ドイツ

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(15)ホルバインの『墓の中の死せるキリスト』に衝撃を受けるドストエフスキー~『白痴』にも大きな影響を与えた名画とは

バーデン・バーデンでの地獄の5週間を過ごしたドストエフスキー夫妻はスイスのジュネーブへ向けて旅立ちました。

そしてその途中、バーゼルという街で二人は1泊しある絵を観に行くことになります。

それがハンス・ホルバイン作『墓の中の死せるキリスト」という絵でした。

この絵はドストエフスキーに強いショックを与え、彼の長編『白痴』にも大きな影響を与えることになります。
この記事ではそんなホルバインの絵とバーゼルの街におけるドストエフスキーをご紹介します。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(14)ドストエフスキーとアンナ夫人の結婚は運命だとしか思えない~なぜアンナ夫人は彼を愛し、守ろうとしたのか

ここまでこの旅行記に付き合って頂いた皆さんもそろそろ思い始めているかもしれません。

「それにしても、なぜアンナ夫人はこんなにもドストエフスキーを好きなのだろう。なぜこんなにひどい目にあっても逃げ出さないのだろう」と。

まさにその通り。私もこのバーデン・バーデンで改めてそう思わずにはいられませんでした。特に、最終夜にカジノを体験し、翌朝こうしてアンナ夫人が泣き暮らしたであろう家を最後に見た時には強く感じたものです。

しかしやはりこの二人の結婚は運命だったのだ。この記事では私がそう確信する理由をお話ししていきます。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(13)バーデン・バーデンでドストエフスキーゆかりの地を巡る~カジノで有名な欧州屈指の保養地を歩く

この記事でぜひ皆さんに紹介したいものがあります。これは全世界に声を大にして伝えたいです!ここバーデン・バーデンに世界最高レベルの傑作彫刻があるのだと!

バーデン・バーデンでの日々はこの旅で最も強い衝撃を受けたものになりました。この旅のハイライトです!

ドストエフスキーが狂ったカジノ、山の中の散歩道、丘の上に立つドストエフスキーの彫刻、ぜひ皆さんにお薦めしたい記事となっています。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(12)バーデン・バーデンでの賭博者ドストエフスキーの狂気~ドストエフスキー夫妻の地獄の5週間

ドレスデンで妻を一人残し、ホンブルクへカジノへ出かけたドストエフスキー。そこから彼は賭博熱に完全に呑み込まれてしまった・・・

ドイツ西部の有名保養地バーデン・バーデンへと移った二人。ドストエフスキーはここのカジノで狂ったようにルーレットにのめり込む。

今回の記事ではそんなドストエフスキーの狂気とアンナ夫人の絶望の日々を見ていく。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(11)妻を残しカジノの街ホンブルクへギャンブルに行くドストエフスキー~地獄への扉が開き始める・・・

ドレスデンでの平穏で幸福な日々を過ごしていた矢先、ついに悪魔の囁きがドストエフスキーをつつき始めます。

これから2人を苦しめ続けた、あのギャンブル中毒という恐ろしい悪魔がついに顔を出し始めたのです。「最悪のダメ人間」ドストエフスキーの始まりです。

ドストエフスキーは異国の街で妻を一人残しカジノに行ってしまったのでありました。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(10)ドストエフスキー夫妻のドレスデン滞在~『システィーナの聖母』や『アキスとガラテイア』などの名画を堪能

ドストエフスキー夫妻はベルリンに2日ほど滞在し、ほどなく次の街へ出発しました。彼らが目指したのはこの街の南に位置する古都ドレスデンです。

ここで夫妻は絵画や音楽を楽しみ暮らしました。

この記事ではそんな二人の様子と私の現地での体験をお話ししていきます。

『システィーナの聖母』や『アキスとガラテイア』という、ドストフスキー定番の絵以外のものも観れたので大満足でした。ドストエフスキーの絵の好みを知る上でも、様々な絵画を比べながら観ることができたドレスデン絵画館での体験はとてもありがたいものでありました。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(9)ドストエフスキー夫妻最初の滞在地ベルリンへ~初々しい2人のけんかと仲直りのエピソード

ドストエフスキー夫妻は4月14日、ペテルブルクを出発しヨーロッパへと向かいました。

そのルートはベルリン、ドレスデン、バーデン・バーデン、バーゼル、ジュネーブ、ミラノ、フィレンツェ、ボローニャ、ベネツィア、プラハ、ドレスデンというもの(※経由地は除きました)。

出発当初は3カ月ほどの予定だった彼らの旅はなんと4年にも及びました。

この記事はそんな彼らの最初の滞在地ベルリンについてお話ししていきます。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(8)いよいよ旅の始まりへ~ドストエフスキー夫妻はなぜヨーロッパへ旅立たねばならなかったのか

前回の記事では心理描写の鬼ドストエフスキーも家庭ではどうしようもないただの夫にすぎなかったことを見ていきました。

誰にも理解されず、孤独を味わうアンナ夫人はいよいよ精神的に追い詰められていきます。

そしてついにコップの水が溢れるように、その時は来たのです。

彼女は悲しみあまり泣き崩れてしまうのでした。そしてこれが彼らの4年にもわたる西欧放浪のきっかけとなるのです。

この記事ではドストエフスキー夫妻が旅に出ることになったその顛末をお話ししていきます。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(7)客だらけのドストエフスキー家の家庭状況と新婚早々親類からの嫁いびりに苦しむアンナ夫人

これまでドストエフスキーの経済状況、持病のてんかんと彼の抱える問題を見てきましたがその最後に彼の家庭環境を見ていきます。

実はアンナ夫人の新婚生活にとって最も苦しかったのがこの家庭環境だったのでした。

嫁いびりといえばよくあることのように思えてしまうかもしれませんがそこはあのドストエフスキー家です。やはり一筋縄ではいかない苦難をアンナ夫人は味わうこととなりました。

ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行

(6)ドストエフスキーが生涯苦しんだ持病てんかんの発作を目の当たりにするアンナ夫人

前回の記事ではドストエフスキーの経済状況についてお話ししましたが、彼の抱えていた問題は借金だけではありませんでした。

ドストエフスキーのてんかんは彼の代表作『白痴』の主人公ムイシュキン侯爵や『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフを通して描かれています。特に『白痴』はアンナ夫人とのヨーロッパ旅行中に執筆されたものであることも意味深いです。ドストエフスキーは常にてんかんの発作に怯えて生きていかなければならなかったのでした。