プラハ

ぶらりプラハ散歩~歩くだけでも楽しいプラハの美しき街並み チェコ編②

プラハはあてどなくぶらぶら歩くだけでも楽しい。

どこに行っても美しい町並みが続き、様々な建築様式の建物が入り混じって私の目の前に現れてきます。

とにかく飽きません。

治安、物価面でもプラハは非常に観光客に優しい街です。

海外のどこに行こうか迷っている方がおられるなら、私は絶対プラハをお勧めするでしょう。プラハは本当に魅力的な街でした。

プラハ

百塔の街プラハ~美しすぎる街並みとその歴史 チェコ編①

プラハもクラクフと同じように中世の街並みがそのまま残っている街です。

街中がそのまま博物館と言っても過言ではありません。

石畳みを踏みしめながら趣のある街並みを散策するのは非常に気持ちがいい。

さて、一つ一つのスポットを紹介する前に、チェコとプラハの大まかな歴史と概略をこの記事でお話ししていきます。

クラクフ

クラクフからチェコのプラハへ~レオ・エクスプレスにてバスと電車移動 ポーランド編⑧

この日の目的地はチェコのプラハ。

クラクフからプラハまではレオ・エクスプレスという鉄道会社を使って移動します。

ただ、クラクフ・プラハ間はまだ鉄道路線がほとんどないので、バスと鉄道を組み合わせての移動となります。

クラクフからチェコのボーフミンという街まではバス、そしてそこから鉄道に乗り換えてプラハまで向かいます。

クラクフ

アウシュヴィッツと『歎異抄』~親鸞の言葉に聴く ポーランド編⑦

アウシュヴィッツはあまりに強烈な体験だった・・・

しばらくは何もする気が起きませんでした。

いや、何もできなかったと言う方が正しいのかもしれません。

ですが、そんな空っぽになってしまったかのような頭の中に、ふとよぎるものがありました。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」

そう。以前エルサレムのホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムの記事でもご紹介した『歎異抄』の言葉でした。

アウシュビッツ

アウシュヴィッツのガス室で感じた恐怖~「普通であること」の恐さに戦慄する ポーランド編⑥

アウシュヴィッツに実際に行って、私はどんな思いを抱くのだろうか。

旅の前にはそんなことをよく考えていた。

では、実際私はここに来て何を感じたのか?

それは「何も感じないこと」の恐怖であった。アウシュヴィッツは「普通の場所」だった。だがそのことに私は戦慄を感じたのでした

アウシュビッツ

死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤

ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。

「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」

エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。

だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。

アウシュビッツ

死の収容所アウシュヴィッツを訪れる①~ホロコーストから学ぶこと ポーランド編④

2019年4月14日。

私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。

幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。

クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。

アウシュヴィッツ博物館前で降車します。

この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。

クラクフ

クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 ポーランド編②

旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。

この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。

さて、聖マリア教会に入場してみましょう。

外から見ても圧倒的な大きさでしたが、中の様子は一体どのようになっているのでしょうか。

クラクフ

ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み ポーランド編①

クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。

クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。

そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。

第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。