チェーホフ『仮装した人びと』あらすじ解説―チェーホフの特徴を知るならまずはこの作品

チェーホフとドストエフスキー

チェーホフ『仮装した人びと』あらすじ解説―チェーホフの特徴を知るならまずはこの作品

『仮装した人びと』はチェーホフによって1883年に発表された短編です。

私が読んだのは中央公論社、神西清、池田健太郎訳の『チェーホフ全集 2』所収の『仮装した人びと』です。

この短篇はページ数にして4頁にも満たない短い短編ですがここにチェーホフを知るためのエッセンスが凝縮されています。

この短編は以下のような一幕から始まります。

日暮れ時。町角を、一ぱい機嫌の皮衣や、厚子の婦人ジャケツから成る色とりどりの群衆が歩いている。笑い声、話し声、踊るような足つき。群衆の先頭に、古外套に帽子を横っちょにかぶった小さな兵隊が、跳びはねている。

向うから《下士官》がやって来る。

「きさまはなぜ敬礼をせんか?」下士官がその小さな兵隊めがけて飛びかかる。「ああ?なぜだ?待て!きさまはどこの兵隊だ?何ということだ?」

「だってあなた、あたしたち仮装なのよ!」とその兵隊は女の声で言う。群衆は下士官ともども、どっとばかり笑いくずれる。

中央公論社、神西清、池田健太郎訳『チェーホフ全集 2』所収『仮装した人びと』P51-52

この後も誰もが羨む華やかな衣服をまとった美人が実は誰かの愛人で、自分が捨てられはしないか、別の愛人のために衣服を持っていかれないかとびくびくしていたり、正義漢風の弁護士が実は金のことしか考えていなかったりと、見た目と真実が乖離した人びとが描かれていきます。

チェーホフ研究者の佐藤清郎氏はこの作品について次のように述べています。

チェーホフの主要な作品の構造は、「表」と「裏」、「虚」と「実」、「夢」と「現実」の対比を骨組の中心に置いていて、その巧みな対比の上にプロットが構築されているのだが、『仮装の人々』こそ、まさにこの種の構造の原型と言っていい。わずか数行の中に人生の表裏が巧みに描出されていて、まことに見事だ。(中略)

この掌篇を、私はチェーホフ文学の大切な原点の一つと考えている。およそこの世には、多少なりとも仮装をまとわぬ人間はいないし、ポーズを取らぬ人間もいないことを、実に簡潔に、巧みな例で的確にとらえていると思う。私たちの前を日常よぎる人たちは、それぞれ仮装の人たちではないか。人間は弱さ、哀しさ、いやらしさを「仮装」で隠す。ところがその「仮装」が、逆に弱さ、哀しさ、いやらしさを強めるのである。

文学とは、「仮装」を剥いで真の姿を示すものではないのか。「仮装」を自覚することは賢さの証左であるが、仮装を見抜くのは非情な賢い眼だ。日常の「虚」の底に「実」を見ようとするのは、もとよりチェーホフの賢さの表われであるが、同時に、彼の倫理感の表われでもある。嘘を嫌う心が底にあるからだ。それはまさに潔癖なほどのものであったと言う。

「嘘をつく必要がない!」

「公正でなければならない!」

家庭におけるチェーホフが好んで口にした言葉である(弟妹はそれを証言している)。

この潔癖さが笑いと結びついている。

筑摩書房、佐藤清郎『チェーホフ芸術の世界』P35-36

『文学とは、「仮装」を剥いで真実を示すものではないか』

非常に厳しい言葉ですよね。文学は世界の仮装を暴き、真実の姿を浮かび上がらせることこそその使命であると佐藤氏はここで言います。チェーホフのこの作品はその姿勢が最もわかりやすく現れています。チェーホフは亡くなるまでこの姿勢を捨てず、数多くの作品を作り上げるのでした。

感想

街行く人々を観察する作者。その作者の目には人々の姿は仮装パーティーのごとくだった。

これは佐藤氏が言うように相当な観察眼、そして人生観が必要となってきます。

ですがよくよく考えてみれば私たちも色んな場で色んな自分になっていますよね。ある時はかっちりした正装、ある時はラフな格好など、状況によって私たちは見た目が変わります。

そしてこれは単に服装や見た目だけの問題だけでなく、私たちが何者であるかということさえその場に応じて私たちは仮装しているのだということをこの作品では暴き出します。

先程少し例に出しました華やかな衣服をまとった女性。チェーホフがこの女性を描くとどうなるかといいますと、次のようになります。

桟敷に、美しい、太った奥様が坐っている。年恰好はこうと決めかねるが、まだ若い様子で、これからもまだまだ若いだろう。……豪勢な身なりである。白い腕には、ずっしりした腕輪、胸にはダイヤのブローチ。傍には、千ルーブリはしようと言う毛皮外套。廊下には、モールのついた服を着た従僕が待ち受け、通りには、一対の黒馬と、熊皮の膝掛のある橇がお帰りを待っている。……血色のいい美しい顔とぐるりの様子が、「あたしは幸福でお金持よ」と語っている。でもまあ、真に受けることはありませんよ、読者の皆さん!

『あたしは仮装の女』と彼女は考える。『あしたか明後日、男爵がNadineといい仲になったら、これも全部はぎ取られるにきまっている。……

中央公論社、神西清、池田健太郎訳『チェーホフ全集 2』所収『仮装した人びと』P52

傍から見れば何ひとつ不自由ない幸せそうな女性に見えますが、実は身につけている全てが仮装。男爵が他の女に鞍替えしたら全部剥ぎ取られるに違いないと怯える女性だったのです。

チェーホフはこの後もこうした例を次々と挙げていきます。

それらを読んでいると、私たちが日々目にしている人々、いや自分自身も真実ではありえないのではないかという気分になっています。

目に見える姿と真実の姿のずれ。

特に傍から見れば羨ましく思えてしまうようなものにこそ実は悲しむべき真の姿がある。そうしたことを思わされます。

チェーホフ文学の特徴が非常にわかりやすく出ているのがこの作品です。

短い物語の中にチェーホフらしさが凝縮されています。非常におすすめです。

以上、「チェーホフ『仮装した人びと』あらすじ解説―チェーホフの特徴を知るならまずはこの作品」でした。

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