『ニーチェ書簡集Ⅰ・Ⅱ』~ニーチェのイメージががらっと変わる!ニーチェの素顔を知るのにおすすめ!

ニーチェとドストエフスキー

『ニーチェ書簡集Ⅰ・Ⅱ』概要と感想~ニーチェのイメージががらっと変わる!ニーチェの素顔を知るのにおすすめ!

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)wikipediaより

今回ご紹介するのはちくま学芸文庫版、『ニーチェ全集別巻1・2』所収の塚越敏訳『ニーチェ書簡集Ⅰ・Ⅱ』です。

この本は『ツァラトゥストラ』『アンチクリスト』などの哲学書で有名なニーチェの意外な素顔を知れる1冊です。個人的にはニーチェ作品の中で最も興味深く読んだ作品です。

では早速この本について見ていきましょう。

ギムナジウムから大学へ、若き日の友人に滔々と吐露する学問への情熱。ヴァーグナーの音楽への一途な傾倒と、ある日突然の幻滅がもたらした決定的な離反。ルー・フォン・ザロメへの熱き思い、恋の告白、それにもかかわらず成就しなかった愛。そして、何をおいても、自著にたいする大きな自負と、世間の無理解への徹底的な対峙。1861年から1883年の23年間にわたるニーチェの肉声を、ここに集成する。

ちくま学芸文庫版、塚越敏訳『ニーチェ全集別巻1』所収『ニーチェ書簡集Ⅰ』裏表紙

『ツァラトゥストラ』によって「永遠回帰」の思想に到達したニーチェは、晩年の思索のなかで「権力への意志」「超人」「一切の価値の価値転換」といった中心思想を次々と叙述していく。いわゆる《後期の思索》の時期といわれる1884年から1889年まで、精神錯乱に至る6年間の書簡を掲載する。

ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』裏表紙

ニーチェといえばとにかく難解で何を言っているかわからない文章がひたすら続き、しかも厳しく、攻撃的な思想を述べるイメージがあるかもしれません。

ですがこの書簡集を読めばそんなニーチェのイメージががらっと変わります。

この書簡集の一番最初の書簡を読んだ瞬間から私は驚きました。その書簡を見ていきましょう。

1・グスタフ・クルークとヴィルヘルム・ピンダーへ、〔プフォルタ、一八六一年一月一四日〕

ねえ、君たち、あのすてきな数日も、いまはもうおわってしまったね。あの数日、ちょくちょく会って、ながながとお喋りをしたっけね。期待していたときにはいろいろと希望もかけていたが、もうおわって、思い出ともなれば慰めのおおい数日であったというものだ。いまはとり決めた僕の約束を果たすためにね、それにまたもう一度、君たちと身のうえ話とはならずとも、知的な話を愉快にやってみたくてさ、いまは、君たちにちょっとばかり書き送ろうというわけだ。

ちくま学芸文庫版、塚越敏訳『ニーチェ全集別巻1』所収『ニーチェ書簡集Ⅰ』P25

「え!?ニーチェってこんな文章書けるんだ」と私は驚きました。もちろん、この手紙が書かれたのはニーチェ17歳の年です。そんな時から『ツァラトゥストラ』のような文章を友人に書いていたらそれこそ驚愕ですが、それを差し引いてもこんなフランクなニーチェを読めることはやはり新鮮な驚きでした。

この書簡集ではそんなニーチェの生の声を聞くことができます。『ツァラトゥストラ』などのああした文章はニーチェが意図的に書いていたということがこの書簡集を読むことでよくわかります。当たり前のようなことですがこれを実感として得られるかどうかは大きな違いになるのではないかと私は思います。

また、学生時代のニーチェの雰囲気を伝えるこんな手紙も面白かったです。

習慣というものは恐ろしい力だ。僕たちの仲間のあいだで日々起こっている悪いことにたいして道徳的な怒りを感じなくなるならば、それはもう堕落なのだ。このことは、たとえば飲酒や酩酊に関していわれることなのだが、また他人や他人の意見を軽視したり、嘲笑したりすることにも当てはまるのだ。

すすんで君にいっておこう、―君がしたような経験が、僕にもいくぶん押し迫ってきたようなことがあったし、学生の酒盛りで社交だなんていう言い方がひどく僕には気にいらなかったのだ。それに野郎ひとりひとりがビール偏重主義ときたら、もうはなもちならなかったし、前代未聞のうぬぼれで大勢の人間や意見が酷評されたのには、僕もひどく腹をたててしまったものだ。それでも僕はそんな学生組合のなかにいて辛抱しようとしていたのだ、というのも組合を通じていろんなことを学んだし、概していえば精神的な生活のあることも認めざるをえなかったからだ。とにかく僕には、ほんのわずかな友人と親密な付きあいをすることが必要なのだ。わずかな友人が得られれば、あとはおつまみ、、、、といったところで扱えばいい。一方が塩と胡椒なら、他方は砂糖、つまりろくでなし、、、、、さ。

ちくま学芸文庫版、塚越敏訳『ニーチェ全集別巻1』所収『ニーチェ書簡集Ⅰ』P63

この手紙も友人へ宛てられたものなのですが、ニーチェの学生時代の様子を感じることができます。

ニーチェは学生たちのやんややんやの飲み会がどうも苦手だったようです。私も若い頃のあの飲み会のノリに付いていけず苦い思いをした記憶があるのでニーチェにとても親近感が湧きました(笑)

この『書簡集Ⅰ』では若きニーチェから哲学者ニーチェへと成長していく過程を見ていくことができます。哲学書では知ることのできないニーチェの素顔が知れて非常に興味深かったです。

そして『書簡集Ⅱ』では1884-1889年というニーチェ晩年の書簡を見ていくことになります。いよいよニーチェが発狂へと向かって行きます。狂気への過程が徐々に手紙から見えてくることに恐怖を感じます。明らかに文体や言葉がかつてと変わってきます。

1889年1月の発狂直前の書簡では自分を「十字架に架けられし者」、「ディオニュソス」と呼んだり、以下のような手紙を書いています。

コージマ・ヴァーグナーへ 〔トリーノ、一八八九年一月三日〕アリアードネ王女、わが恋人へ

私が人間であるということは、一つの偏見です。しかし私はすでにしばしば人間どものあいだで生きてきました。そして人間の体験することのできる最低のものから最高のものまですべてを知っています。私はインド人のあいだでは仏陀で、ギリシアではディオニュソスでした、―アレクサンダーとシーザーは私の化身で、同じものでは詩人のシェークスピア、ベーコン卿。最後にはなお私はヴォルテールであったし、ナポレオンであったのです。多分リヒァルト・ヴァーグナーでも……しかし今度は、勝利を収めたディオニュソスでやってきて、大地を祝いの日にするでしょう……時間ひまは存分にはないでしよう……私のいることを天空は喜ぶことでしょう……私はまた十字架にかかってしまったのだ……

ちくま学芸文庫版、塚越敏、中島義生訳『ニーチェ全集別巻2』所収『ニーチェ書簡集Ⅱ 詩集』P282-283

この箇所は一見冗談のようにも見えてしまいますが、ここまでじっくりと書簡集を読んでくるとこれがただ事ではないことに戦慄を覚えることになります。狂気へ突き進んでいく過程をこの書簡集でははっきりと見ていくことになります。

ニーチェの精神の遍歴がこの書簡から見えてくるようでこちらも非常に興味深かったです。

また、この本ではドストエフスキーとの出会いについて語られたり、その愛好ぶりについても知ることができます。これについては次の記事でまとめたいと思います。

ニーチェの素顔を知る上でこの書簡集は非常におすすめです。ニーチェに対するイメージがきっと変わると思います。ぜひ読んで頂きたい本です。正直、哲学作品そのものよりもおすすめしたいくらいです(笑)それくらい面白いです。

以上、「『ニーチェ書簡集Ⅰ・Ⅱ』ニーチェの素顔を知るのにおすすめ!」でした。

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