ニーチェとワーグナーとの出会い~ニーチェの思想形成におけるワーグナーの巨大な影響とは

ニーチェとドストエフスキー

ニーチェとワーグナーとの出会い~巨匠ワーグナーの巨大な影響

今回の記事ではニーチェの思想に甚大な影響を与えたワーグナーとニーチェの関係を見ていきたいと思います。

ワーグナーとは

ワーグナー(1813-1883)はドイツの作曲家でニーチェを考える上では切っても切れない関係にある人物です。

Wikipediaより

彼についてはここであまり詳しくは解説できませんが、『図説 ワーグナーの生涯』では次のように書かれています。

リヒャルト・ワーグナーは伝統的なオぺラに革命をもたらした。彼は独自の作曲技法を駆使して表現豊かな次元を切り拓き、新たな画期的指揮法をひっさげて表舞台に登場し、現代のスター指揮者の先駆けとなった。彼は2000年前の古代ギリシアの祝祭演劇の原則に則った独自の祝祭劇を創造し、世間の逆風をものともせず、懐には一文もないのにバイロイトの地に自分専用の祝祭劇場を築き上げた。彼の人生には昇竜の勢いの大成功があったかと思えば、また地獄行きの凋落の連続でもあった。彼は、天才、山師、女誑し、詐欺師、神話の創造者、音楽の魔術師などと言われてきた。

アルファベータ、ヴァルター・ハンセン、小林俊明訳『図説 ワーグナーの生涯』まえがきより

ワーグナーは1800年代中頃から後半にかけて活躍した音楽家です。

ワーグナーで有名な曲といえば何と言ってもこちらです。聴けば絶対わかります。

ワーグナーらしさが前面に出ているのがこの『ヴァルキューレの騎行』という曲です。

映画『地獄の黙示録』で用いられ、他にも様々な場面で耳にする曲だと思います。

バッハのこの曲と比べるとその違いに驚きますよね。

伝統的な音楽では神を賛美した調和的な音楽が主流でした。聴いていて、厳かでありがたい気分になってくるような音楽です。

しかし、ワーグナーはそうした神への賛美ではなく、人間がこの世界を作っていくという姿勢で音楽を作っていきます。その曲は私たちのお腹の底からぐらぐら沸き立たせるような音楽です。ワーグナーは神中心の世界、調和の世界に反旗を翻し、人間中心の世界観を表現しようとしたとも言うことができます。比べて聴いて頂ければなんとなくその雰囲気はきっと感じて頂けるのではないかと思います。

ニーチェとワーグナー

では、ここからニーチェとワーグナーについてお話ししていきます。

ニーチェは若い頃から音楽を愛好していましたが、ワーグナーとの決定的な出会いは1868年、ニーチェ24歳の年に訪れます。彼はワーグナーの代表曲「トリスタンとイゾルデ」と「マイスタージンガー」が演奏されるコンサートに足を運びました。

彼は「トリスタンとイゾルデ」と「マイスタージンガー」が上演されるコンサートに行く。彼は距離を取ろうと試みるが、うまく行かない。「僕はこの音楽に対して批判的に冷淡に振る舞うことがどうしてもできない。僕の全身が、全神経が痙攣する。忘我恍惚の感情がこんなに長く続いたことは長らく僕は経験したことがない」(Bニ、三三二、一八六八年十月二十七日)からである。

法政大学出版局、R・ザフランスキー、山本尤訳『ニーチェ その思考の伝記』P46

ワーグナーの音楽によって、全神経が痙攣し忘我恍惚の感情が止まない境地にニーチェは引きずり込まれてしまったのでした。理性の力が全く及ばない混沌。圧倒されるような感覚にニーチェは驚愕するのでした。

そしてここから運命の出会いをすることになります。

ライプツィヒの東洋学者ハインリヒ・ブロックハウスの家にヴァーグナーが逗留しているとき、たまたまフリードリヒ・ニーチェという優秀な学生で音楽愛好家がいることが話題になり、ヴァーグナーはこの若い古典文献学者と会ってみたいと言う。

ニーチェは招待を受けて、誇らしげに大はしゃぎしている。仕立屋に新しい洋服を注文し、間に合うように届けられたのだが、彼は代金がすぐには支払えない。仕立て屋の手代は洋服をもって帰ろうとするので、ニーチェは手代を引き止めようとし、掴み合いになり、二人がズボンを引っ張り合う。結局は手代の方が勝って、洋服をもち去ってしまう。

この立回りをニーチェは友人のローデに手紙で伝えて、「僕はシャツのままでソファーに倒れ込んで、黒い上着を眺めながら、これではヴァーグナーに失礼にならないかどうか悩んだものだ」と書いている(Bニ、三四〇、一八六八年十一月九日)。

彼はそれを着て出かけたのだが、「小説の中でのような高揚した気分」である。

ブロックハウス邸では快適な家庭的な集いに迎え入れられる。ヴァーグナーは彼のそばに歩み寄り、彼の自尊心をくすぐるようなことを幾つか述べ、自分の音楽をどのようにして知ったのかと尋ねる。哲学問題になったとき、ヴァーグナーは「何とも言いようのない熱の入れようで」ショーぺンハウアーについて語り、ショーぺンハウアーを「音楽の本質を知悉している」唯一の哲学者と呼ぶ。

ヴァーグナーはピアノに歩み寄って「マイスタージンガー」の幾つかの個所を弾く。ニーチェは魔法にかけられたように感じる。暇乞いをするとき、巨匠はニーチェの手を暖かく握って、「音楽と哲学について話しに」トリープシェンを訪ねてくれと彼を誘う。
※適宜改行しました

法政大学出版局、R。ザフランスキー、山本尤訳『ニーチェ その思考の伝記』P46-47

若きニーチェの姿を知れて非常に興味深いエピソードですよね。どれだけ彼がワーグナーに心酔していたかがわかります。

この後ニーチェは頻繁にワーグナーを訪れ、二人は非常に緊密な関係を結ぶのでした。そしていよいよニーチェは哲学者として世界に一歩踏み出します。

ヴァーグナーは、古典文献学において何か大胆なことをしでかすよう、若い教授を励ましている。ニーチェはすっかり感激する。ヴァーグナーが言う「偉大なルネサンス」という言葉ははっきりしないが、それに協力するために、ニーチェは『悲劇の誕生』の執筆に取りかかる。この仕事は同業者仲間の間ではおそらくはよく言われることはないだろうが、自分をよりよく知ることになると予感しながら。それは文献学の分野では逸脱なのだが、「人間と呼ばれているあの内的世界の冒険者であり世界周航者」(ニ、二二.MA)のスタイルですでに試みられていたことである。いまだに文献学の土壌の上にいながら、すでに踊ろうとする意志をもって、ニーチェは彼の最初の偉大な著書『悲劇の誕生』を書く。

法政大学出版局、R・ザフランスキー、山本尤訳『ニーチェ その思考の伝記』P49

ニーチェのデビュー作『悲劇の誕生』はワーグナーとの出会いによって生まれたのでした。そしてここで「アポロン的」、「ディオニュソス的」という有名な概念が語られることになります。

ニーチェと言えばこうした難解な抽象概念が浮かんできますが、ワーグナーの音楽を聴くことで「ディオニュソス的」とはこういうことなのかとなんとなくではありますが感じることができます。やはり言葉でイメージするより実際に体感してみるのが一番です。

ニーチェはワーグナーの音楽を通して「神経が痙攣し、忘我恍惚の感情が止まない境地」を体感します。

自分を根本から揺さぶるもの。

理知を超えた圧倒的な世界。

ニーチェの思想は絶対的なものを求める戦いです。こうした絶対的なものを求めるニーチェの傾向とワーグナーの音楽ががっちりとはまったのでありました。

ただ、後年ニーチェとワーグナーは決裂してしまうことになります。ワーグナーのあり方にニーチェは我慢ならなくなってしまったのです。このことについては長くなってしまうのでこの記事ではお話ししませんが両者を知る上で非常に重要な出来事であるように思えます。

この決裂についてはR・ザフランスキー、山本尤訳『ニーチェ その思考の伝記』に詳しく書かれていますので興味のある方はぜひご覧になってください。

また、ワーグナーについて知りたい方は以下のひのまどか著『ワーグナー―バイロイトの長い坂道』がおすすめです。

この本を読めば現地に行きたくなります。著者は現地まで取材をし、現地の様子もこの本で紹介してくれます。それがまたいいんですよね。この「作曲家の物語シリーズ」は本当に素晴らしい試みだと思います。ワーグナーの入門書として非常におすすめな作品です。

次の記事ではワーグナーの音楽がどれだけ革新的だったかについて解説された本を紹介していきます。ニーチェを学ぶ上で非常に興味深い指摘が満載の本でしたのでぜひ引き続きお付き合い頂けたらなと思います。

以上、「ニーチェとワーグナーとの出会い~ニーチェの思想形成におけるワーグナーの巨大な影響とは」でした。

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