(39)棺桶に入って脱出!? ミュージカルでは描かれないジャン・ヴァルジャンの奇策

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(39)棺桶に入って脱出!? ミュージカルでは描かれないジャン・ヴァルジャンの奇策
『レ・ミゼラブル』第二部 コゼット 第八章 墓地は与えられたものを受取る ⑵
ジャン・ヴァルジャンを救おうと決心したフォーシュルヴァン。
2人を匿った翌朝、彼はジャン・ヴァルジャンにこう切り出しました。
「あなたがここにいるからには、どうやってここに入り直すことにしますかな?」
この時点で彼の有能さが実に明快に示されています。
これから何を考えるべきなのか、そして今置かれている状況がどのようなものかを的確に掴んでいなければこの問題提起は出てきません。
ここから2人はこの修道院で隠れ住むための算段を練っていきます。
まず絶対条件として、ここは男子禁制の女子修道院ですのでこのまま隠れていることは不可能です。なので一度外に出て正式に滞在許可を得る必要があります。これだけでもとんでもなくハードルが高いのですが、ジャン・ヴァルジャンには彼特有の困難がありました。塀の外にはジャヴェールら警察がうようよしているので外に出ること自体がまず不可能なのです。
ここにいてもダメ、出てもダメとまたもや万事休すかと思われましたが、さすがはフォーシュルヴァン。まずはコゼットひとりの脱出においてはすぐに解決策を見つけます。彼の背負うカゴにコゼットを隠れさせ、近所の信頼できるお婆さんに一時的に預け、再び迎えに行くというのです。なるほど、これなら誰にもばれずに彼女を外に出すことができます。
ですが、やはり問題はジャン・ヴァルジャンです。彼を外に連れ出す方法も、その後修道院に正式に滞在するための手はずもなかなか浮かんできません。
2人は思案に暮れるのですが、ここで修道院長からの招集が入り、それは中断されます。ちょうどこの日老修道女が亡くなり、それで修道院は右へ左への大騒ぎだったのです。それで修道院唯一の男手であるフォーシュルヴァンが呼ばれたのでありました。
そして彼はこの機会を見逃しませんでした。
彼は院長との面会で実に見事な立ち回りを見せます。ぜひその場面を皆さんにも紹介したいと思います。
もと公証人だったフォーシュルヴァン爺さんは、ずうずうしい百姓の部類に属していた。巧妙な無知は一種の力である。用心しないとこれにやられてしまう。修道院に住んで、二年以上の間、フォーシュルヴァンはみんなの中でうまくやってきた。いつも一人で庭仕事をしながら、ほとんど好奇心ばかり働かしていた。行き来するベールをかけた女たちから離れていたので、見ているのは影の動きのようなものばかりだった。注意と洞察力によって、これらすべての幻影に肉体を与えることができるようになり、これらの死人たちも、彼から見れば生きていたのである。視力の強い聾者や、聴覚がするどい盲人のようなものであった。
いろいろな鐘の音の意味を解こうとして、それに成功し、ついにこの謎のような沈黙の修道院も、彼にとっては、何も秘密がなくなった。このスフィンクスは、彼の耳にすべての秘密をしゃべってしまった。
フォーシュルヴァンは、すべてを知りながら、それを隠していた。それが彼の技巧だった。修道院の人たちはみな、彼を馬鹿だと思っていた。宗教界の偉大な長所である。声の母たちはフォーシュルヴァンを大事にしていた。彼は珍しいほど無口だったので、信用があった。そのうえ、几帳面で、果樹園や野菜畑の決った用事以外には、外出しなかった。この慎重な態度が彼のためになった。(中略)
修道会は彼を大事にした。年寄りで、足が悪く、目も見えず、たぶん耳も遠いらしい。なんと立派な資格だろう?彼のかわりを見つけるのはむずかしいだろう。
爺さんは、自分がよく思われていると確信していたので、安心して、院長さまに向かって、あまりまとまりのない、非常に意味深長な、田舎者の長談議をはじめた。自分の年齢のこと、体の不自由なこと、年のせいでこれからは二倍も骨が折れること、仕事がふえてきたこと、庭が広いこと、たとえば、昨夜のように月の出た晩には、メロン畑に菰をかぶせなければならないので、夜ふかしをする、などとくどくどと語って、最後にこう言いだした。
自分には弟がある(院長はちょっとびくりとした)、もう若くはない(院長はまた身動きしたが、それは安心の身動き)、もしよかったら、弟に来てもらって、一緒に住んで助けてもらいたい。弟はすぐれた庭師で、自分などよりずっと修道会のためになるだろう。また、もしそれが許されないとすれば、年上の自分は、すっかり弱っているし、仕事も満足にできないから、とても残念だが、お暇をちょうだいしなければならない。弟には小さな娘があるので、それを連れて来るだろう。娘はここで神さまに育てられることになるだろうし、おそらく、いつかは修道女になるだろう。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P421-422
いかがでしょう!実に見事な交渉ぶりですよね!フォーシュルヴァンがここまで有能な男だったとは私も驚きでした。
こうして第一の関門たる、修道院滞在の許可を彼は獲得したのでありました。
ただ、解決すべき難問がまだあります。それがジャン・ヴァルジャンの脱出でした。
これに関してはさすがのフォーシュルヴァンもどうすることもできません。
小屋に戻りジャン・ヴァルジャンと再び思案するフォーシュルヴァンでありましたが、今度はジャン・ヴァルジャンがとんでもないウルトラCを提案します。なんと、空の棺桶に入って脱出し、そのまま埋められてしまえば誰にもわかるまいと言うのです。これにはフォーシュルヴァンもたまげます。そんなことをしたら本当に死んでしまいますよ!と。
いや、問題ない。棺に空気穴を空けておけば大丈夫だとジャン・ヴァルジャンは請け合います。ユゴーもこうした彼について次のように補足しています。
囚人だった者は、誰でも抜け穴の大きさにしたがって、身を縮める術を知っている。病人が、死ぬか生きるかの危機にかかっているように、囚人の運命は脱走にかかっている。脱走、それは回復である。なおるためには、なんでも承知するではないか?小荷物みたいな箱に釘づけされ、運び出される。箱の中で長い間生き、空気のないところに空気を見つける。何時間も呼吸を倹約し、死なないくらいに息を殺している。そんなことは、ジャン・ヴァルジャンの不思議な能力の一つにすぎなかった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P453
そうです。これもジャン・ヴァルジャンの不思議な能力なのです。さすがは英雄、この物語の主人公です。
こういうわけで作戦はついに決まりました。空の棺に入って修道院を出発し、墓地に埋められた後にそこから脱出し、フォーシュルヴァンの弟として正式に修道院に入る。よし、これなら完璧です。
ただ、それにしてもこうした作戦が決行できたのも、たまたまこの日に老修道女が亡くなったからでありました。しかもこの老修道女はほとんど聖人のような尊い生涯を送ったお方で、非常に尊敬されていた人でもありました。
そしてそんな彼女のたっての願いがこの修道院の地下に埋葬されることであったのです。実は、これはフランスの法律で禁止されていたことでした。修道女といえど法律に従って街の墓地に埋葬しなければならなかったのですが、それを曲げてでも彼女は祭壇の下に眠りたかったのです。
というわけで、彼女は秘密裏に修道院に埋葬されることになります。その実行役として先程フォーシュルヴァンが呼ばれていたのです。そしてこの秘密裏の埋葬をパリ当局にカモフラージュするために空の棺を使おうとなったのでありました。これにジャン・ヴァルジャンは入ろうと言うのです。
ただ、心配な点もありました。それが墓場でどう脱出しようかということです。墓堀人に見られたら本末転倒ではないかとジャン・ヴァルジャンは心配します。
ですが、これもフォーシュルヴァンが解決します。と言いますのも、彼はその墓地の墓堀人を良く知っていて、その扱いにも自信がありました。彼は大の酒好きだから酒屋に連れていけば解決ですと請け合います。これなら誰にも見つかりません。
ジャン・ヴァルジャンが手を差出すと、フォーシュルヴァンは田舎者らしい感動的な真心をこめて、急いでそれを握りしめた。
「これで決った。フォーシュルヴァンさん。万事うまくいくよ」
「手違いがなければね」とフォーシュルヴァンは考えた。「もし面倒なことにでもなったら!」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P456
何という完璧な前フリでしょう!
そうです、この後、実際に面倒なことが起きてしまうのです。しかも、それによってジャン・ヴァルジャンはほとんど仮死状態にまで陥ってしまいます。ミュージカル映画ではそんなことは全く露知らずでありましたが、実は人知れずジャン・ヴァルジャンは大変な目に遭っていたのです。
次の記事では引き続きそんな彼の脱出劇を見ていくことにしましょう。
続く
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