはかなり驚きですよね。しかも慈善活動にも取り組み、町の名士として評価されていたというのにも驚きました。

そこからエンゲルスの父の代になって会社を起業してできたのが、後にエンゲルスも働く「エルメン&エンゲルス商会」だったのです。

「ドイツのマンチェスター」と呼ばれたドイツ産業革命の中心地ヴッパータール

これが当時の商人工場主のエリート(いわゆるファブリカンテン)の世界で、エンゲルスはそのなかで育った。産業と商業、市民としての義務と家への忠誠に取り囲まれた子供時代である。もちろん、エンゲルス家のような裕福な家庭―「正面はたいがい切石で覆われ、最高の建築様式で建てられた広々とした贅沢な家」と評された場所に住んでいた―は産業化がおよぼした非情な影響から守られていた。しかし、彼らとてそれをまったく避けるわけにはいかなかった。ヨハン・カスパーの例に倣って、産業がもたらす希望の分け前に与ろうと、同じように決意を固めた何万人もの労働者たちがヴッパータールへ押し寄せてきていたからだ。

一八一〇年には一万六〇〇〇人だったバルメンの人口は、一八四〇年には四万人を超えていた。バルメンとニルバーナエルトを合わせた人口は、七万人を超えた。一八四〇年代の〔イギリスの〕ニューカッスルやハルとほぼ同じ規模である。この流域の労働人口は、染色職一一〇〇人、紡績エ二〇〇〇人、さまざまな素材の織エ一万二五〇〇人、リボン織工と縁飾り職人一万六〇〇〇人から構成されていた。大多数は質素な家屋や小さな工場で仕事をしていたが、かなり大きな新世代の漂白場と紡織工場も登場しており、一八三〇年代にはこの流域だけでもニ〇〇近い工場が操業していた。

「ここはヴッパー川の両岸周辺で奮闘する細長い町だ」と、一八四〇年代にこの町を訪ねた人は書いた。「一部の地域は立派に建設され、道もきちんと舗装されている。だが、町の大半はきわめて不規則でひどく狭い通りからなる……。川そのものは胸が悪くなる代物で、あらゆる下水が集まる開渠の汚水溜めとなり、染色用の施設からでてくるさまざまな色を一緒くたにして、一つの濁った不透明色に変化させ、それを目にしたよそ者を身震いさせる」

かつては〔イギリス〕のぺナイン山脈やダービーシャー州ダーウェント渓谷―上方には緑の野原と森があり、谷底には澄んだ急流が走り、工場や工房のために初期に水力を提供してくれた渓谷―にも例えられたヴッパータールの渓谷は、まもなく汚染され、人口過密の「ドイツのマンチェスター」と呼ばれるにふさわしい状況となった。

「紫の波になった細い川の流れは、煙を吐く工場の建物と糸の散らばった漂白場のあいだを、ときには速く、ときには淀みながら流れている」というのが、エンゲルスが自分の生地をのちに描写した言葉である。

「だが、その真っ赤な色は流血の戦いがあったためではない……ただ単にトルコ赤〔アカネ染め〕を使用して染色を繰り返したためなのだ」。

エンゲルスは幼少期より工房や漂白場の刺激性の悪臭のなかで、産業化によるこの秘薬にさらされていた。深刻な貧困もこれみよがしの富も覆い隠す、涙目と鼻血を引き起こす公害である。感受性の強い少年であった彼は、そのすべてを吸収した。
※適宜改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P21-22

ドイツの新興工業地帯に生まれたエンゲルス。工業化がもたらす悲惨な環境破壊や労働者の貧困を間近で見ながら彼は育っていったのでした。そして後に彼がマンチェスターに行き、世界で最もひどい環境で工場経営者として生活することになるのも不思議な縁だと思います。歴史はエンゲルスを選んだということなのでしょうか。非常に興味深い歴史の巡り合わせのように思えます。

ヴッパータールのこうした環境はエンゲルスの幼少期から青年期にかけての思想形成に大きな影響を与えることになりました。そしてもう一つ、エンゲルスに非常に大きな影響を与えたものがあります。

それがヴッパータールの宗教事情でした。これはヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で語られることと重なる面があり、非常に興味深い事象となっています。

次のページで産業革命の波にさらされるこの町の宗教事情をじっくり見ていきますのでぜひ引き続きお付き合い頂ければと思います。

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