⑹ブッダの出家はどのようにして行われたのか~馬丁チャンナと愛馬カンタカとの深夜の旅立ち

ネパール 仏教コラム・法話

【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑹
 ⑹ブッダの出家はどのようにして行われたのか~馬丁チャンナと愛馬カンタカとの深夜の旅立ち

ブッダの出家~ブッダはいかにして城を出たのか。馬丁チャンナと愛馬カンタカの存在

妻ヤショーダラーとの間にラーフラが生まれたブッダはいよいよ家を出る決意を固めます。

以前の記事でもお話ししましたように、ブッダは「四門出遊」を経てすでに出家への憧れを強めていました。また、自身の国の行く末を案ずる思いもあったことでしょう。このまま王位を継承したところで遅かれ早かれ大国に滅ぼされる運命をブッダは見通していたはずです。

そしてある日の深夜、ブッダはついに出家を決行します。

まず、ブッダは信頼する馬丁チャンナの所へ向かいました。そして開口一番「チャンナよ、私の愛馬カンタカをここへ急いで連れてきてほしい。私は今日、城を出ることにする」と告げます。

王スッドーダナ王からブッダを外に出してはいけないと厳命されていたチャンナでしたが、ブッダを前にしてどうしても彼の訴えを退けることはできません。彼はブッダの望む通り、愛馬カンタカを連れてきます。心優しき馬丁チャンナはカンタカに優しく声をかけ、主人に尽くすことを諭しました。そしてカンタカはそれに応えるがごとく、いななき一つ、足音一つ立てずに静かに歩んだのでした。

こうして支度を整えた二人はいよいよ都城を脱出しようとします。

しかし、スッドーダナ王は普段から夜は固く門を閉ざしていました。警備上これは当たり前の措置ですが、ブッダの出家を恐れての厳重さでもありました。

ですがブッダがこの門の前までやってくると、この日はなぜか警備もおらず、さらには誰の手も触れることなく自然にこの門が開いたのでした。まるでブッダの出家を神々が望み、喜んでいるかのようでした。

こうして何の障害もなく無事カピラヴァストゥの城壁を抜けたブッダは後ろを振り返りこう述べました。

「生死の彼岸を見なければ、私は再びこのカピラヴァストゥに入ることはないだろう」

悟りの境地に至らなければ二度とここへは戻るまいという強い決意を持ってブッダは一歩を踏み出しました。ただ、これは逆に言えば、「私は悟りを開き必ずここへ戻ってくるぞ」という誓いとも取れるのではないでしょうか。これは私達にも実感が湧きますよね。もし故郷が本当に嫌で出家したならばこういうことは言わないはずです。故郷を愛し、誇りに思うからこそ、絶対に自分は成功して戻ってきたいと思うのではないでしょうか。

こちらがブッダが出家する際に通ったと言われる門になります。もちろん、これは修復されたものになりますが、ある程度の城壁、門の規模があったことは想像できます。この城門がこの夜に限って開き、さらに門番に止められることなく通過できたというのはまさに奇跡的なことだったでしょう。

ただ、私はここにヤショーダラーの協力があったのではないかと想像してしまいます。

前回の記事でもお話ししましたが、ブッダの宮殿はスッドーダナ王の宮殿の目の前にありました。しかもブッダの宮殿は私達の想像よりもかなり小さいです。それもそのはず、今から2500年前のネパールの小国にアラビアンナイトのような宮殿は存在するはずもありません。そんな小さな宮殿から誰にも気づかれずに脱出し、さらに目の前には王の宮殿がある中、馬に乗って脱出するなどほぼ不可能に近いです。ある仏伝によれば一緒に住んでいたヤショーダラーは寝ていたことになっていますが、何も書かれていない仏伝も多くあります。つまりこの時ヤショーダラーがどのような状況だったかはわからないのです。何度も言いますが、仏伝には諸説がありすぎるのです。その諸説ある中で私は私の思う仏伝をここでお話ししています。

ただ、先程も申しましたように彼女がブッダに協力的だったとすると色々と辻褄が合ってきます。ブッダが一目につかないタイミングをうまく作り出し、さらに門の手配も済ませていたかもしれません。ブッダの都城脱出には協力者が他にいたのではないかと私はどうしても考えてしまうのです。これは現地を歩いたからこそ感じたことでした。

ブッダの剃髪。出家修行者の道へ

かピラヴァストウ付近

無事カピラヴァストゥを抜けたブッダとチャンナは馬を走らせ続けます。

そして追手もすぐにはやって来ないであろう郊外の森にたどり着くと、ブッダはいよいよチャンナとカンタカに別れを告げます。

「友よ、お前は私に対する忠誠とお前自らの勇気を示してくれた。

互いの目指すところは全く異なってはいるが、主人へのこのような忠愛とこのような能カをもつお前に、私は心を打たれた。

敬愛の念なくとも有能な者はいる。また能力なくとも忠愛の心ある者もいる。しかし、お前のように忠愛の念と能力とをもつ者はこの世では得がたい。

それゆえ、私はお前のこの気高い行ないを喜んでいる。そのようなお前の心は私に向けられており、報酬を顧みなかった。(中略)

多くを語る必要はない。要するに、お前は私のために本当によいことをしてくれた。馬をひいて帰ってほしい。私は来たいと思ったところに来たのだから」

講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』P65-66

ブッダはこうしてチャンナを労い、自らの宝石を彼に与えました。そして父王への別れの言葉も彼に託したのでありました。

しかしチャンナもすぐには引き下がれません。敬愛するブッダが去ってしまうのをなんとか引き留めようと最後の説得をします。

「ご主人よ、私の心は、川の泥に象が沈んでいくように、沈んでいきます。

このようなあなたのご決心は、何人の涙を流させないでおくものでしょうか。鉄でできた心においてさえも、そうなのですから、愛情にとらわれた心にあってはなおさらのことです。

と申しますのは、宮殿の寝台にふさわしいあなたの繊細さと、鋭いダルバ草の葉端におおわれた苦行の森の地面とは、大変な違いがあるからです。

ご決心を聞いて、なお馬を私が連れてきましたのは、ご主人よ、私が神の手によって、むりやりになさしめられたからです。

あなたのご決意を知りながら、どうして私が自ら進んで、カピラヴァストゥの都の人々の悲しみそのものである、この馬を連れてもどれましょう。

それゆえ、腕の強いお方、子供を愛し愛情豊かな年老いた王を、あたかも不信心者が正しい教えを捨てるように、お捨てになってはなりません。

あなたを育ててお疲れになった王妃、あなたの継母を、恩知らずが親切を忘れるように、お忘れになってはなりません。

徳がそなわり、一族の称賛の的である、幼子をかかえたあなたの貞節な妃を、あたかも不能者が、手に得た幸福の女神を捨てるように、お捨てになってはなりません。

名声を有し規範に従う者のうち最もすぐれており、妃ヤショーダラーより生まれた、讃えられるべき幼いご子息を、あたかも放蕩者が最高の名声を捨てるように、お捨てになってはなりません。

たとえ父親と王国をお捨てになる決心をなさったとしても、力強き方よ、私をお捨てになってはなりません。なぜなら、あなたのみ足が私の救いなのですから。(中略)

あなたとともにでなく都に帰った私に、王は何とおっしゃるでしょう。あるいはまた、後宮の人々には、あの方々は私と一緒のあなたをいつも見ておいでなのですから、何と言えばよいのでしょう。

王の前でご自分の不徳を話せ、とあなたは言われましたが、聖者のように欠点のないあなたについて、本当ではないことをどうして語ることができましょう。

たとえ、心うしろめたく、舌をもつれさせて、私がそう申し上げたとしても、だれがそれを信ずるでしょう。(中略)

いつも慈愛に満ち、つねに憐れみを知るあなたにとって、あなたを愛する者たちを捨てることは似つかわしくありません。お願いですからおもどり下さい」

講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』P68-69

チャンナの説得はそのひとつひとつが至極真っ当な説得で、実に情に訴えかけるものでありました。

特に最初に「宮殿の寝台にふさわしいあなたの繊細さと、鋭いダルバ草の葉端におおわれた苦行の森の地面とは、大変な違いがあるからです」とチャンナが訴えかけるのは思わず「その通り!」と頷きたくなるほどです。さすがチャンナ、しっかりブッダを見ている常識人です。普通に考えれば、これまでスッドーダナ王に何不自由ない生活を与えられ快適な住環境にいたブッダがいきなり野宿生活なんてできっこありません。すぐに身体を壊して病気になってしまうのが目に見えています。だからこそ「悪いことは言いませんからおやめなさい」とチャンナは必死に説得します。

しかしブッダは全く動じる気配がありません。

そしてこれまで愛してくれた父や母、義母、妻や息子を捨ててでもあなたは行かれるのかという最後の説得をしてもブッダの決心は変わりませんでした。悲しむチャンナに対しブッダはこう声をかけます。

「私との別れを悲しむことはやめなさい。生きものはさまざまな生まれ方をしても、必ず別れなければならないのだから。

たとえ、その愛情から私が親族を自ら捨てなくとも、死はいやおうなくわれわれを互いに分かつだろう。

大きな望みをかけ、苦しんで私を腹に宿して下さった母の努力は、むなしいものとなった。私と母は、何と遠く離れてしまったことだろう。

鳥たちが、ねぐらの樹に集まっては散っていくように、生きているものが一緒にいることは、必ず別離で終わるものなのだ。

生あるものたちの出合いと別れは、雲が合ってはまたちぎれて離れていくようなものだ、と私には思われる。(中略)

このようだから、心を苦しませてはならない。いとしき友よ、さあ、出かけてくれ。もしお前に愛情が残っておれば、行ってまたもどってくるがよい。

カピラヴァストゥで私のことを心配してくれる人に告げてほしい。『あの方への愛情はお捨てください。あの方のご決心をお聞きください。

生死を滅することができれば、すぐもどってこられるそうです。けれども、正しい努力を欠き、目的に達することができなければ、死ぬとのことです」と」

講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』P70-71

いかがでしょうか、すでにしてブッダは私達人間ひとりひとりの生死の問題を達観しているがごとく語っています。個人個人のはかない人生を超える真理を悟るべくブッダは旅立ったのだということがよく伝わってきますよね。

そして見逃せないのはやはり「大きな望みをかけ、苦しんで私を腹に宿して下さった母の努力は、むなしいものとなった。私と母は、何と遠く離れてしまったことだろう。」という言葉です。以前の記事「⑵カピラヴァストゥでのブッダの青年期と四門出遊~ブッダはなぜ家を捨て出家したいと願ったのか」の最後にもお話ししましたが、ブッダの母に対する思いというのは見逃せません。ブッダを生んで7日後に亡くなってしまった母マーヤー。マーヤーは古代インド語で「まぼろし」という意味だそうです。まさに幻のごとく亡くなってしまった母への思いがここでふと漏れ出たのではないでしょうか。

ブッダ誕生の地ルンビニー

「母の命と引き換えに自分は生まれてきた。なぜ母が死に、私はこうして生きているのか」

ブッダが人生について達観していたのもこうした思いがあったからなのかもしれません。

そしてブッダのこうした決別の言葉を耳にし、愛馬カンタカも涙を流しブッダとの別れを惜しみました。そんなカンタカを見てブッダは「カンタカよ、涙を流すな。お前が名馬であることは証しされた。耐えよ、お前のこの努力はまもなく報いられるだろう」と慰め、いよいよ最後の別れとなっていきます。

ブッダはおもむろにチャンナの刀を受け取り、自らの髪とそれに結わえられた冠を切り落としました。古代インドでは髪を切り落とすことこそ世を捨て出家者となることの証だったのです。いよいよブッダは一国の王子から出家修行者へと変貌していくのでありました。

ちなみにこの後チャンナとカンタカはカピラヴァストゥに戻るのですが、カンタカは悲しみのあまり間もなく亡くなってしまいます。伝承ではその後カンタカは天に昇ったとされていて、ブッダの言う「努力が報いられる」というのはこういうことだったのでしょう。

次の記事では出家したブッダが一番最初に向かった地、王舎城についてお話ししていきます。ブッダはここである運命的な出会いをすることになります。この出会いが後のブッダ教団に大きな影響を与えることになります。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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