⑷シャカ族の宮殿カピラヴァストゥを訪ねて~若きブッダが過ごした都を歩き私が感じたこと

カピラ城 仏教コラム・法話

【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑷
 ⑷シャカ族の宮殿カピラヴァストゥを訪ねて~若きブッダが過ごした都を歩き私が感じたこと

ブッダが住んだカピラヴァストゥ

こちらはカピラヴァストゥの入り口。現在はこの遺跡の西門から入場することになります。写真右がその西門です。

中は広い公園のようになっていて、木で作られた通路を私達は歩いていくことになります。

こちらがスッドーダナ王が住んでいた王宮跡です。

そしてその向かいにはなんと、ブッダのためにわざわざ造ったという沐浴用の池が埋まっていたそうです。

写真の看板のすぐ前が池だった場所です。一度発掘調査した後に保全のために再度埋め直して今のような状態になっています。来年また再調査のため掘り返されるとのこと。その調査には日本からの調査団も入っているそうです。新発見があることが期待されます。

こちらがカピラヴァストゥの東の門です。ちょうどタイの団体もご一緒でした。

この東門はブッダが出家をした際にここから外へ出たということで、仏教徒にとって聖地のひとつになっています。

レンガの上部分は修復したものになりますが、かつてのカピラヴァストゥの城壁がどれくらいの幅であったのかが感じられます。

東門を出た先には野原が広がっていますが、この少し先にブッダの愛馬カンタカの塚があるともされています。今後の調査の結果を待ちたいところです。

ネパールは経済的にも貧しく、調査や環境整備がまだまだ追いついていません。近年ようやくルンビニー近くにバイラハワ空港ができたことで観光も便利になりましたがそれでもまだ十分とは言えません。ですが数十年前と比べれば格段に利便性が増したのも事実で、私が訪れた2024年2月段階でも道路工事が行われているのを確認しました。先程も申しましたが来年の調査がどのような結果になるのか非常に楽しみです。

そしてこの写真の区画がブッダの宮殿のひとつがあったとされる場所になります。

正直、これにはかなり驚きました。と言いますのも、なんとこの区画、先程紹介したスッドーダナ王の宮殿のまさに目の前にあるのです。しかも実際に見てみると、この区画が思いのほか小さいのです。

「スッドーダナ王は季節ごとに快適に暮らせる宮殿をブッダのために3つ作った」と私達はブッダの生涯を習うとほぼ確実に聞くことになります。

ですがインドの宮殿というと、私達はタージマハルやアラビアンナイトのような巨大な建物を想像してしまいますが実際のブッダの宮殿は全く違う代物だったのです。

タージマハル(そもそもこちらは宮殿ではなくお墓ですが・・・)

ブッダはあくまで今から約2500年前に生きたお方です。その時代のインド、しかも辺境の小国がそれほど立派な建物を作ることなど到底不可能です。もちろん、それでも当時の庶民と比べれば圧倒的な生活水準だったことでしょう。ですが現代を生きる私たちの感覚でブッダの時代を解釈すると意図せぬずれが生じてしまう危険があります。

ブッダの宮殿は現代日本の普通の一軒家より下手すると小さいかもしれません。この区画自体は大きめに囲ってはいましたがそもそもスッドーダナ王の宮殿跡ですら想像よりもかなり小さかったのです。それよりも大きく作られていたというのは考えにくいでしょう。

しかもスッドーダナ王の宮殿の目の前に作られていたというのも私には衝撃でした。てっきり私は少し離れた地域に別荘的な形で立派な宮殿が作られ、そこでブッダが悠々自適に過ごしていると思い込んでいたのです。

ですが、話によるとブッダの3つの宮殿全てがこのすぐ近くにあったのではないかとされています。だとしたらブッダはスッドーダナ王に常に監視されているようなものだったというわけです。元々王子様ですから、青年時代から宮殿や公会堂での政務の場面には顔を出していたでしょうが、私生活もそれこそ常に監視の下にあったわけです。だとすればブッダの息苦しさも並々ならぬものがあったことでしょう。

そしてもうひとつ、このカピラヴァストゥを歩いていて感じたことがあります。

それは、この国の小ささです。

カピラヴァストゥは城壁で囲まれた町ですが、その正確な広さはわかっていません。しかし、今回歩いた範囲ではちょっとした公園くらいの規模で、スッドーダナやブッダの宮殿もそれほど大きさも感じませんでした。

これらの建物跡を見て私は「やはりそういうことか・・・!」と思わずにはいられませんでした。

先ほども申しましたように、ブッダはこの国の王位を継ぐことを拒みました。それは第一に宗教的な問題から生まれたものでありましたが、他にもそもそもこの国の行く末を見限っていたという可能性もあります。

シャカ族の国は共和制だったとよく言われます。これは現代の価値観からすれば、民主的でよい国家だったのではないかと思ってしまいがちですが、言葉を変えれば王の力のなさを示してもいるのです。

すでにブッダが生きた紀元前5世紀頃のインドは大国小国がひしめき合う戦乱の時代でした。現にシャカ族の国は隣の大国コーサラ国と主従関係にあり、後に滅ぼされる運命にありました。

大国には強力な権力を持った国王がおり、力があるからこそ他の貴族豪族を配下にすることができました。

それに対し、共和制といえば一見平和的で善政が敷かれているようには思えますが、実際には小国内での権力闘争が未だ片付いていない状態とも言えるのです。フランス革命で共和制を勝ち取ったのとはそもそも前提が異なります(そのフランス革命における共和制、民主主義ですら種々の問題をはらんでいます)。

ただ、ブッダ自身は王による独裁よりも共和制を好んでいたという証拠もあります。経典の中でも「皆が意見を出し合い、他を尊重するならばその集団は長続きする」という趣旨の説法を行っています。(詳しくは『ブッダ最後の旅』の経典を参照)

ですがそうは言ってもスッドーダナ王が他の貴族たちとのやりとりに苦心していたことは疑いないことでしょう。前の記事で紹介した『カウティリヤ実理論』のごとく、悲惨な権力闘争まではなかったでしょうが、人間同士、権力闘争は避けられません。そもそも、シャカ族の国には貴族というより豪族の連合体という雰囲気の方が言葉的にはあっているのではないかと私は想像しています。国王の宮殿ですらあのサイズだとしたらその勢力も自ずと推測されるのではないのでしょうか。

ブッダはこうした国の実情をつぶさに観察していたのではないでしょうか。

このままここで王位を継承してもそれは名ばかりの王で苦労は絶えないだろう。しかもそうこうしている内にいつ大国が攻めてくるかもわからない。であるならば人間が救われる道を求め、出家の道を進もうではないか・・・!

ブッダがそう思ってもおかしくはありません。

そして実際にブッダが王位を捨て、国から去ったからこそシャカ族の国は歴史にその存在を永遠に残すことになりました。もしブッダが宗教家になっていなかったら、国は滅ぼされてそれで終わりだったかもしれません。ブッダがシャカ族を捨てたことで、逆にシャカ族は名を残すことができたのです。これはものすごい逆説です。

それに皆さん、不思議に思いませんか?

「シャカ族の国、シャカ族の国って言うけど、そもそもこの国の名前は何と言うのだろう?」

私にはこれがずっと引っ掛かっていたのです。

他の国はコーサラ国、マガダ国、カーシー国など、名前があるのです。しかしシャカ族の国の名前は今もわかっていないのです。シャカ国と記載されることもありますが、「シャカ族の国」という意味でそれは書かれているのでしょうか、私にはわかりません。

ともかく、名前もわからぬほどの小国なのです、シャカ族の国というのは。

つまり、それほど小さな弱小国だったということです。

ブッダはそういう国に生まれたのです。後に世界の真理を悟るほどのお方ですから、出家する前からその行く末を冷静に見ていたのかもしれません。実際、ブッダは自らの国が滅ぼされるのをただ見ることしかできませんでした。

若きブッダが歩いたであろう敷地を歩いていると色々なことを考えてしまいます。

ブッダはここで若き日を過ごしました。

上でお話ししたように、スッドーダナ王はブッダに何不自由ない生活を与え、彼を引き留めようとしました。

美しい音楽に美女の舞、美食を尽くしてもブッダは心満たされることはありませんでした。

元々内省的で瞑想的だったブッダの性格もあるかもしれませんが、それでもこうしたものに心惹かれなかったというのは私達からすると驚異的にも思えてしまいます。

ですが、そこには亡き母への思いもあったのかもしれません。ブッダの母マーヤーは彼を出産して7日後に亡くなってしまいました。つまり、「自分が生まれたことで母が死んでしまった」という負い目がブッダにはあったのかもしれないのです。

養母となってくれたマーヤーの妹マハーパジャーパティはきっとブッダを優しく育てたことでしょう。ですがその優しさ故に、会うことも叶わなかった母への思いが募っていったということもありえます。後にブッダが母に会いに天に上り、説法をしたという伝説が語られるようになったことも見逃せません。

おそらく、ブッダは人一倍繊細なお方だったのはないでしょうか。他の人からすれば「何をそんなことをいつまでも考えているのか」と思われてしまうことでも、繊細な人間にとっては人生を決する重大事になりかねません。

そんな人間にとって「自分が生まれたことで母が死んでしまった」という念がどれだけ重みのあるものだったかは想像に余りあります。

そしてそこから「なぜ母が死に、私が生きているのか」、「生きるとは何なのか、この世界は何なのか、私はどこから来てどこへ行くのか」という人生の根本問題へと繋がっていくのも時間の問題だったのではないでしょうか。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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