神野正史『世界史劇場 天才ビスマルクの策謀』普仏戦争とエミール・ゾラ、ドストエフスキーへの影響を考えるのにおすすめ!

神野正史 イギリス・ドイツ文学と歴史・文化

ヨーロッパに激震!鉄血宰相ビスマルクと普仏戦争―エミール・ゾラとドストエフスキーへの影響

前回の記事ではドストエフスキーに多大な影響を与えたドイツの詩人シラーの『群盗』をご紹介しました。

今回は文学作品ではないのですが、ドストエフスキーが生きていた当時のドイツと世界情勢を知るのに最適な入門書が最近発売されましたのでそちらをご紹介します。

こちらは『世界史劇場 天才ビスマルクの策謀』という本で、以前私のブログでも紹介しました『世界史劇場 フランス革命の激流』と『世界史劇場 駆け抜けるナポレオン』の著者である神野正史氏による著作です。

ビスマルクといえば鉄血宰相の異名で有名です。世界史を学べば必ず出てくるプロイセンの大物政治家です。

今回私がこの本を紹介するのも、このビスマルクこそ1870年の普仏戦争を引き起こした張本人であり、当時のナポレオン3世のフランス第二帝政の息の根を止めた人物であるからなのです。

普仏戦争といえば、これまで私のブログでも紹介してきたフランスの文豪エミール・ゾラともとても関係が深い戦争です。

エミール・ゾラ(1840-1902)はナポレオン三世のフランス第二帝政期(1852-1870)の全てを描こうとした作家です。

そして彼の小説群「ルーゴン・マッカール叢書」では20巻にもわたってその全貌を描きだしていて、その中には日本でも有名な『居酒屋』『ナナ』『ジェルミナール』などの傑作も含まれています。

その「ルーゴン・マッカール叢書」のクライマックスにあたるのが『壊滅』という小説で、これこそまさに1870年の普仏戦争をモチーフにした小説なのです。

そしてそもそもなぜ私がエミール・ゾラを読み始めたのかと言いますと、ドストエフスキーを知る上でフランス第二帝政を知ることは非常に重要なのではないかと思ったからでした。

若きドストエフスキーはかつてフランスやイギリスをはじめとしたヨーロッパ文明に強い憧れを持っていました。

しかし1849年にシベリア流刑になり、長きにわたる流刑生活を経てその憧れは幻滅に変わります。

そんなドストエフスキーが初めてヨーロッパへと足を踏み入れ、実際に自分の目で見聞を広めたのが1862年。まさにナポレオン3世のフランス第二帝政期のヨーロッパであり、ビスマルクが暗躍していた時代だったのです。

ドストエフスキーはやがてヨーロッパ文明を批判するようになり、その思想は彼の晩年までの作品『悪霊』『未成年』『作家の日記』『カラマーゾフの兄弟』にも大きな影響を与えることになります。

このことについては少し長くなってしまいますので以前お話ししました「フランス第二帝政(1852-1870)とドストエフスキー」を参照して頂けると幸いです。

ベレ出版、神野正史『世界史劇場 天才ビスマルクの策謀』概要と感想

さて、ここからはこの本についてお話ししていきます。表紙と帯には次のように紹介されています。

まるで映画を観ているようなおもしろさ!

ビスマルク体制が崩れた時、第一次世界大戦の火蓋は切られた

鉄血宰相はいかにしてヨーロッパの国際関係を操ったのか

神野正史『世界史劇場 天才ビスマルクの策謀』ベレ出版

『世界史劇場 フランス革命の激流』や『世界史劇場 駆け抜けるナポレオン』もそうなのですが、神野先生の著作は本当に面白いです!

「まるで映画を観ているような」というのもまさにその通りだなと感じます。臨場感たっぷりの語り口はもう名人芸の域に達しています。

もっと知りたいという知的好奇心が自然と湧き出て来て、どんどん先を知りたくなります。そうしている内になぜその出来事が起こったのか、そしてそこからどう展開していくのかという歴史の流れがすんなり頭の中に入ってきます。これは素晴らしいですね。

歴史の勉強といえば、年号と人物などの暗記がメインだった受験時代。

これでは歴史の本当の面白さやその意義は見えてきませんよね。この本はそんな歴史というものに対する先入観も破壊してくれます。

今作のメインテーマ「ビスマルク」について、「はじめに」では次のように述べられています。少し長いですが重要な部分ですので全て引用していきます。

 近代以降、ヨーロッパは”たったひとりの人物”に翻弄されたことが三度あります。

 そのひとりが「ナポレオン1世」。

 一時はほぼ全欧がナポレオンの直接支配を受けるか、さもなくば属国・同盟国・友好国の地位に置かれ、終始彼と対決姿勢を鮮明にしていたのはほとんどイギリスくらいのものでした。

 もうひとりが「Aアドルフ.ヒトラー」。

 彼もまた、一時はほぼ全欧を支配下か、属国・同盟国に置き、終始彼に対決姿勢を鮮明にしていたのはやっぱりイギリスくらいのものだった―などなど彼とナポレオンとの共通点は多い。

 そのため両名はよく比較され、本「世界史劇場シリーズ」でもすでに取り上げられていますが、じつはナポレオンとヒトラーの影に隠れてもうひとり、全欧を手玉に取った人物がいます。

 その人物こそが「Oオットー.ビスマルク」です。

 何かと共通点の多いナポレオン・ヒトラーに対して、ビスマルクは彼らと一線を画します。

 ナポレオン・ヒトラーが「武」を以て全欧を制したのに対して、ビスマルクは「智」を以て全欧を手玉に取りました。

 さらにナポレオン・ヒトラーが全欧を「戦禍ウォー・ダメージ」に巻き込んだのに対して、ビスマルクは全欧に「秩序オーダー」をもたらします。

 じつは、ヨーロッパは近世以降「国際秩序インターナショナル・オーダー」なくして秩序が維持できなくなっており、ウェストファリア体制が生まれてから以降、ウィーン体制・ヴェルサイユ体制・ヤルタ体制など、何度も「国際秩序」を構築していますが、それらはすべてその時代の覇権国家の合意によって決められ、国際機構によって維持されたものであって、「たったひとりの人物の智」で構築され、「その掌の上」で転がされた国際秩序は後にも先にもこの「ビスマルク体制」のみで、彼の政才が如何にズバ抜けていたかが窺い知れます。

 知名度こそナポレオン・ヒトラーに及ばないかもしれませんが、彼が歴史に及ぼした影響は両名に引けを取りません。

 しかし。

 ひとりの”天才”の胸三寸・掌の上で維持されてきた平和パックスは、そうであるが故らにあやうい。

 彼の偉大さをまったく理解できない痴者しれものによってビスマルクが失脚したとき、その”支え(ビスマルク)“を失った平和パックスは音を立てて崩れはじめます。

 そしてそれが、ヨーロッパの”終わりの始まり”となります。

 ひとたび崩壊が始まったが最後、崖を転がり落ちゆく岩の如く、何人たりとも止めることのできない破滅への道を一直線に転がり落ちていき、その先に待ち受けていたものが「第一次世界大戦」「戦間期」「第二次世界大戦」、そして戦後現代と”ヨーロッパ衰亡の歴史”が現在までつづくことになりました。

 いえ、筆者の見るところこれからも。

 今は老醜をさらけ出しながらEUにしがみついてなんとか生き残りを懸けている欧州ヨーロッパですが、これもうまくいくことなく21世紀いっぱいまでに”地球の辺境”として誰も一瞥だにしない小国群に成り下がっていくことでしょう。

 したがって、現代を理解し未来を知るためには、その濫觴らんしょうとなったビスマルクの理解は必須となります。

神野正史『世界史劇場 天才ビスマルクの策謀』ベレ出版 「はじめに」より

世界の歴史はそう単純なものではありません。

平和が大切だといくら言っても、世界は策謀と戦争にいつ巻き込まれるかわからない極めて微妙なバランスで成り立っています。

普通に生活していてはなかなか知ることができない戦争の真の姿や、なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和は実現しないのかということを神野先生は国際関係の歴史から丁寧に解説してくれます。

この本を読めば世界に対するものの見方が変わってくると思います。

いかに国際政治の世界や歴史が複雑なものかを教えてくれることでしょう。

そしてまた同時に、日本人たる私たちが今世界でどのような状況に置かれているのかも考えさせられることになります。

世界の歴史を見ることで日本の歴史も見直すことになるのです。

この本では日露戦争のことも言及されていて、遠いヨーロッパの出来事がいかに日本にも強力な影響を与えていたかが一目瞭然です。

ぜひおすすめしたい1冊です。

ドストエフスキーとビスマルク

ビスマルクの巧みな世論操作によって普仏戦争が勃発したのが1870年。

この時ドストエフスキーはドイツのドレスデンに滞在していて、ちょうどこの頃『悪霊』の執筆をしていました。

彼の日課のひとつは毎日いくつもの新聞を読み、世の中の出来事にアンテナを張り続けることだったと言われています。

そのためドストエフスキーは新聞などで普仏戦争について逐一情報を得ていました。

そしてそのことは彼のノートにも記録されています。

かつて憧れていた華の都パリが焼け落ちていく様を、ドストエフスキーはどのように感じたのでしょうか。

また、ヨーロッパが戦乱に突き進み、パリのような廃墟がどんどん増えていくとしたら・・・そしてその波がロシアに押し寄せてきたら・・・

そのような危機感がドストエフスキーの中に生まれ、一刻も早くロシアに帰りたいとドストエフスキーは様々なところで記しています。

ドストエフスキーの国際情勢に対する言説が増えだすのもこの辺りから顕著になってきます。

特に『作家の日記』では国際情勢と戦争についてかなりの分量が割かれています。ドストエフスキーがいかに国際情勢に対して関心を持っていたかがうかがえます。

彼のロシア観、世界情勢観を知るにはこの時代にヨーロッパ中に絶大な影響力を持って君臨したビスマルクを知ることは非常に有効であると思います。

ビスマルクこそこの時代のヨーロッパの秩序を作り出した張本人です。

そして彼の失脚が第一次世界大戦へと繋がっていくことにもなるのです。

第一次世界大戦のきっかけとなったあのサラエボ事件も古くはこの1870年の普仏戦争が伏線となっているのです。

サラエボ事件が起きたラテン橋 撮影上田隆弘

歴史はすべて繋がっています。それも、恐ろしいほどにです。

ドストエフスキーはヨーロッパ文明の行く末は破滅だと予言していました。それがまさしく当たってしまったのです。

そうした意味でもビスマルクを学ぶことはドストエフスキーが生きた当時のヨーロッパの政治情勢を学ぶことにつながるため非常に有益だと思われます。

この記事ではビスマルクがどんな人物で何をしたかはお話ししませんでしたが、興味のある方はぜひ手に取って頂ければなと思います。

以上、「ヨーロッパに激震!鉄血宰相ビスマルクと普仏戦争(1870)―エミール・ゾラとドストエフスキーへの影響」でした。

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