MENU

レーニンはなぜツルゲーネフを好んだのか~レーニン伝から見るツルゲーネフ

目次

革命家レーニンはツルゲーネフ作品をどう見たのか~レーニン伝から見るツルゲーネフ

先日ご紹介したロバート・サーヴィス著『レーニン』にロシアの偉大な文豪ツルゲーネフについての記述がありました。レーニン(本名ウラジーミル・ウリヤーノフ)は革命思想に触れる前の若い頃にツルゲーネフを読み耽っていた時期があったそうです。

ウラジーミル・レーニン(1870-1924)Wikipediaより

それは1886年、彼の父が急死した時期に遡ります。

ヴラジーミルは深く動揺し、自分の中に閉じこもった。これまでの陽気な少年は消えうせた。本が慰めになり、ロシアの古典文学の多くをむさぼり読むようになった。彼の好みは、ゴーゴリからツルゲーネフに移った。

当時の生活をゴーゴリ的に戯画化したいと思っていた気持ちがなくなった。今や、ヴラジーミル・ウリヤーノフは、ツルゲーネフの描く地方生活の落ち着いた敏感な描写の方を好むようになった。ツルゲーネフの小説では、著者の公的なメッセージは決して明白ではなかった。読者は、彼がともかく体制の変化を望んでいることは想像できた。しかし彼は自由主義者なのか、短気な保守主義者なのか、それとも革命家なのか。

ヴラジーミル・ウリヤーノフが、彼が新しく好きになったこの小説家の作品をどう解釈したかは、知られていない。後の彼の発言は、彼が未成年期に思っていたことを必ずしも忠実に反映していなかった。しかし、その両者の間にいくらかの類似もあった。
※一部改行しました

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』上巻P71-72

レーニンがツルゲーネフを好きになったきっかけは父の死にあったようです。そして繊細な心理描写や落ち着いた荘園生活を想像させる彼の小説に惹かれていったようです。

以前紹介した記事でもお話ししましたが、レーニンはツルゲーネフのような大地主の子ではありませんでしたが、十分裕福で温かい家庭の中で育ちました。

あわせて読みたい
(2)レーニンの出自~貴族階級で裕福な家庭環境と人生を変えた兄の処刑とは レーニンといえば、その後のソ連の方向を決定づけた冷酷な独裁者というイメージがありました。しかし彼は裕福で温かな家庭で育った普通の人間でした。そこから兄の処刑、町でのつまはじきなど、これまでの生活ががらりと変わってしまいました。 こうした背景があったからこそレーニンが革命家になっていったと知り、それまでの冷酷で残酷な独裁者とはちょっと違った印象を受けることとなりました。

彼の青年期はそれこそツルゲーネフの小説世界に近い生活だったため、親近感もあったのかもしれません。

ウリヤーノフ家の一員であることは、教育の向上、皇帝が同意する限りのことであっても現実に可能な向上を目指すことであった。成人のウリヤーノフは、ロシアの現実にたいする自分のマルクス主義的解釈を証明してくれるような状況をツルゲーネフの小説の中から拾い出した。

ツルゲーネフの文章の中には、多くの無気力な土地所有貴族と、多くの善意ではあるが無力な知識人がおり、レーニンは帝政社会を非難する自分の著作の中で彼らを利用した。おそらくツルゲーネフは、どんなに話し合っても世界は変わらないことを強調した点でも影響を及ぼしたであろう。必要なのは行動だと、いうのである。

ツルゲーネフの作中人物はほとんどが行動できない人々であった。小説家は彼らが状況を変える機会すらほとんど持っていないことを憐れんだが、成人したレーニンは彼らを嘲り笑った。

一八八六年までのウリヤーノフ家の歴史の中に、ロシア帝国の中での生活の向上に貢献するような活動に家族の一員が参加しているいくつかの例がある。ヴラジーミルが一番尊敬していた職業は医者と教師であった。

彼ら医師と教師は、ツルゲーネフの小説や一九世紀末のアントン・チェーホフの戯曲に出てくるような治療しない医師、教えることのない教師であった。ヴラジーミルが尊敬していたのは実際的な専門家であった。
※一部改行しました

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』上巻P71-72

革命家になってからのレーニンはツルゲーネフ作品の登場人物に反面教師的な姿を見出したようです。ただやはりこれだけがツルゲーネフを好んだ理由ではなく、一つ前の引用に出ていたようにツルゲーネフの美しい情景描写がレーニンの心を打っていたからこそなのかもしれません。たしかに『猟人日記』や『貴族の巣』などの美しい風景描写は、彼の自然への感性や愛とマッチした可能性があります。

あわせて読みたい
ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説~ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作 『猟人日記』ではツルゲーネフの芸術性がいかんなく発揮されています。彼の自然に対する美的センスは並外れたものがあるようです。 また、この作品は彼の幼少期、虐げられた農奴の姿を目の当たりにしていたことも執筆の大きな要因となっています。
あわせて読みたい
ツルゲーネフ『貴族の巣』あらすじと感想~ロシアで大絶賛されたツルゲーネフの傑作長編 ツルゲーネフを学ぶまで『貴族の巣』という小説はまったく知らなかったのですが、この作品がツルゲーネフの作品中屈指の人気があるというのは驚きでした。 ロシア中から大喝采をもって迎えられるほどこの作品はロシアで大人気となり、ドストエフスキーもこの作品に対して賛辞を送っています。

ツルゲーネフを違った読み方で読むこともできるであろう。例えば彼を優しさというものを守ろうとする人、あるいはハムレットのような不決断を体現した人と見ることもできるであろう。また彼を自分の思想の内容よりもそれを表現する形式の方に関心のある言葉の芸術家と見ることもできるであろう。

しかしヴラジーミル・ウリヤーノフにとっては、ツルゲーネフは帝政社会の正さねばならない欠点を見事に描き出した画家であった。
※一部改行しました

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』上巻P71-72

「彼を優しさというものを守ろうとする人、あるいはハムレットのような不決断を体現した人と見ることもできるであろう。」、「ツルゲーネフは帝政社会の正さねばならない欠点を見事に描き出した画家であった」と言われるとたしかにその通りな面があるなと思わず納得してしまいました。

こうした点が端的に表れているのが、彼の代表作『ルーヂン』という作品です。

あわせて読みたい
ツルゲーネフ『ルーヂン』あらすじと感想~ロシアのハムレット「余計者」を生み出した名作! この作品の主人公ルーヂンは洗練された立ち振る舞いや圧倒的な弁舌の才によって田舎の人々をあっという間に魅了してしまう魅力的な好男子です。 しかしその正体はなんと悲しきかなや、単なる空っぽな人間だったのです。彼には確固たる意志もなく、社会のどこにいてもうまくやっていけない社会不適合者だったのです。

「ロシアの余計者」と呼ばれる「行動が伴わない知識人」の典型をこの作品でツルゲーネフは描きました。

革命家レーニンにとっては何よりも行動こそが大切で、それができぬ彼ら「ロシアの余計者」は克服せねばならぬ青年像の典型だったのではないかと思われます。

一つ前の引用にもありましたチェーホフの「治療しない医師、教えることのない教師」というのも、その典型が、『六号病棟』や『たいくつな話』、『決闘』などで見ることができます。

あわせて読みたい
チェーホフ小説の極み!『六号病棟』あらすじと感想~あまりに恐ろしく、あまりに衝撃的な作品 まず皆さんにお伝えしたいことがあります。 それは「この作品はあまりに恐ろしく、あまりに衝撃的である」ということです。 この作品はチェーホフ作品中屈指、いや最もえげつないストーリーと言うことができるかもしれません。
あわせて読みたい
チェーホフ『退屈な話』あらすじと感想~トルストイも絶賛!退屈どころではないとてつもない名作 この作品のタイトルは『退屈な話』ですが、読んでみると退屈どころではありません。とてつもない作品です。 地位や名誉を手に入れた老教授の悲しい老境が淡々と手記の形で綴られていきます。 『魔の山』で有名なドイツの文豪トーマス・マンが「『退屈な』とみずから名乗りながら読む者を圧倒し去る物語」とこの作品を評したのはあまりに絶妙であるなと思います。まさしくその通りです。この作品は読む者を圧倒します。 そしてあのトルストイもこの作品の持つ力に驚嘆しています。ぜひおすすめしたい名著です
あわせて読みたい
チェーホフ『決闘』あらすじと感想~ロシア文学の伝統「余計者」の系譜に決着を着けた傑作 チェーホフは人生の意味は何かを問い続けた作家です。その彼にとって「人生は意味のない虚しいものだ、どうせ自分にはどうしようもない」と投げやりになっている余計者たちの思想をどう乗り越えていくのかというテーマは非常に重要なものであったように思われます。

レーニンが文学をどのように見ていたのかというのは非常に興味深い問題です。指導者の好みはその国の文化にも影響を与えます。彼の方針で「何が善であるか」が規定され、それに基づいて新たな文学が生み出されたり、過去の文化を解釈していくことになるからです。

ドストエフスキーと同時代人の大文学者たちがソ連時代にどう受け止められていたのかということを知ることで、ソ連時代に書かれたドストエフスキー像がどのような背景で作られていったかを垣間見ることができます。これはドストエフスキーを知る上でとても気になる部分です。

ドストエフスキーは時代や地域、価値観の違いによってとてつもなくその姿が様々に解釈されます。唯一絶対のドストエフスキー像というのは存在しないかもしれません。

そういうことを考えながら読んでいくのもドストエフスキー、いや、思想や文化を学ぶ上で大切な視点ではないかなと思いました。

以上、「レーニン伝から見るツルゲーネフ~レーニンが特に好んだ作家」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

レーニン 上

レーニン 上

関連記事

あわせて読みたい
(14)レーニンの文学観~ドストエフスキー、トルストイらをどう見たか レーニンの文学観、芸術観を考える上で彼が保守的な考えを持っていたというのは意外な気がしました。革命家=既存の秩序の破壊というイメージが私にはありました。ロシアのニヒリストは特にそのような傾向があります。ツルゲーネフの『父と子』に出てくるバザーロフというニヒリスト青年はその典型です。 しかしレーニンはそうではなく、保守的な文化観の持ち主だったのです。 この記事ではそんなレーニンの文学観、芸術観を見ていきます。
あわせて読みたい
(2)レーニンの出自~貴族階級で裕福な家庭環境と人生を変えた兄の処刑とは レーニンといえば、その後のソ連の方向を決定づけた冷酷な独裁者というイメージがありました。しかし彼は裕福で温かな家庭で育った普通の人間でした。そこから兄の処刑、町でのつまはじきなど、これまでの生活ががらりと変わってしまいました。 こうした背景があったからこそレーニンが革命家になっていったと知り、それまでの冷酷で残酷な独裁者とはちょっと違った印象を受けることとなりました。
あわせて読みたい
(4)革命家のバイブル、チェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』に憧れるレーニンとマルクスとの出... レーニンは兄の処刑によって革命家の道に進むことになりました。しかし最初からマルクス主義者として出発したのではありませんでした。彼はまずチェルヌイシェフスキーに傾倒します。
あわせて読みたい
ソ連を代表する作家ゴーリキーによるドストエフスキー批判 前回の記事「『スターリン伝』から見たゴーリキー~ソ連のプロパガンダ作家としてのゴーリキー」でお話ししましたように、ゴーリキーはソ連を代表する作家であり、スターリン政権下ではソ連のプロパガンダの宣伝にも大きな役割を果たしました。 そのゴーリキーがドストエフスキーのことをどう言うのか。 これはすなわちソ連がドストエフスキーをどう見るかということにもつながっていきます。 というわけで、佐藤清郎氏の『ゴーリキーの生涯』の中にゴーリキーがドストエフスキーに言及している箇所がありましたのでこの記事ではそちらを見ていきたいと思います。
あわせて読みたい
『スターリン伝』から見たゴーリキー~ソ連のプロパガンダ作家としてのゴーリキー 今回は『スターリン伝』という佐藤清郎氏の伝記とは違う視点からゴーリキーを見ていきました。ある一人の生涯を見ていくにも、違う視点から見ていくとまったく違った人物像が現れてくることがあります。 こうした違いを比べてみることで、よりその人の人柄や当時の時代背景なども知ることができるので私はなるべく様々な視点から人物を見るようにしています。
あわせて読みたい
ロシアの文豪ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの... ドストエフスキーのライバル、ツルゲーネフ。彼を知ることでドストエフスキーが何に対して批判していたのか、彼がどのようなことに怒り、ロシアについてどのように考えていたかがよりはっきりしてくると思われます。 また、ツルゲーネフの文学は芸術作品として世界中で非常に高い評価を得ています。 文学としての芸術とは何か、そしてそれを補ってやまないドストエフスキーの思想力とは何かというのもツルゲーネフを読むことで見えてくるのではないかと感じています。 芸術家ツルゲーネフの凄みをこれから見ていくことになりそうです。
あわせて読みたい
本当にいい本とは何かー時代を経ても生き残る名作が古典になる~愛すべきチェーホフ・ゾラ チェーホフもゾラも百年以上も前の作家です。現代人からすれば古くさくて小難しい古典の範疇に入ってしまうかもしれません。 ですが私は言いたい!古典と言ってしまうから敷居が高くなってしまうのです! 古典だからすごいのではないのです。名作だから古典になったのです。 チェーホフもゾラも、今も通ずる最高の作家です!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次