親鸞の悪人正機説への疑問~「スターリンやヒトラーのような悪人にも往生(救い)はあるのか」という問いについて考えてみた
私はTwitterをしています。Twitterではこちらのブログで投稿した記事の紹介や、世界一周記や日々の何気ないことをつぶやいたりしております。
最近はスターリンやヒトラーについての記事の更新を続けていますが、その中でとある質問を頂きました。
この記事ではその質問を通して私なりに思うことを記してみました。
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最近はスターリンやヒトラーについての記事の更新を続けていますが、その中でとある質問を頂きました。
この記事ではその質問を通して私なりに思うことを記してみました。
中世スペインの異端審問は過去の遺物ではなく、現代につながる人間の本質的な問題であることをこの本で学びました。
これまで学んできたレーニン、スターリンのソ連や独ソ戦と非常に強いつながりを感じました。
そしてこの本の面白い所は所々で著者の思いが吐露されていて、単なるデータの羅列には終わらない点にあります。読み応え抜群です。読んでいて本当に面白い本でした。 この本はとてもおすすめです。ぜひ皆さんも読んでみてはいかがでしょうか。
この本では一人一人の兵士がどんな状況に置かれ、なぜ戦い続けたかが明らかにされます。
彼ら一人一人は私たちと変わらぬ普通の人間です。
人は何にでもなりうる可能性がある。置かれた状況によっては人はいとも簡単に残虐な行為をすることができる。自分が善人だと思っていても、何をしでかすかわからない。そのことをこの本で考えさせられます。
『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』という作品は本当に衝撃的な一冊でした。
自分がいかに何も知らなかったかということを思い知らされました。私たちが習う世界の歴史では見えない事実がこの本にはあります。そしてそうした見えない事実こそ、私たちが真に学ぶべき事柄であるように思えます。
混乱を極める現代において、暗い歴史を学ぶことはたしかにつらいことかもしれません。ですが、だからこそこうした歴史をくり返さないためにも苦しくとも学ぶ意味があるのではないかと思います。
ぜひ、これらの記事を読んで頂けたら嬉しく思います。
この記事では独ソ戦を学ぶのにおすすめな参考書を紹介していきます。
独ソ戦は戦争の本質をこれ以上ないほど私たちの目の前に突き付けます。
なぜ戦争は起きたのか。戦争は人間をどう変えてしまうのか。虐殺はなぜ起こるのかということを学ぶのに独ソ戦は驚くべき示唆を与えてくれます。私自身、独ソ戦を学び非常に驚かされましたし、戦争に対する恐怖を感じました。これまで感じていた恐怖とはまた違った恐怖です。ドラマや映画、ドキュメンタリーで見た「被害者的な恐怖」ではなく、「戦争そのものへの恐怖」です。
それぞれの記事でより詳しく本の紹介をしていますので、興味のある方はぜひ記事の方もご参照ください。
レーニンに引き続きスターリンも学んできましたが、この二人の圧倒的なスケールには驚かされるばかりでした。
中学、高校と世界史は一応習います。ですが実際にはロシア帝国時代やソ連時代のことはほとんどわからないに等しい状況です。私もここで学ぶまでほとんど何も知りませんでした。
スターリンがこれほどまでの規模で粛清をしていたということすら知りませんでした。
そして、レーニン・スターリンというカリスマ2人によってソ連が形作られ、その後の世界を形成していった流れをここで知ることができました。
歴史を学ぶことは単に過去の出来事を眺めることではありません。そこで学んだことをものさしに今を見ることに意味があります。
スターリンを学ぶことも非常に興味深い読書となりました。
16回にわたって『レーニン 権力と愛』を読んできました。
私自身、この本を読んでぎょっとすることばかりで、思わず声を出してしまうくらい夢中になって一気に読んでしまいました。こんなに刺激的な本はなかなかありません。
そして何より、レーニンは名前は知ってはいても日本においてはかなりマイナーな存在です。私もソ連史を学ぶまでほとんど彼のことを知りませんでした。
しかしこの本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。
レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。
学べば学ぶほど、ものごとはそう単純ではないことに気づく。
「異端審問官を、賄賂と権力に弱いと言って責め、拷問官を、サディストだと言って責め、植民地拡大のため戦争に賛成する者を、戦争をしたと言って責めることができた。」と著者も述べています。 残虐行為をした人間を「悪人だ」と断罪し、その悪の責任を彼に押し付けるのは簡単です。しかし、その悪が彼固有のものではなく、人間そのものが背負っているものだとしたらどうでしょうか。彼を責めることは自分を含めた人間そのものを責めることにもなるのです。
異端審問のシステムは中世スペインだけではありません。現代に生きる私たちの世界にも連綿と続いています。そうした人間そのものについて考えることが必要なのではないでしょうか。
今回ご紹介する『ドン・キホーテ』の焚書詮議の物語は私の大好きなエピソードです。何回読んでもくすっと笑ってしまいます。セルバンデスのユーモアがこれでもかと詰まったシーンです。
『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読んだことで、そんな私の大好きなシーンが異端審問とつながり、新しい視点を得ることができました。セルバンデスの驚くべき手腕にただただ感嘆するのみです。
とても興味深い読書体験でした。
モンテーニュは啓蒙思想で有名なフランス人ではありますがその血筋のルーツはスペインのコンベルソであったと言われています。驚くべきことに、異端審問が横行していたスペインの歴史がモンテーニュの思想に大きな影響を与えていたのでありました。
敵対的な思想を持つ者を抹殺しようとした異端審問でしたが結局こうしたもっと強大な存在を生み出すことになってしまったのです。教会への不信や懐疑論、無神論の流れは教会の権威を徐々に蝕んでいきます。
近代的なヨーロッパの哲学者がいかに生まれてきたということに異端審問が大きな影響を与えていたというのは非常に興味深いものでした。