ドストエフスキー

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(7)客だらけのドストエフスキー家の家庭状況と新婚早々親類からの嫁いびりに苦しむアンナ夫人

これまでドストエフスキーの経済状況、持病のてんかんと彼の抱える問題を見てきましたがその最後に彼の家庭環境を見ていきます。

実はアンナ夫人の新婚生活にとって最も苦しかったのがこの家庭環境だったのでした。

嫁いびりといえばよくあることのように思えてしまうかもしれませんがそこはあのドストエフスキー家です。やはり一筋縄ではいかない苦難をアンナ夫人は味わうこととなりました。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(6)ドストエフスキーが生涯苦しんだ持病てんかんの発作を目の当たりにするアンナ夫人

前回の記事ではドストエフスキーの経済状況についてお話ししましたが、彼の抱えていた問題は借金だけではありませんでした。

ドストエフスキーのてんかんは彼の代表作『白痴』の主人公ムイシュキン侯爵や『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフを通して描かれています。特に『白痴』はアンナ夫人とのヨーロッパ旅行中に執筆されたものであることも意味深いです。ドストエフスキーは常にてんかんの発作に怯えて生きていかなければならなかったのでした。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(5)結婚初期のドストエフスキーの危機的な経済状況~なぜ彼はいつまでも貧乏なままだったのか

前回の記事で見たように、めでたく結ばれた二人は翌1867年2月15日に結婚式を挙げ、同居をスタートします。

ですが案の定と言うべきか、幸せいっぱいに思われた新婚生活は問題が山積みでした。

この記事ではそんな二人の第一の問題である経済状況を見ていきます。この経済問題があったからこそ二人は後に西欧へと旅立たねばならなくなってしまったのです。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(4)文豪ドストエフスキーの一風変わったプロポーズ!アンナ夫人に小説仕立ての愛を告白したドストエフスキーの大勝負!

『賭博者』の執筆は順調に進み、期限までに完成することになります。

しかし、この仕事が終わってしまえばもう二人は今までのように会うこともなくなってしまいます。せっかく恋が芽生え始めたのにそれも終わってしまうのか・・・

さあ、どうするドストエフスキー!

そしてついに、彼は一世一代の大勝負に出ます。

・・・プロポーズだ!

そしてこのプロポーズが何ともドストエフスキーらしくてたまらない。

この記事では文豪ドストエフスキーの一世一代のプロポーズを紹介します。ぜひ彼のプロポーズを皆さんも見届けてください。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(3)ドストエフスキーとアンナ夫人の恋のはじまり~『賭博者』口述筆記の共同作業を通して急接近する2人

前回の記事ではドストエフスキーとアンナ夫人の出会いをお話ししました。

今回の記事ではそんな2人の恋の始まりについてお話ししていきます。

「・・・いつになったらあなたの旅行記は始まるんですか?」

まあまあ、まずは2人の馴れ初めから結婚までゆっくり見ていこうではありませんか。その方が必ずや旅の空気というものが伝わるというもの。今しばらくお付き合い願います。

では、始めていきましょう。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(2)ドストエフスキーとアンナ夫人との出会い~絶望的な状況で始められた『賭博者』の口述筆記

今回の記事ではいよいよ今回の物語の主人公であるドストエフスキーとその妻アンナ夫人の出会いについてお話ししていきます。

二人が出会ったのは1866年の10月のこと。ドストエフスキー45歳、アンナはなんと20歳の年でした。この時彼女は速記の講義に通う学生だったのです。

なぜこうも年の差ある二人が出会うことになったのか。まずはアンナ夫人の声を聞いていくことにしましょう。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(1)妻アンナ夫人と出会うまでのドストエフスキー(1821~1866年「誕生から『罪と罰』頃まで)をざっくりとご紹介

この記事ではドストエフスキーが妻アンナ夫人と出会うまでの前半生をざっくりと振り返っていきます。彼の波乱万丈な人生を短くまとめるのはなかなかに難しいことではありますが、できるだけコンパクトに要点をまとめてみました。

ドストエフスキーがいかに苦しい人生を送ってきたかを知れば、アンナ夫人との出会いがいかに幸運なものであったかがはっきりすることでしょう。

ドストエフスキーの像ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

上田隆弘『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』~文豪の運命を変えた妻との一世一代の旅の軌跡を辿る旅

この旅行記は2022年に私が「親鸞とドストエフスキー」をテーマにヨーロッパを旅した際の記録になります。

ドイツ、スイス、イタリア、チェコとドストエフスキー夫妻は旅をしました。その旅路を私も追体験し、彼の人生を変えることになった運命の旅に思いを馳せることになりました。私の渾身の旅行記です。ぜひご一読ください。

ドストエフスキー論

星野立子『シェイクスピアとロシアの作家・演劇人たち』~ドストエフスキーやトルストイとのつながりを知れるおすすめ作品!

この本はタイトル通り、シェイクスピアとロシアの作家・演劇人たちとのつながりについて書かれた作品です。

この本ではプーシキンやドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、スタニスラフスキー、パステルナークと、ロシア文学界の大御所がずらりと並んでいます。

ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフと、ロシア文学を考える上で絶対に避けることのできない重鎮たちとシェイクスピアのつながりをじっくり見ていけるこの本はとても貴重です。

ドストエフスキー論

藤澤房俊『「イタリア」誕生の物語』~ドストエフスキーがなぜ妻とローマに行かなかったのかを知るために読んだ1冊!

ドストエフスキー夫妻はイタリアにも長期滞在しました。ですが私はこれまでずっと気になっていたことがありました。それが「なぜドストエフスキーはローマに行かなかったのだろうか」ということです。

せっかくイタリアまで来てローマに行かないというのはよくよく考えてみれば不思議ですよね。

この本のおかげでドストエフスキーが避けたローマ周辺の政治状況を知ることができました。私にとって非常にありがたい1冊でした。

イタリアという国について知る上でもこの本は非常に興味深い内容が満載でした。ぜひおすすめしたい作品です。