ドストエフスキーとフランスについて考える~ロシアとフランスの深い関係とは
皆さんこんにちは。
ここ最近、ドストエフスキー資料の更新が続いてきましたが、昨日の更新でそれも一段落しました。
そして本日からはドストエフスキーとフランスについてお話ししていきたいと思います。
18、19世紀のフランスはヨーロッパの首都と言われるほどの繁栄ぶりで、ロシアの上流階級はフランス文化に浸り、フランス語で会話することがステータスであるほどでした。
ドストエフスキーの生きた時代はフランスの影響を強く受けています。
ドストエフスキーを理解する上でフランスを学ぶことは、彼の思想が何に向けられて語られているかを知ることに非常に役に立つと思われます。
私たちは今、21世紀の日本に暮らしています。車や電気、スマホに囲まれ、それが当たり前の生活をしています。
しかし、19世紀にはスマホなど当然ありません。19世紀の人間の当たり前は21世紀を生きる私たちとは全く異なります。
当たり前のことはわざわざ語りません。私たちだって電気やスマホに囲まれた便利な生活についてその原理や効能を何かの場で細かく語ることはしませんよね。当たり前だから話すまでもないのです。
ですが、当たり前だからこそ、それらは私たちの思考や行動にとてつもない影響を与えています。
同じようにドストエフスキーも彼の生きた当たり前の影響を受けています。
ドストエフスキーの小説にはフランス、つまりヨーロッパ思想に対する反論がよく出てきます。以前にも紹介しました「二二が四のような合理主義』や「理想主義」、さらには『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのナポレオン思想、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の章もここに根があります。
他にも紹介しきれないほど、ドストエフスキーとフランスの関係は山ほど小説に現れます。
しかし、それらはドストエフスキーにとっては当たり前のものが多く、詳細な説明がなされないことが多々あります。
こうした意味でも、当時のフランスを知ることはドストエフスキーを知るために大きなヒントを与えてくれるのではないかと思います。
また、そもそも日本人にとっても、フランスは憧れの国としてイメージされることが多いと思います。おフランスですね。
ですがそのおフランスが実際にどのような歴史を経て文化を形成してきたかは意外とわからないというのが正直なところではないでしょうか。正直、私はヴェルサイユ宮殿と舞踏会のイメージくらいしかなく、その歴史はほとんど知りませんでした。フランス革命の年号も怪しいです。ナポレオンが何年に現れ何をした人物なのかもわかっていませんでした。
というわけで、私たちの憧れのイメージとしてもよく現れてくるフランスについて知ることはドストエフスキーを学ぶためだけでなく、様々な発見をもたらしてくれるのではないかと思う次第であります。
これからおそらく1か月半ほど、これまでと同じように本の紹介をしながらフランスについてブログでまとめていきたいと思っています。ドストエフスキーファンの方だけでなく、フランスに興味のある方にもお役に立てるように書いていきたいと思っています。
では、さっそく始めていきましょう。
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