(27)原作のテナルディエ夫妻がミュージカルと違って恐ろしすぎる

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(27)原作のテナルディエ夫妻がミュージカルと違って恐ろしすぎる
『レ・ミゼラブル』第二部 コゼット 第三章 死んだ女への約束をはたす ⑴
さて、舞台はモンフェルメイユのテナルディエの居酒屋へと移ります。
第一部で語られたように、テナルディエのおかみさんはとてつもない大女で、もし立っていたならばファンチーヌも恐れて近寄らなかったであろうということは皆さんも記憶にあるかと思います。
そしてこの章では改めて彼らテナルディエ夫妻とは何者であるかが詳しく語られていくことになります。
それにしてもこのテナルディエ夫妻ほど原作とミュージカルでの違いがある人物は他にいません。
ミュージカルではずる賢いながらもコメディ感溢れる、どこか憎めないキャラクターとしてテナルディエ夫妻は描かれいます。
私も帝国劇場で斎藤司さんの演じるテナルディエを観劇したのですが、まさにコメディテイストで観客を大いに沸かせていました。
これはミュージカル映画版でも顕著で、宿屋での乱痴気騒ぎやラストの結婚式の場面でも彼らは場をパッと明るくしてくれています。彼らはたしかに悪人ではあるのですが、どこか憎めません。悪役ながら不屈の精神と機知を備えた文句なしの人気キャラクターと言えましょう。
ですが、原作ではそんなテナルディエ夫妻はどこにもいません。
彼らは実にダークな存在として描かれているのです。
彼らがずる賢いのはミュージカルと同じです。ですがその根本があまりにどす黒すぎるのです。
まず、先にテナルディエのおかみさんの方を見ていきますと、彼女はとにかく殴る蹴ると、非常に暴力的です。ミュージカルではただ口が悪くて怖いおかみさんという雰囲気でしたが、原作では完全にアウトな人物です。コゼットをこき使うだけでなく日常的に暴力を振るい、彼女の全身はあざだらけになっていました。
そして旦那のテナルディエでありますが、こちらは身体自体は小さく、巨人のようなおかみさんとは対照的であります。ですが彼にはおかみさんにはない「精神的な強さ」がありました。おかみさんはこうした強力な精神を持つ旦那に心酔していたのです。もちろん、彼の「精神的な強さ」はジャン・ヴァルジャンのような高潔な強さではなく、「悪も厭わず、したたかに生き抜く強さ」でありますが・・・。
そしてここでテナルディエの商売上の哲学も語られます。せっかくですのでそれを見ていくことにしましょう。
ときどき、宿屋の主人としての持論が、彼の口から稲妻のようにほとばしることがあった。商売上の金言を持っていて、それを女房の心に吹きこむのである。「宿屋の主人づとめは」とある日、すごい勢いで、低い声で女房に言いきかせた。「誰だろうとお客には、シチューと、休息と、明りと、暖炉の火と汚ないシーツと、女中と、蚤と、お愛想笑いとを売りつけることだぞ。通りかかった奴を引止め、薄っぺらな財布は空っぽにしてやり、どっしりとした財布は、適当に軽くしてやり、家族連れの旅行者は丁重にお泊めし、亭主からは削り取り、女房からはまきあげ、子供ははぎ取ってやるのだ。ひらいた窓、しまった窓、暖炉の炭、安楽椅子、椅子、足台、羽根布団、敷布団、藁布団、なんでも使ったものは金を取ることだ。鏡も影でどれだけ減るかを心がけておいて、それに値段をつける。そのほか、なんでもかでも難くせをつけて、お客から金を取る。連れて来た犬が食らった蠅の代金も取立てるんだぞ!」
この亭主とおかみは、悪知恵と熱中が結婚して、一緒になったような、みにくくも恐ろしい夫婦であった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P145-146
いかがでしょう。これはミュージカルのテナルディエを髣髴とさせるものがありますよね。おそらくこの箇所を膨らませてあの居酒屋のシーンは作られたのではないでしょうか。
そして決定的なのは次の箇所です。
この二人は、こんなふうだったのである。コゼットはこの二人の間で二重にしめつけられ、まるで石臼で挽かれると同時に、鋏でさいなまれる生きもののようだった。亭主と細君には、めいめい違ったいじめ方があった。コゼットをなぐるのは、おかみの方だった。冬でも跣のままにしたのは亭主の方だった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P146
ここに2人のコゼットに対するいじめ方が顕著に表されています。
「コゼットをなぐるのは、おかみの方だった。冬でも跣のままにしたのは亭主の方だった」
直接的な暴力はおかみ、精神的な虐待が旦那というわけです。まさに彼らの性格がはっきりと反映されています。
コゼットはこんな地獄のような状況にいたのです。我々がミュージカルで対面するコゼットとは次元の違う地獄が原作にはあるのです。
実際、コゼットはこのおかみのことをあまりに恐れていて、何かするたびに「おかみに怒られるのではないか」とびくびくし続けています。もはや彼女の精神にこびりついたトラウマと化していたのです。
この記事ではこれ以上はお話ししませんが、コゼットに対する虐待は想像以上のものでした。そしてテナルディエ夫妻のダークさも半端ではありません。とてもではありませんが彼らで笑うことなどできません。ミュージカルでのあのコメディタッチは原作からは全く想像つかないものだということができるでしょう。
では、そうであるにも関わらずなぜミュージカルではテナルディエ夫妻がコメディタッチで描かれるのでしょうか。
端的に言えば、彼らコメディタッチの夫妻がいなければこの物語がミュージカルとして成り立たないからだと私は思います。
正直、『レ・ミゼラブル』は暗いのです。原作はあまりにどぎついのです。タイトルの如く「惨めな人々」の物語ゆえ、どうしても見ていて辛くなるシーンが多くなってしまうのです。
だからこそコメディタッチのテナルディエ夫妻の乱痴気騒ぎがありがたいのです。これがなければ正直辛くて見ていられません。ファンチーヌが娼婦に落ちぶれていくシーンもミュージカルでは軽快な音楽や歌詞を付けることで幾分どぎつさを軽減しています。
ミュージカルや映画を観られた方はわかると思いますが、見終わった後号泣しながらも「ああ!いいものを観たなぁ!」というとてつもない満足感があると思います。それは原作のどぎつさをコメディや壮大な音楽でカバーしているからこそでもあるのです。
つまり「原作そのままをやれば良いミュージカルになる」というわけではないということです。ミュージカルにそこまでのどぎつさを求めても仕方ありません。やはり「行ってよかったな楽しかったな」という娯楽性と両立しなければならないのです。そのバランスを取るためのテナルディエ夫妻なのではないかと私は考えています。
原作には原作の良さがあり、ミュージカルにはミュージカルの良さがあります。私もどちらも大好きです。そしてそれらの違いを感じつつ相互に補完し合いながら私は楽しんでいます。
さて、話はずいぶん大きくなってしまいましたが原作におけるテナルディエは実に恐ろしい存在でありました。
そしてちなみにでありますが、ミュージカルではずいぶん彼らの居酒屋が繁盛しているかのように見えましたが、実はあれはたまたまだったのです。普段はモンフェルメイユのような田舎町にそんなたくさんのお客さんは来ません。
原作によればちょうどたまたまパリから行商がやって来てクリスマスマーケットが開かれていたのでありました。この年のクリスマスはいつになく賑やかで、テナルディエの居酒屋はそのおこぼれに預かっていたようです。これもユゴー得意の「たまたま」でありましょう。
そしてこれはミュージカル映画版でも反映されています。コゼットの登場シーンは街のクリスマスマーケットから始まります。なるほど、テナルディエの歌にサンタが出てくるのもこういうことだったのかとニヤリとせずにはいれませんでした。
続く
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