ドストエフスキーはどんな人?~ドストエフスキー全集を読んで
ドストエフスキー全集を読み始めた私でしたが、そのどぎつさ、膨大な量に苦しむことになりました。
ですが、ある時から急にそれが変わっていきます。
そして伝記や参考書も駆使して2周目に突入するとそれまでとは違うドストエフスキーを感じるようになりました。
人間のどす黒さをこれでもかと暴き出すドストエフスキーに、優しさを感じ始めたのです。
ドストエフスキー全集を読み始めた私でしたが、そのどぎつさ、膨大な量に苦しむことになりました。
ですが、ある時から急にそれが変わっていきます。
そして伝記や参考書も駆使して2周目に突入するとそれまでとは違うドストエフスキーを感じるようになりました。
人間のどす黒さをこれでもかと暴き出すドストエフスキーに、優しさを感じ始めたのです。
『カラマーゾフの兄弟』を学生時代以来、9年ぶりに読み返してみて私は驚きました。
やはりこの小説はすごい・・・!
初めて読んだ時に衝撃を受けた箇所はもちろん、前回そこまで目に留まらなかった箇所でも「こんなことが書かれていたのか」と新たな感動を受けました。
そしてちょうどその時に読んでいたもう1冊の本、小林秀雄の『読書について』が私の道筋を決定づけることになります。
この本がきっかけで私はドストエフスキーに完全にのめり込むようになったのでした。
2019年の世界一周の旅から帰国後、私はお寺の行事を通して多くの子供たちと出会いました。
そして彼らがきっかけとなり私はドストエフスキーと再会することになります。これが私とドストエフスキーの第二の出会いでした。
この時から今現在に至るまでドストエフスキーの研究を継続して行っています。
彼を学ぶうちにドストエフスキーと浄土真宗の開祖親鸞聖人との驚くべき共通点が明らかになってきました。ますますドストエフスキーを学ぶ意味が大きくなってきています。
『カラマーゾフの兄弟』を読んで、「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私の上にドストエフスキーの稲妻が落ちます。
私は知ってしまいました。もう後戻りすることはできません。
これまで漠然と「宗教とは何か」「オウムと私は何が違うのか」と悩んでいた私に明確に道が作られた瞬間でした。
私はこの問題を乗り越えていけるのだろうか。
宗教は本当に大審問官が言うようなものなのだろうか。
これが私の宗教に対する学びの第二の原点となったのでした。
地元を離れた東京での学生時代。
「お坊さんになるなら『カラマーゾフの兄弟』を読んでみてほしい」
偶然出会ったある人の言葉が私にとって一生を変えるほどの衝撃をもたらすことになりました。
私とドストエフスキーの初めての出会いをこの記事ではお話ししています。
前回の記事では「宗教は人間が作ったものではなく、人間の中から生まれてきたのではないか」ということをお話ししましたが、ある日こんな問いを頂きました。
「宗教が人から生まれてきたのなら、新興宗教もそうなの?ならオウムのあの事件はどう考えたらいいの?」
そうなのです。これは非常に重要な問題です。
この問いを私に引きつけて言い換えてみると、
「私はオウムと何が違うのか」
という問いかけになります。
これこそ私が苦しみ続けた、いや今も苦しみ続けている問題なのです。
宗教は人間が作ったのか、それとも人間から生まれてきたのか。この問題に一度捕えられたら最後、私はこれからもずっとこの問題と戦い続けることになるでしょう。ブログの名にあるように、まさしく自問自答です。わからないからこそ問い続けるしかありません。これからも「宗教とは何か」という大きな問いに向き合っていきたいと思います。