萩原俊治『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』~ドストエフスキーを通して人生を問うおすすめの参考書

ドストエフスキー論

萩原俊治『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』概要と感想~ドストエフスキーを通して人生を問うおすすめの参考書

今回ご紹介するのは2021年6月にイーグレープより発行された萩原俊治著『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』です。

本の内容に入る前に著者のプロフィールを見ていきましょう。

萩原俊治(はぎはらしゅんじ)

1947年 兵庫県に生まれる
1973年 神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒業
1975年 神戸市外国語大学大学院外国語研究科ロシア語学専攻修了
1995年 大阪府立大学助教授
2001年 大阪府立大学教授
2012年 大阪府立大学退官、名誉教授

著書
「『貧しき人々』と隠された欲望」(1989)
「誰がドストエフスキーを読むのか」(1994)
「ドストエフスキーとヴェイユ――「真空」について」(2008)
など、ドストエフスキーに関する論文多数

ブログ
「こころなきみ」https://yumetiyo.hatenablog.com/

イーグレープ、萩原俊治著『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』より

萩原俊治氏は大阪府立大学の教授として勤められ2012年に名誉教授となられました。

また、現在も大阪府立大学の公開講座「ドストエフスキーを読む」を開講されています。

上のプロフィールにもありますが、私も萩原氏のブログのファンで、特に『カラマーゾフの兄弟』について書かれた記事に大きな感銘を受けました。ぜひおすすめしたいです。

では、『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』の内容を見ていきましょう。

出版社からのコメント
ドストエフスキー研究の第一人者、萩原俊治先生の新著はキリスト教的視点から書かれた本ではありません。しかし、間違いなくキリスト者が読むべき本です。数多あるドストエフスキー関連の本とは一線を画した本書は新たな発見が満載で、読めば思わず「ああ! 」と声が出そうになります。

商品紹介
「われわれはだれでも、すべての人に対してあらゆる面で罪深い人間だけれど、なかでも僕はいちばん罪深いんですよ。」(本文より) 『カラマーゾフの兄弟』の登場人物にこう言わしめるドストエフスキーにとって、「罪」とは、「回心」とは何なのか。 「自尊心」とは何か。そして、なぜ「エレベーター」なのか……。 長年のドストエフスキー研究に加え、聖書の言葉と登場人物にエピソードを重ね合わせることで著者が導き出した答えを、あなたはどうお感じになるだろうか。 全てのドストエフスキー研究者と愛好家、全ての熱心なクリスチャンたちに捧げる本書は、「あとがき」まで気が抜けない著者渾身の一冊です。

Amazon商品紹介ページより

なんとも熱い商品解説ですよね!ですが、この本の特徴をまさに言い表しているように感じます。

私もこの本の熱さに引き込まれ、一気に読み切ってしまいました。ものすごく面白いです。

目次を見て頂けますとわかりますように、ドストエフスキーに初めて触れるという方にとってはあまり聞かない言葉が多いと思います。

フォマー・オピースキンというのはドストエフスキーのシベリア流刑後に書かれた中編『ステパンチコヴォ村とその住人』という作品に出てくる人物です。この作品は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などと比べて明らかに知名度が低い作品ですが、萩原氏のこの本を読めばその重要性がよくわかります。

私自身初めてドストエフスキー全集を読んだ時、このフォマーには苦しめられました。私にとって『ステパンチコヴォ村とその住人』は苦手でありながら強烈な印象を残した作品でしたが、なぜ私がこんなにもこの作品に衝撃を受けたかというのが萩原氏の解説を読むことですっと腑に落ちたように感じました。

また、この本でありがたいのはポリフォニーについての解説がある点です。

ポリフォニーと言えばドストエフスキーの参考書を読めばよく出てくる概念です。

ですがこれがとにかく難しい・・・私はいくら解説を読んでも「なんとなくわかるようなわからないような」微妙な地点で右往左往するしかありませんでした。

ですが萩原氏の解説によって、これもフォマーの時と同じく「なるほど!」と思わず声を出してしまうほどでした。これは本当にありがたかったです。

最後に、書名にもありますように「自尊心の病」や「エレベーター」という言葉の意味についてです。これらがこの本を貫く核心です。ここでそれらは何を意味するかはお話しできませんが、萩原氏がこれまで生きてこられた歩みが見えてくるようで圧倒されました。

萩原氏はあとがきで次のように述べています。

昔、わたしはドストエフスキーが分からなくて苦しんでいた頃、ロシア語の聖書を教えてもらっていた大阪ハリストス教会の故牛丸神父から、「信仰がなければ、ドストエフスキーの小説はゴミと同じです」と言われ、驚いたことがある。牛丸神父はトルストイを罵倒し、同時にドストエフスキーを賞賛しながら、そう言われた。今から思えば、牛丸神父のいう「信仰」とは、イエス・キリストという存在の意味が分かるようになるということ、つまり、わたしの言葉で言えば、「自尊心の病」が分かるようになるということだった。要するに、牛丸神父のその言葉をわたしの言葉で言い直せば、トルストイには自尊心の病が分からず、ドストエフスキーには分かった、ということだ。

しかし、本書でも述べたように、わたし自身は、自尊心の病が分かるということは、キリスト教の枠を超えた、わたしたちの誰もが経験しなければならないことだと考えている。そして、その経験がなければ、わたしたちの人生は生きるに値しないものになる、と、わたしは思っている。

いや、それはわたしたち個々の人生に限ることではない。自尊心の病の分からない人々はこの世界を地獄にしてしまうだろう。と言うより、わたしの目には、世界はすでにそのような人々によって、ムンクがその『叫び』という絵で描いたような世界になっているように見える。だから、わたしたちはどうしても自分の自尊心の病に気づかなければならないと思う。

しかし、そういうわたし自身、長い間自分の自尊心の病に気づくことができず、そのため、わたしのまわりにいる人々の生活を地獄のようなものにしてきた。わたしは本書をそのような人々に対する贖罪として書いた。本書はドストエフスキー論という体裁をとってはいるが、わたしの罪の「告白」に他ならない。

この「告白」を出版するにあたって、無名であると同時に貧しいわたしは、資金面で大学の先輩であり、わたしの市民講座の受講生でもある山田晶一氏の援助を受けた。氏にはいくら感謝してもしきれるものではない。氏の援助が実りあるものになるよう、本書が多くの人に読まれることを願う。

イーグレープ、萩原俊治著『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』P191-192

この本は萩原氏の熱いメッセージで溢れています。この本は単にドストエフスキーを解説するだけでなく、ドストエフスキーを通して人生そのものを探究していく1冊です。とてもおすすめな作品です。ぜひ手に取って頂きたい1冊です。

以上、「萩原俊治『ドストエフスキーのエレベーター 自尊心の病について』」でした。

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