ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』~スターリン時代の粛清・虐殺とは
ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』概要と感想~スターリン時代の粛清・虐殺とは ヨシフ・スターリン(1878-1953)Wikipediaより ノーマン・M・ネイマーク著、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサ…
ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』概要と感想~スターリン時代の粛清・虐殺とは ヨシフ・スターリン(1878-1953)Wikipediaより ノーマン・M・ネイマーク著、根岸隆夫訳『スターリンのジェノサ…
ソ連社会では宗教はタブーとされていましたがそのソ連の仕組みそのものが宗教的なものの上に成り立っているという何というパラドックス。宗教とは何かということをテーマにこれまでも色々と考えてきましたがこれは非常に示唆に富む場面でした。
そしてスターリン政権下では少なくとも400万から500万にも人が餓死をしたというのです。それも人為的なものによって・・・
スターリン時代にこういうことが起きていたのです。しかもスターリン政権下ではそれすらも「素晴らしい新世界」を作るために正当化されたのでした・・・もはや想像を絶する規模の話と化してきました・・・
この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。
スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。
この本は上下巻合わせて1200ページほどの大作です。ですが読んでいて全く飽きません。小説のような語り口によってどんどん引き込まれます。
読むにもなかなか骨が折れる大作ですがこれは読む価値ありです。面白いです!
ソ連時代に一体何が起きていたのか、それを知るために私はこの本を読んだのですが、想像をはるかに超えた悲惨さでした。人間はここまで残酷に、暴力的になれるのかとおののくばかりでした。
私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時も人間の残虐さをまざまざと感じました。ですがそれに匹敵する規模の虐殺がレーニン・スターリン時代には行われていたということを改めて知ることになりました。
この本はかなり衝撃的です。読んでいて目を反らしたくなるほどのものでした。
ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で来るべき全体主義の悲惨な世界を予言していました
文学は圧倒的な権力の前では無力なのか。思想は銃の前では無意味なのか。
私はやはりソ連の歴史も学ばねばならない。ここを素通りすることはできないと感じました。だからこそ私はドストエフスキー亡き後の世界も学ぼうとしたのでした。
アウシュヴィッツはあまりに強烈な体験だった・・・
しばらくは何もする気が起きませんでした。
いや、何もできなかったと言う方が正しいのかもしれません。
ですが、そんな空っぽになってしまったかのような頭の中に、ふとよぎるものがありました。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」
そう。以前エルサレムのホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムの記事でもご紹介した『歎異抄』の言葉でした。
アウシュヴィッツに実際に行って、私はどんな思いを抱くのだろうか。
旅の前にはそんなことをよく考えていた。
では、実際私はここに来て何を感じたのか?
それは「何も感じないこと」の恐怖であった。アウシュヴィッツは「普通の場所」だった。だがそのことに私は戦慄を感じたのでした
ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」
エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。
だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。
2019年4月14日。
私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。
幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。
クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。
アウシュヴィッツ博物館前で降車します。
この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。
クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。
クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。
そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。
第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。