目次
ナポレオン三世のフランス第二帝政(1852-1870)とドストエフスキーの意外なつながり
フョ―ドル・ドストエフスキー(1821-1881)Wikipediaより
ここからはフランス第二帝政期と呼ばれる時期とドストエフスキーについてお話ししていきます。
ここまで当ブログで述べてきましたようにドストエフスキーにとって19世紀前半のフランスは彼の青年期にあたり、強い影響を与えていました。
しかし1848年にフランス二月革命が勃発し、ロシア皇帝は政府の転覆を恐れて社会主義思想を弾圧。その結果ドストエフスキーは逮捕されシベリア流刑になります。
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ここまでの記事でフランスの歴史をざっくりと眺めてきましたが前回の記事の終盤に出てきました二月革命、これがドストエフスキーのシベリア流刑と関係があるとしたら皆さんはどう感じますでしょうか?
実はドストエフスキーの流刑も、フランスの政治情勢と深い関係があったからこそ起きてしまった出来事だったのです。
この記事ではそのフランス二月革命とドストエフスキーの流刑の関係についてお話ししていきます。
ドストエフスキーは4年間監獄生活を送り、その後は兵役に就くことになります。
彼がサンクトペテルブルグに帰ることができたのは逮捕の10年後の1859年のことでした。
ドストエフスキー『地下室の手記』と理想主義の崩壊
シベリア流刑までのドストエフスキーを前期ドストエフスキー時代と呼ぶとするなら、シベリア流刑以後の彼は後期ドストエフスキー時代と呼ぶことが出来るでしょう。
後期ドストエフスキーの特徴はといえば、理想主義が壊れ、人間は合理的な存在ではないという思想転換が起こったところにあります。
このことは以前紹介しましたシェストフの『悲劇の哲学』で述べられていて、彼によればドストエフスキーはもともと熱烈な理想主義者であり、それが完膚なきまでに破壊され、理想主義に背を向けたことがはっきりと見受けられる転換点が1864年の『地下室の手記』という中編小説であると述べています。
ドストエフスキーはこの小説の中でそんな理想主義を「二二が四」の理屈であるとして非難します。
ドストエフスキーにとって、フランスは憧れの存在でした。
発達した文明、そして理想的な社会を説く社会主義思想、彼はこれら光り輝くフランス文化に夢中になっていたのでした。
しかしシベリア流刑を経てその理想が壊れ始めます。
サンクトペテルブルグ帰還後の1862年には彼が幼い頃から憧れ続けていた念願のヨーロッパ旅行にも出発します。その様子は彼の『冬に記す夏の印象』という旅行記で見ることが出来ます。
しかし、この作品では憧れだったはずのヨーロッパに対して、感動した様子が全く描かれていません。むしろ異様なほど言葉の調子が低く、悲しみに満ちているかのように旅行の印象を書き続けます。
この頃にはフランスに対する思いもずいぶんと変化しているように思われます。
そして結核に侵されヒステリックになっていく妻との不和、進歩的な若い女性との狂おしいほどの激しい恋、兄と共同で経営していた雑誌が発刊禁止とされる行政処分など彼の生活はどんどん混乱していきます。
そして1864年には妻が亡くなり、さらにその3か月後には最愛の兄まで亡くなってしまうのです。
こうした絶望的とも言える悲惨な状況で書かれていたのが『地下室の手記』だったのです。
これまで思い描いてた理想の世界がすべて崩壊した瞬間でした。
フランス第二帝政(1852-1870)とドストエフスキー
ドストエフスキーがシベリア流刑で隔離されていた10年間に、フランスは大激変を遂げていました。
1848年、二月革命によって王政が倒れ、共和制が始まったものの政治は混乱し、その混乱に乗じてナポレオン三世が1851年にクーデターで政権を掌握。
翌1852年には正式に皇帝となり、フランスはあのナポレオン・ボナパルト時代と同じ帝政へと舵を切ったのでありました。
ナポレオン三世と第二帝政については次の記事でお話ししていきますが、この時代はフランスがこれまでよりもさらに急激に発展していく時代になります。
この時代こそ、私たちの生きる現代社会と直結した世界です。この時代のフランスが現代を生きる私たちのライフスタイルの原点となったのです。
ドストエフスキーは1862年に初めてフランスを訪れます。
それまで本や人の話によって知っていたフランスとは激変したフランスを彼は見ることになります。10年間も隔離されていた彼はもはや浦島太郎状態だったかもしれません。
彼はこれからヨーロッパはどうなってしまうのかと思案します。あれだけ輝いて見えていたフランスが、もはやその姿を失ってしまったかのように見える…彼はもの思いに耽ってしまいます。
そうした彼のヨーロッパへの想いが実は『罪と罰』以降の五大長編にも大きな影響を与えているのです。
特に『悪霊』はヨーロッパを席捲をした社会主義思想の行きつく果てが暴力的なテロリズムであり、身内同士の陰惨なリンチへと繋がっていくことを予言します。
その後の『未成年』『カラマーゾフの兄弟』もヨーロッパ思想の行きつく先が大きなテーマのひとつになっています。
フランス第二帝政期はドストエフスキーが初めて自分の目で見たフランスであり、この時代のフランスが後の世界のライフスタイルを決定づけていくという意味でも非常に重要な時代です。
この時代を知ることによって、ドストエフスキーが五大長編で何を言いたかったのかということがより明確になっていくのではないでしょうか。
というわけで、次の記事ではナポレオン三世と第二帝政の特徴をざっくりとお話ししていきます。
以上、「ナポレオン三世のフランス第二帝政とドストエフスキーの意外なつながりとは」でした。
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