堀田善衞『インドで考えたこと』~インドには「おっかない顔」がある…日本を代表する作家の傑作インド紀行!

インドで考えたこと インド思想と文化、歴史

堀田善衞『インドで考えたこと』~インドには「おっかない顔」がある…日本を代表する作家の傑作インド紀行!

今回ご紹介するのは1957年に岩波書店より発行された堀田善衞著『インドで考えたこと』です。

早速この本について見ていきましょう。

アジア各地への旅行において、私たちは、自分たちに共通する何ものかを感じ、近代および現代日本の運命について、さまざまに思いをめぐらさざるをえない。古い文明の重荷を担いつつ新しい未来を切り拓こうと苦悩するインドへの旅。鋭敏な現代感覚をもつ作家によるこの思想旅行記は、同時に現代日本に対する文明批評の書でもある。

Amazon商品紹介ページより

堀田善衞 ほったよしえ [1918~1998] 復刊記念特別WEBサイト堀田善衞「時代と人間」より

堀田善衞はあの宮崎駿監督が、

お前の映画は何に影響されたのかと言われたら、堀田善衞と答えるしかありません。もちろん手塚治虫さんとか、いろいろな人の影響を受けていますが、一番芯になっているものは、やはり堀田善衛なのです。

集英社、池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大髙保二郎、宮崎駿著、高志の国文学館編『堀田善衞を読む 世界を知りぬくための羅針盤』P161

と述べているほどの人物です。

そしてこの『インドで考えたこと』はインドに興味のある方必読のインド旅行記です。

堀田善衞は本書について「はじめに」で次のように述べています。

この手記は、私が一九五六年の晩秋から五七年の年初にかけて、第一回アジア作家会議に出席するためにインドに滞在したその間に、インドというものにぶつかって私が感じ考え、また感じさせられ考えさせられたことを、別に脈絡をつけることなくじかに書きしるしてみたものである。スマートな旅行記といったものではなく、また理論の筋をととのえる努力もあえてしなかった。おそらく、順序もなにもないたいへんに行儀のわるいものになるだろうが、仕方がない。行儀のわるい一小説家とインド・日本・アジア、相対しての小さな対話の記としてでも読んでいただければ仕合せである。

岩波書店、堀田善衞『インドで考えたこと』Pⅱ

この本で語られるのは1956年から57年初頭という、今から70年近くも前のインドです。これは戦後日本が急速に経済発展し、同時に安保問題など社会的、思想的に混乱を迎えた時代でもあります。

当時の日本では一般人が海外旅行に行くことはほとんどできない時代でした。そんな中インドは特に日本人を惹きつけた存在でありました。このインドブームと言いますか、インドへの好奇心、憧れのようなものを日本人に強く植え付けたのが本書と言ってもよいのかもしれません。

この本の出版のおよそ10年後にはあの三島由紀夫もインドを訪れその体験を彼の最期の大作『豊饒の海』に描いています。やはりインドは作家を刺激してやまないものがあるのでしょう。

そしてこの本は出版から70年近く経った今も全く色あせるものがありません。ものすごく面白いです。私もインド渡航前に何度も読み返しました。

とにかくこの旅行記は読みやすい!

そして人間の精神の奥底に入っていくような深い洞察だけでなく、思わずくすっと笑ってしまうようなユーモアも散りばめられています。これは極上の旅行記です。

その中でも特に印象に残った一節をいくつかここで紹介したいと思います。

人間とその生活、文化文明などについて、何等かの意味、あるいはジャンルで、より根本的、根源的なことを考えてみたいという傾きのある人に、私はインドへ行ってごらんなさい、とすすめる。しかし、とにもかくにもいいころ加減のところで、ホドのよいカゲンのところでお茶を濁して生きすごしたいという人には、インド行をすすめない。後者は、もし真剣にインドの偉大と悲惨にぶつかったならば、そういうアヤフヤな人生観をひっくりかえされ、もしその人の仕事がなにかの意味で精神にかかわりのあるものであったなら、商売は一時的にも営業停止ということになりかねない。

岩波書店、堀田善衞『インドで考えたこと』P68-69

「インドへ行ってごらんなさい」

この言葉に背中を押されて旅立った人がきっとかなりいたのではないでしょうか。

私もある意味そのひとりと言ってもいいでしょう。実に魔力ある言葉ですよね。

そして次の一節もとても印象に残っています。

実にインドには、思想的宗教的なもの一切、なにもかも・・・・・がある感じで、これがそういう存在の多様性になれていない人間、たとえば私を、インド滞在中にひどく疲労させた。(中略)

私は、宗教をもっている人を、別して羨しいとは思わない。それを云って、ある人に呆れられたけれども、しかし、ヒンドゥ教、ジャイナ教、シーク教、イスラムなどの寺院へ行ってみると、祈っている人々の表情のきびしさには、やはりうたれた。彼等は、中国人やわれわれにくらべると余程おっかない顔つきをしていた。そのきびしさ、おっかなさを、愚昧のあらわれ、と云う人が、あるかもしれない。それらが社会の進歩を押しとどめているということも、たしかであろう。しかしそれについての議論を私はいましたくない。無神論者でさえない私にその資格がない。

一神教、多神教、汎神論、超越神、非超越神宗教などと、いろいろ云い方があるにしても、私には、彼等の顔つきのおっかなさからして、超越神であるとか非超越神であるとかということとは別に、そこに宗教がある、という、おっかない現実を知らされた。

岩波書店、堀田善衞『インドで考えたこと』P181-182

インド人の「おっかない顔」・・・

これが私の中で強烈に印象に残っているフレーズです。

実際、私も2023年8月のインド訪問でその顔を目の当たりにすることになりました。

私のインド訪問にとっても本書『インドで考えたこと』は強い影響を与えています。これは素晴らしい旅行記です。単に「現地にはこんなものがあります!」で終わらない深い人間洞察がこの本にはあります。ものすごく面白いです。

ぜひぜひおすすめしたい傑作インド旅行記です。

この本を読めばあなたも「インドへ行ってごらんなさい」という声に誘われるかもしれません。

以上、「堀田善衞『インドで考えたこと』~インドには「おっかない顔」がある…日本を代表する作家の傑作インド紀行!」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME