アーレント『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』概要と感想~ホロコーストはなぜ起こってしまったのか。人間の闇に迫る一冊

スターリンとヒトラーの虐殺・ホロコースト

悪の陳腐さとは~アーレント『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』

ハンナ・アーレント(1906-1975)Wikipediaより

今回ご紹介するのは2017年にみすず書房より発行されたハンナ・アーレント著、大久保和郎訳の『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 です。

早速この本について見ていきましょう。

アイヒマン裁判に著者が見、考え、判断したことは?
現代史・政治学・アーレント研究の現在から、邦訳旧版に大幅に手を加えた新版。

アウシュヴィッツのナチ将校アイヒマン裁判への透徹した観察であり、〈悪〉の陳腐さを衝いた問題作。
1969年に刊行された邦訳に基づき、現代史・政治学・ホロコースト研究・アーレント研究の現在から用語を中心に大幅に手を加え、用字法なども今後の読者のために読みやすく書き換えた。
関係年表も一新。四六判になって生まれ変わった『エルサレムのアイヒマン』(今までの『イェルサレムのアイヒマン』からタイトルも変えました)から、新たな読書体験が始まる。
不朽の名著の新版をついに刊行。解説・山田正行

Amazon商品紹介ページより

この本はアーレントの有名な「悪の陳腐さ」という言葉が生まれた作品になります。

アーレントはこの作品でナチスのホロコーストにおける恐るべき殺人システムの背景を考察します。

アーレント(1906-1975)はドイツ、ハノーファー生まれのユダヤ系の哲学者です。ハイデガーやヤスパースに師事していましたが、ナチスによる迫害によって1933年にパリに逃れ、1941年にはアメリカに亡命しています。

ここで『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 の成立の流れを仲正昌樹著『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』より見ていきたいと思います。

アーレントは、ナチスの迫害を逃れ、難民としてアメリカに渡って十年が経ち、『全体主義の起原』を刊行した一九五一年にアメリカ国籍を取得しました。「市民」という立場を取り戻した彼女が次に取り組んだのは、「人間」の歴史的起原を探るという仕事でした。

この哲学的探求は、七年の歳月をかけ、『人間の条件』として結実します。アーレントが「人間」をどのようなものと考え、どのように条件づけたかについては、終章でもう一度じっくりと検討してみたいと思います。その後はカリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学、コロンビア大学などで客員教授を務め、アメリカで「学者」としての足場も固めていきました。

さらに六〇年代に入ると、アーレントの名はアカデミズムやジャーナリズムの世界を超えて、広く世間に知られるようになります。そのきっかけとなったのが『エルサレムのアイヒマン』です。

本著の主役であるアドルフ・アイヒマンは、ナチス親衛隊(SS)の中佐だった人物です。最高幹部というわけではありませんが、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、管理する部門で実務を取り仕切っていました、ナチスの主だった幹部はすでにニュルンべルクの国際軍事法廷で裁かれ、死刑に処されていましたが、彼はアルゼンチンに逃げ延びていました。一九六〇年五月、潜伏していたアイヒマンをイスラエルの諜報機関モサドが拘束。イスラエルに強制連行し、翌年、エルサレムの法廷で裁判が開かれました。

アイヒマンはアルゼンチンに住んでいたわけですから、モサドによる強制連行は、アルセンチンの主権を侵害する問題行為といえます。裁判そのものも、本来であれば国際法廷に委ねられるべき事案でしょう。しかし、ナチスによる大量殺戮の記憶が生々しい当時、他の国々も国連も、致し方ないとしてこれを容認したのでした。

政治哲学者として一定の影響力を持つようになっていたアーレントは、自ら『ザ・ニューヨーカー』誌に志願し、特派員としてエルサレムに赴いて裁判を傍聴します。アイヒマンは、アーレントが自著で洞察した「全体主義」運動を、その中枢に近いところで支えた人物の一人。人間の、どんなメンタリティが全体主義を動かしたのか、自分の目で確かめたかったのでしょう。

『エルサレムのアイヒマン』は、裁判の傍聴録という形を取りながら、全体主義体制における道徳的「人格」の解体について考察しています。

NHK出版、仲正昌樹『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』P160-162

そしてこの『エルサレムのアイヒマン』が注目されたのは何と言っても「悪の陳腐さ」という言葉が語られたからでありました。

この言葉はアイヒマンが処刑されていく様を描写したアーレントがその最後に述べた言葉です。

それはあたかも、この最後の数分間のあいだに、人間の邪悪さについてのこの長い講義がわれわれに与えてきた教訓―恐るべき、言葉に言い表すことも考えることもできない悪の陳腐さ、、、、、という教訓を要約しているかのようだった。

みすず書房、ハンナ・アーレント、大久保和郎訳『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』P349

なぜこの言葉が世界に衝撃を与えることになったのか、そのことについて 『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』 では次のように書かれていました。

イスラエル内外のユダヤ人ほどではないにしても、西欧諸国の人々も、ホロコーストという未曽有の事態に対して分かりやすい形での裁きが必要であると感じていたでしょうし、ホロコーストを防げなかったことへのうしろめたさも持っていたでしょう。ホロコートを立案した責任者が引き出され、その帰結に対して断罪されねばならない。そういう気持ちでアイヒマン裁判を見れば、アイヒマンはホロコーストという歴史上前例のない事態を引き起こすのに相応しい人間でなければなりません。

「最終解決」の実行責任者であるアイヒマンは、ユダヤ人に対して強い憎しみを抱いていたはず。凶悪で残忍な人間に違いない―。アイヒマン裁判に注目していた人々は、そのように想像(あるいは期待)していました。しかしアーレントは、実際の彼はまったくそうではなかったと記しています。

そうした姿勢は「悪の陳腐さについての報告」という本書のサブタイトルにも表現されています。陳腐と訳された英語の「banal」は、「どこかで見たような」「ありふれた」「凡庸な」という意味の形容詞。どこにもいそうなごく普通の人間だった、ということです。

若い頃から「あまり将来の見込みのありそうもない」凡人で、自分で道を拓くというよりも「何かの組織に入ることを好む」タイプ。組織内での「自分の昇進にはおそろしく熱心だった」とアーレントは綴っています。

NHK出版、仲正昌樹『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』P 165-166

ホロコーストの責任者の一人であるアイヒマンは極悪人であるはずだ。そうでなければあんなことはできるはずはない。

世界中の誰しもがそう思っていました。

しかしアーレントはそれを覆す「悪の陳腐さ」という概念を提唱することになります。ここに世界中の人たちの衝撃があったのでした。

『エルサレムのアイヒマン』の中でそのことについて語られた箇所をいくつかここで紹介します。

彼は自分の義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従ったのだ

彼のすることはすべて、彼自身の判断し得るかぎりでは、法を守る市民として行なっていることだった。彼自身警察でも法廷でもくり返し言っているように、彼は自分の義務、、を行なった。命令、、に従っただけではなく、法律にも従ったのだ。(中略)

彼は法を守る市民の義務と思うことを遂行しただけではなく、―何かの〈かげに隠れる〉ようにいつも心がけていたから―命令によって行動したのだ。彼はすっかりしどろもどろになリ、しまいには盲目的服従、あるいはKadavergehorsam(死んだような服従)―そう彼自身言うのだが―の美点を説くかと思うとまたその欠点を説くというていたらくだった。


みすず書房、ハンナ・アーレント、大久保和郎訳『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』P 189-190

私は悪くない。むしろ法を守ること、従順であることは社会の美徳であった。私は義務を行っただけなのだ。なぜ私は裁かれなければならないのか。

アイヒマンはそう述べるのでありました。

自分は犠牲者なのだ。そして指導者たちのみが罰に価するのだ。

アイヒマンの最後の発言があった。裁判にかけた自分の期待は裏切られた。自分は真実を語ろうとして最善を尽くしたのに法廷は自分を信じなかった。法廷は自分を理解しなかった。自分は決してユダヤ人を憎む者ではなかったし、人間を殺すことを一度も望みはしなかった。自分の罪は服従のためであるが、服従は美徳として讃えられている。自分の美徳はナチの指導者に悪用されたのだ。しかし自分は支配を行う徒党には属していなかった。自分は犠牲者なのだ。そして指導者たちのみが罰に価するのだ。(彼は多くの下級戦争犯罪人ほどだらしなくはならなかった。この連中は〈責任〉のことは決して心にかけるなと言われていたのに、責任ある連中が自分たちを〈見捨てて逃げ出して〉しまったから―自殺によって、または絞首されて―その連中を呼んで説明を求めることができないとさんざん不平を鳴らしたものである。)「私は皆に言われているような冷酷非情の怪物ではありません」とアイヒマンはいった。「私はある謬論の犠牲者なのです」。彼は(スケープゴート)という言葉は使わなかったが、ゼルヴァーチウスが前に言ったことを確認した。それは「[自分は]ここで他人の尻ぬぐいをさせられるという深い確信」だった。

みすず書房、ハンナ・アーレント、大久保和郎訳『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』P 341-342

アイヒマンはこの裁判で「自分は決してユダヤ人を憎む者ではなかったし、人間を殺すことを一度も望みはしなかった」とまで述べます。 権力者のせいでそうせざるをえなかったのだ。自分こそ犠牲者であると供述したのでありました。

アイヒマンはノーマルだった

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。われわれの法制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。なぜならそれは―ニュルンべルク裁判でくり返しくり返し被告やその弁護士が言ったように―、事実上hostis generis humani(人類の敵)であるこの新しい型の犯罪者は、自分が悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味しているからだ。


みすず書房、ハンナ・アーレント、大久保和郎訳『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』P 381-382

アイヒマンは極悪人ではなく、どこにでもいそうな人間であった。これが世界中を震撼させることになり、同時に激しい論争を引き起こすことになりました。

すべての人間が有罪ならば、有罪な者はひとりもいないということだ

君はまた、最終的解決において君の演じた役割は偶然的なものにすぎず、ほとんどどんな人間でも君の代わりにやれた、それゆえ潜在的にはほとんどすべてのドイツ人が同罪であると言った。君がそこで言おうとしたことは、すべての、もしくはほとんどすべての人間が有罪である場合には、有罪なものはひとりもいないということだった。


みすず書房、ハンナ・アーレント、大久保和郎訳『 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』P 383

すべての人間が犯罪に関わったならば、有罪な者はひとりもいないという発想はまさしくこれまで当ブログでもお話ししてきたルワンダのジェノサイドにも通じる部分です。

これは前回の記事「アーレントの「悪の陳腐さ」は免罪符になりうるのか~権力の歯車ならば罪は許される?ジェノサイドを考える」でもお話ししました。

「命令だから」「義務だから」「服従せねば自分が危険だから仕方なくやった」

もしすべての人がそう言ったら一体誰を裁けばいいのだろうか。そうした問題がここで浮上してきます。

アイヒマンの悪の陳腐さはこうした難しさをはらむため、世界中で激しい議論を呼ぶことになりました。そしてアーレントに対する非難も強まることになります。アーレントがなぜ批判されなければならなかったのかについては長くなってしまうのでここではお話しできませんが、その顛末については上でも引用した仲正昌樹著『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』にわかりやすく解説されていますのでぜひそちらもご参照ください。

おわりに~アイヒマンは陳腐な悪人ではない?アイヒマンの衝撃の事実

ここまでハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』を紹介してきましたが、実はこの「悪の陳腐さ」については近年驚くべき検証がなされています。

それが次の記事で紹介する『エルサレム以前のアイヒマン』です。

この本では近年研究が進んできた資料によってモサドに逮捕される前のナチス時代、そしてドイツ、アルゼンチンでの逃亡期間のアイヒマンの言動が語られます。文字通り「エルサレムでのアイヒマン裁判」以前のアイヒマンの姿が語られます。

そしてそこで明らかにされるアイヒマンは「悪の陳腐さ」とは真逆の姿でした。アイヒマンは単なる権力の歯車などではなかったのです。

この本では アイヒマン裁判の「自分は決してユダヤ人を憎む者ではなかったし、人間を殺すことを一度も望みはしなかった」 などの証言が大嘘だったことが暴露されます。

アーレントは逮捕以前のアイヒマンを知りませんでした。そして世界中のほとんどの人も彼の実態を知ることなく裁判が続けられたのです。

これによってアーレントの「悪の陳腐さ」という理論がすべて崩壊するわけではありませんが、それをアイヒマンに適用するのはかなり厳しいというのがこの本の述べんとすることです。これはかなり衝撃です。

「悪の陳腐さ」という言葉の響きは強烈です。そしてすべての人が虐殺を行いうるというアーレントの理論は世界に衝撃を与えました。

そして実際にホロコーストに関わった人間が「義務」、「仕事」として殺戮に関わった事実。人間はその状況に巻き込まれてしまえば巨大な悪も犯しうる。こうした洞察の鋭さはこれからも評価を失うということはないと思います。

ただ、これまで当ブログでもスレブレニツァやルワンダの虐殺を見てきたように、だからといって加害者の罪がなくなるというのは非常に厳しい問題なのではないかと思います。

もちろん、アイヒマン自身は有罪判決を受けたわけですが、彼自身自分の罪のことをどう思っていたのかは難しいものがあります。自分は全く悪いことをしていないと思ったまま死んだのかもしれません。

そうなってくると、何が罪で、どこまでが罪とされる範囲なのかという問題も考えなければなりません。そして罰とは何か、赦しとは何かも。

となればますます事態は複雑になってきます。

この記事だけで簡単にまとめられることではありません。

ですが、この本を読んだことでアーレントの「悪の陳腐さ」というものがどういう文脈で語られた理論なのかということを知ることができました。これは今後も考え続けていきたいテーマになりました。

では、引き続き次の記事ではそんなアーレントの「悪の陳腐さ」を覆しかねない本、『エルサレム以前のアイヒマン』を紹介していきます。

引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。

以上、「アーレント『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』ホロコーストはなぜ起こってしまったのか。人間の闇に迫る一冊」でした。

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