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「ルーゴン・マッカール叢書」第17巻『獣人』の概要とあらすじ
『獣人』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第17巻目にあたり、1890年に出版されました。
私が読んだのは藤原書店出版の寺田光德訳の『獣人』です。
今回も帯記載のあらすじを見ていきましょう。
19世紀、時代の先頭を驀進する鉄道を駆使した“鉄道小説”の先駆!
官能の果てに愛する女を刺し殺した機関士が秘める人間の血腥い獣性を抉る。
◆鉄道によって同時代の社会と人々を活写
「叢書」中屈指の人気を誇る、探偵小説的興趣をもった作品。西部鉄道ル・アーヴル駅の助役ルボーが妻のセヴリーヌと謀って社長のグランモランを走る車中で殺害する。
主人公の機関士ジャックはその殺人を偶然目撃するが、セヴリーヌに惹かれて事件の証言を拒み、それが機縁となって彼女が今度は彼の愛人となる。
だが最後にジャックは女性に対する魅惑と恐怖の衝動に駆られて、発作的に彼女を自らの手で殺害してしまう。これがジャックを「獣人」と称させるゆえんである。
第二帝政期に鉄道は文明と進歩の象徴として時代の先頭を疾駆していた。この小説の影の主人公が鉄道であると読みとることができれば、鉄道を駆使して同時代の社会とそこに生きる人々の感性を活写し、小説に新境地を切り開いた、ゾラの斬新さが理解できる。
※一部改行しました
藤原書店出版 寺田光德訳『獣人』
今作の主人公のジャックは『居酒屋』のジェルヴェーズの次男にあたり、狂気の遺伝を持つマッカール家に位置します。
ルーゴン・マッカール家家系図
『制作』で登場した兄のクロードは芸術に対する狂気を、『ジェルミナール』で登場した弟のエチエンヌは酒を飲むと殺人衝動が起こるという狂気を持っていましたが今作の主人公ジャックも、女性に強い欲望を感じるとその女性を殺したくなるという狂気を持っています。
その狂気を抑えるために彼は日々苦しめられ、それを忘れることができるのは鉄道員として列車を動かしている時だけでした。
こうした体の奥底から湧き上がる制御不能の殺人衝動を持った人間の心理的葛藤、そして殺人事件へと巻き込まれていく過程を描いたのが今作の『獣人』という物語になります。
感想―ドストエフスキー的見地から
実は、『獣人』はドストエフスキーと重大な関わりがある作品となっています。
なんと、ゾラは『罪と罰』にインスパイアされてこの作品を書き上げたと言われているのです。
訳者解説を見ていきましょう。
殺人について考察をしている同時代の有名な小説を挙げるとすれば、なんと言ってもドストエフスキーの『罪と罰』であろう。
そこでは主人公ラスコーリニコフが、エリートには殺人が許されるとして金貸し老婆殺害を敢行していた。『罪と罰』仏語版は一八八五年に出版され、ゾラもこれを読み『獣人』の「章案」のなかで二度ほどこれに言及している。
なるほど『獣人』の主人公ジャックはルボーを殺そうとたくらむ際に、ラスコーリニコフと同じように強者には邪魔者を殺す権利があるというような理屈を繰り出すのだが、それでも最後までどうしてもそのような納得ずくでの殺人、いわゆる理性的な殺人は敢行できなかった。しかし理性的な殺人をルボーに対して行えなかった代わりに、恋人のセヴリーヌは発作的に殺してしまう。
※一部改行しました
藤原書店出版 寺田光德訳『獣人』P517
『罪と罰』ではラスコーリニコフは理性の極限まで突き進み、その結果殺人を犯すことになりました。
ドストエフスキーは理性の行きつく果てが殺人であると『罪と罰』で描いたのですが、ゾラはそれに正反対の意見をこの小説で提出することになります。
小説本編からまさにそれが端的に示されているところを引用します。ジャックが愛人セヴリーヌの夫ルボーを殺そうか悩んでいるシーンです。
ルボーは自分の幸福を妨げている唯一の障害ではなかろうか?彼が死んだら、愛するセヴリーヌと結婚し、もうこそこそしないで、彼女のすべてを永遠に自分のものにできる。それから金が、財産が手にはいる。今のきつい仕事はやめて、アメリカに行って今度は社長だ。アメリカでは機関士たちがシャべルで黄金をざくざく掘り出していると同僚たちがよく話していた。アメリカでの新生活が夢のように眼の前に繰り出されてきた。情熱的に愛してくれる妻と、たちまち手にはいる巨万の富、安楽な生活、満々たる野心、なんでも思いのままだ。この夢を実現するには、ちょっと行動するだけ、人ひとり殺害するだけでいい。あいつは歩くのを邪魔する雑草のような男だから、踏みつぶしてやろう。あいつはつまらんやつで、近頃脂肪がついて動きが鈍く、賭事にばかげた情熱を燃やし、以前のエネルギーをすっかり失ってしまった。どうしてあんなやつを許しておけよう?どこを見てもあいつには同情の余地がまったくない。あいつはすべての点で有罪だ。どう考えてみても、あいつが死ねばみんなのためになるとしか思えない。殺すのをためらうほうがどうかしてるし、卑怯と言うべきだ。(中略)
あいつを殺そう、決めた。それで病気から回復するし、愛する妻も、財産も手にすることができるのだから。だれかを殺す必要があるとすれば、それはあいつだ。すくなくとも、利害からしても論理的に考えても、きちんと理由をつけて殺せるのだから。(中略)
しかし彼がまったく細々としたことにこだわっているあいだに、どうしようもない嫌悪感がひそかに戻ってきた。内心の抗議の声で彼はまたすっかり起き上がった。いや、いや、殺してはいけない!またもや殺すことは残虐な、実行不可能な、考えられないことのように思えてきた。彼の心中では文明人が反抗していた。それは教育によって育くまれた力であり、代々伝えられてきた思想で、ゆっくりと揺るぎなく築き上げられた人間の基礎であった。人殺しはすべきでない、何世代にもわたるその思想を彼は乳といっしょに吸収してきた。彼の脳髄は文明で洗練され、良心を詰め込まれ、彼が殺人について理屈を考え始めるやいなや、それを恐怖で押しのけた。そうだ、本能的な欲求や興奮に襲われたときなら人殺しはできる!だが打算から、利害から、意図的に人殺しをしようとしても、絶対に自分にはできないだろう!(中略)
いや、いや、人殺しはできない!こんな無防備な男を殺すなんて。理性ではけっして殺人はやれない。食いつこうとする本能が、獲物に飛びかかろうとする体の躍動が、獲物を引き裂とうとする熱狂が是非とも必要だ。
藤原書店出版 寺田光德訳『獣人』P366-376
どうでしょうか。『罪と罰』のラスコーリニコフと比べてみてください。
ものの見事にラスコーリニコフとジャックが真逆のことを言っているのがわかるかと思います。(ラスコーリニコフの思想については以下の記事を参照ください)
ドストエフスキーは理性こそ人間を破滅に追いやると主張し、ゾラは人間の獣性、つまり本能こそ殺人へと導くと言うのです。
ジャックは最後まで理性で殺人を犯すことができず、その代わりにあっさりと衝動によってセヴリーヌを殺してしまうのです。
あまりにあっさりとです。
散々ルボーを殺そうか殺すまいかと頭で悩んでいたのに、愛するセヴリーヌに対しては彼は驚くほどあっさりと手を下してしまうのです。(※もちろん、それまで彼女を殺すまいと我慢はしていたのですが)
理性で殺したラスコーリニコフ、本能で殺したジャック。
この二人の対比はドストエフスキーとゾラの人間観の違いを最も明確に示しているのではないでしょうか。
これ以上深くはここでは立ち入りませんが、『獣人』は『罪と罰』との比較という意味では非常に興味深い作品となっています。
『罪と罰』にはまった人ならぜひともこちらの作品も読んで頂けたらなと思います。
バルザックの『ゴリオ爺さん』(以下の記事参照)と共におすすめしたい一冊です。
以上、「ゾラ『獣人』殺人は理性か本能か!『罪と罰』にインスパイアされたゾラの鉄道サスペンス」でした。
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