【仏教講座・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】記事一覧~目次としてご利用ください
この連載記事を読めばブッダの生涯だけでなく当時のインド社会の雰囲気も感じて頂けることでしょう。これはきっと皆さんにとっても刺激的な体験になると思います。
「宗教や仏教を学ぶ」と言いますと肩肘張ったものになってしまうかもしれませんが、ぜひ気楽にブッダという一人の偉人の生涯に触れて頂けたらなと思います。
この連載記事を読めばブッダの生涯だけでなく当時のインド社会の雰囲気も感じて頂けることでしょう。これはきっと皆さんにとっても刺激的な体験になると思います。
「宗教や仏教を学ぶ」と言いますと肩肘張ったものになってしまうかもしれませんが、ぜひ気楽にブッダという一人の偉人の生涯に触れて頂けたらなと思います。
さて、ここまで19回にわたりブッダの生涯についてお話ししてきましたが、この20回目でついにブッダの生涯も終わりを迎えることになります。
この記事ではブッダの最後の旅についてとその死去と火葬についてお話ししていきます。ブッダの80年に渡る生涯がいよいよ幕を閉じます。
前回の記事まででブッダ教団の急拡大についてお話ししました。
有能な弟子たちの加入や大国の国王達や大商人の支援によってブッダ教団は正真正銘の大教団として台頭してきます。
その長たるブッダがいよいよ生まれ故郷へと帰還することになります。今回の記事ではその顛末についてお話ししていきます。
ブッダは大国マガダ国へやって来ました。 ブッダがここへはるばるやって来たのはここに当時最高峰の瞑想行者がおり、彼らから修行の基本である瞑想法を習うためでした。 今回の記事ではブッダの厳しい苦行生活についてお話ししていきます。 あの有名なガンダーラの断食仏像で表現されたガリガリの姿はまさにこの苦行時代のブッダになります。
鬱々としていた日々を過ごしてきたブッダはついに大いなる志を胸に旅立ちます。しかし王宮に住むブッダが誰にも知られずにそこから脱出するのは至難の業。そこで頼ったのが馬丁のチャンナと愛馬カンタカだったのでした。今回の記事ではそんなブッダの出家の顛末をお話しします。
シャカ族の都であるカピラヴァストゥで若き日々を過ごしたブッダ。前回の記事ではそんなブッダが四門出遊を通して出家への意思を固めるところまで見ていきましたが、今回の記事ではその舞台となった地を実際に歩いて私が感じたことをお話ししていきます。実際に現地で見たからこそ見えてきたブッダの姿がありました。
前回の記事ではブッダの誕生についてお話ししましたが、今回の記事ではそんなブッダの青年期についてお話ししていきます。
ブッダが出家を志すきっかけとなった「四門出遊」についてや、彼が暮らしたカピラヴァストゥの王宮についてもこの記事ではお話ししていきます。
ルンビニーで生まれたブッダは間もなく王都カピラヴァストゥに戻ることになりました。
しかしここで誰もが予想もしなかった悲劇に見舞われることになります。王妃マーヤーがブッダを出産した七日後に急死してしまったのです。
母の死はブッダにどのような影響を与えたのでしょうか。
今回の記事から全25回の連載を通してゴータマ・ブッダ(お釈迦様)の生涯を現地写真と共にざっくりとお話ししていきます。 私は2024年2月から3月にかけてインドの仏跡を旅してきました。 この連載では現地ならではの体験を織り交ぜながらブッダの生涯を時代背景と共に解説していきます。
この作品では衝撃的な事実が語られます。以前当ブログでも紹介した『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』でも西洋由来の仏教学の問題について語られていますが、本書はまさにその本丸と言ってもよい作品になります。
この本を読むと、「原始仏教に帰れ。日本仏教は堕落している」という批判が出てくる理由がよくわかります。これまでどうしても腑に落ちなかった大乗仏教批判に対して「ほお!なるほど!そういうことだったのか」という発見がどんどん出てきます。この批判が出てくる背景を追うととてつもない事実が浮かび上がってきます。これは最高に刺激的な一冊です。とてつもない作品です。もうぜひ読んで下さい!きっと皆さんも衝撃を受けると思います。