ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(22)フィレンツェでのドストエフスキーの日々~ゆかりの地や彼お気に入りのラファエロ作品『小椅子の聖母』などをご紹介!

夫妻はバーデン・バーデン・ジュネーブ・ヴヴェイでどん底を見た。そんな彼らに恐いものはもう何もない。這い上がるしかないのだ。

悲しみや苦しみを分かち合い、今や二人は強固な絆で結ばれた。彼らの復活はいよいよここから始まっていく。自分たちをミコーバー夫妻になぞらえたフィレンツェでの生活はこの旅の大きなポイントになったのではないでしょうか。

あぁ、美しきフィレンツェ!できるなら私ももっともっとゆっくり滞在したかった!さすがは花の都。この街の芸術には感嘆させられっぱなしでした。

ドストエフスキー夫妻にとってもこの街での滞在はかけがえのない日々だったと私は信じたい。

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(21)ドストエフスキーお気に入りのミラノ大聖堂と夫妻のイタリア滞在の始まり

愛娘を喪い悲しみに暮れるドストエフスキー夫妻。ヴヴェイでの悲しみの夏を過ごした後、二人はいよいよイタリアへ向かうことになります。

彼ら二人が最初に滞在したのはミラノ。ここにはドストフスキーお気に入りのミラノ大聖堂があります。

この記事ではそんな二人がここでどのように暮らしたのかを見ていきます。

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(20)ドストエフスキー夫妻のヴヴェイ滞在~悲しみのジュネーブを去り、愛娘の死を悼み暮らした夏

生後3カ月で亡くなってしまった最愛の娘ソーニャ。二人の悲しみはあまりに大きく、もはやソーニャの面影が残るジュネーブにいられなくなってなってしまいます。

この記事ではそんな二人が夏を過ごしたヴヴェイという街について紹介します。

バーデン・バーデンの地獄の日々を乗り越え、ジュネーブ、ヴヴェイで幸せと悲しみを共有した二人。

ドストエフスキーとアンナ夫人の結婚生活で、この時期が二人の関係性における決定的なものではないかと私は思います。

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(19)宗教改革の街ジュネーブでドストエフスキーゆかりの地を巡る~夫妻の旅の転換点となった街に思う

前回の記事「ドストエフスキー夫妻待望の第一子ソーニャの誕生と早すぎた死~ジュネーブでの天国と地獄」ではドストエフスキーの喜びと悲しみの両極を見ることになった。

彼にとってバーデン・バーデンのギャンブル地獄とは全く質の違うどん底を見たのがジュネーブでの滞在だったのである。

私たちもそんなドストエフスキーが歩いたこの街をこれから歩いていくことにしよう。

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(18)ドストエフスキー夫妻待望の第一子ソーニャの誕生と早すぎた死~ジュネーブでの天国と地獄とは

前々回、前回と2回にわたってジュネーブでのドストエフスキーについてお話ししてきましたが、今回はそのジュネーブ滞在の中でも最大の出来事、ソーニャの誕生とその早すぎる死についてお話ししていきます。

ドストエフスキー夫妻にとって最大の喜びと最悪の悲しみがほとんど同時にやってきてしまったのです。その顛末をこれから見ていくことにしましょう。かわいい我が子を溺愛する父親ドストエフスキーの姿にきっと皆さんも驚かれるに違いありません。

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(17)共産主義、社会主義革命家を批判したドストエフスキー~ジュネーブでの国際平和会議の実態とは

前回の記事ではジュネーブでのドストエフスキー夫妻の仲睦まじい姿をご紹介しましたが、今回の記事ではドストエフスキーという人物を考える上で非常に重要なポイントをお話ししていきます。

ドストエフスキーのジュネーブ滞在は共産主義、社会主義に対する彼の反論が生まれる契機となりました。

ここでの体験があったからこそ後の『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』に繋がっていったと考えると、やはりドストエフスキー夫妻の西欧旅行の持つ意味の大きさというのは計り知れないものがあると私は思います。

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(16)ジュネーブでのドストエフスキーの日々~『白痴』執筆開始と名マネージャーアンナ夫人の誕生

レマン湖のほとりに位置するジュネーブ。ルソーやヴォルテールで有名なこの街にドストエフスキーは滞在しました。

バーデン・バーデンの地獄を乗り切った二人。その関係性は明らかに変わりました。出発当初のドストエフスキー夫妻とは明らかに違います。苦難の日々を耐えたことで二人の間には強固な絆が生まれました。

この記事ではそんな二人の思わずほっこりしてしまうエピソードをご紹介します。仲睦まじい二人の様子をぜひ多くの方に知って頂けたらなと思います。

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(15)ホルバインの『墓の中の死せるキリスト』に衝撃を受けるドストエフスキー~『白痴』にも大きな影響を与えた名画とは

バーデン・バーデンでの地獄の5週間を過ごしたドストエフスキー夫妻はスイスのジュネーブへ向けて旅立ちました。

そしてその途中、バーゼルという街で二人は1泊しある絵を観に行くことになります。

それがハンス・ホルバイン作『墓の中の死せるキリスト」という絵でした。

この絵はドストエフスキーに強いショックを与え、彼の長編『白痴』にも大きな影響を与えることになります。
この記事ではそんなホルバインの絵とバーゼルの街におけるドストエフスキーをご紹介します。

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(14)ドストエフスキーとアンナ夫人の結婚は運命だとしか思えない~なぜアンナ夫人は彼を愛し、守ろうとしたのか

ここまでこの旅行記に付き合って頂いた皆さんもそろそろ思い始めているかもしれません。

「それにしても、なぜアンナ夫人はこんなにもドストエフスキーを好きなのだろう。なぜこんなにひどい目にあっても逃げ出さないのだろう」と。

まさにその通り。私もこのバーデン・バーデンで改めてそう思わずにはいられませんでした。特に、最終夜にカジノを体験し、翌朝こうしてアンナ夫人が泣き暮らしたであろう家を最後に見た時には強く感じたものです。

しかしやはりこの二人の結婚は運命だったのだ。この記事では私がそう確信する理由をお話ししていきます。

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(13)バーデン・バーデンでドストエフスキーゆかりの地を巡る~カジノで有名な欧州屈指の保養地を歩く

この記事でぜひ皆さんに紹介したいものがあります。これは全世界に声を大にして伝えたいです!ここバーデン・バーデンに世界最高レベルの傑作彫刻があるのだと!

バーデン・バーデンでの日々はこの旅で最も強い衝撃を受けたものになりました。この旅のハイライトです!

ドストエフスキーが狂ったカジノ、山の中の散歩道、丘の上に立つドストエフスキーの彫刻、ぜひ皆さんにお薦めしたい記事となっています。