(40)ジャン・ヴァルジャン、生きたまま埋葬され仮死状態に!?

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(40)ジャン・ヴァルジャン、生きたまま埋葬され仮死状態に!?
『レ・ミゼラブル』第二部 コゼット 第八章 墓地は与えられたものを受取る ⑶
さて、手はず通りに棺桶に入り、修道院を出発したジャン・ヴァルジャン一行。
ここまではまったく抜かりなし!実にうまくいっています。フォーシュルヴァンもすっかり安心しきっていました。
そしていよいよ墓地に到着し、あとは墓堀人のメチエーヌ爺さんを待つばかりでしたが、ここで予想だにもしていなかった事態が・・・!
なんと、やって来たのがメチエーヌ爺さんではなく見知らぬ男だったのです!これは大変なことになりました!
大砲の弾丸を胸の真ん中にくらってもまだ生きているとしたら、このときのフォーシュルヴァンのような顔をするだろう。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P461
フォーシュルヴァンの驚きっぷりがまさに伝わってきますよね。
ですが、それにしてもなぜこんなことになってしまったのでしょう。フォーシュルヴァンはこの見知らぬ男に問いかけます。すると、衝撃的な答えが返ってきました。なんと、メチエーヌ爺さんが死んだというのです!よりによってこのタイミングで!
慌てたフォーシュルヴァンですが、ここは何とかするしかありません。彼はメチエーヌ爺さんの時と同じように、酒で彼を釣ろうとします。ですが、ダメでした。彼はものすごく真面目な人間だったのです。
「俺は学問をしたんだ。第四学級までやったよ。酒は一滴も飲まんよ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P463
それでもフォーシュルヴァンはあきらめません。
「一緒に飲まないうちは、知合いって者じゃねえ。杯をあける者は、心も打明ける。俺と一緒に飲みに行こうや。断わるもんじゃないよ」
「まず仕事さ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P464
仕事をする上ではあっぱれな真面目さでありますが、フォーシュルヴァンにとっては恩人の命がかかっています。この堅物を何とかしないといけません。
それにしてもなぜこの男、いやグリビエはこんなにも真面目に仕事をしようとするのでしょう。私もそんなことを思ったのですが、すぐにその理由が明らかになります。
「おっさん、俺には食わせにゃならん餓鬼が七人もあるんだ。餓鬼が食わなきゃならんから、おれは飲むわけにはいかねえ」
彼は真面目な男が名文句をはくときのように、満足そうにつけ加えた。
「子供の空腹は、おれの喉の敵だ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P465
いい人!めっちゃいい人ですよこの男は!
ですが間が悪い!なぜこのタイミングでこんないい男がやって来たのでしょう!さすがのユゴーもここでは伝家の宝刀「偉大なるたまたま」を使わなかったのでしょうか!
こうして何度も酒に誘うも全く効果がなく、ついに埋葬の時が来てしまいました。手はずでは土をかぶせる前にメチエーヌ爺さんを遠ざけ、棺から脱出する計画でありましたが、いよいよ万事休すです。ですがジャン・ヴァルジャンはそんなことは露知らず、棺の中で待ち続けていたのでありました。
彼は、自分を覆っている板を、数滴の雨が静かに打つような音を聞いた。たぶん聖水であろう。彼は思った、もうすぐおしまいだ。もう少しの辛抱だ。司祭は行ってしまうだろう。フォーシュルヴァンがメチエーヌを飲みに連れ出す。俺は残される。それから、フォーシュルヴァンは一人で戻る。俺は外に出られるだろう。一時間は十分かかる。
重々しい声が言った。
「安らかに憩わせたまえ」
そして少年の声が言った。
「アーメン」
ジャン・ヴァルジャンは、耳をそばだて、遠ざかるらしい音を聞いた。
「奴らは行くな」と彼は考えた。「俺は一人だ」
突然、頭上に落雷のような音が聞えた。シャべルの土が棺の上に落ちたのだ。二杯目の土が落ちた。彼が息をしていた穴の一つがふさがった。三杯目の土が落ちた。それから四杯目が。どんなに強い男でもかなわないものがある。ジャン・ヴァルジャンは意識を失った。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P469-470
棺桶に空気穴を開けていたとはいえ、土で塞がれてしまえばさすがに息はできません。こうしてジャン・ヴァルジャンは意識を失ってしまったのです。ああ!これは大変なことになってしまいました。ミュージカルで語られない間にこんな大ピンチが彼を襲っていたのです。
そして地上ではフォーシュルヴァンが必死にグリビエを酒に連れ出そうとするもどうしてもうまくいきません。「もうダメか・・・!」とあきらめかけた瞬間、ふと彼はグリビエのポケットに目が留まります。さすがフォーシュルヴァン、有能な男です。彼は墓堀人の証明書をそのポケットに見出したのです。そしてそれをばれないように失敬したのでありました。
そして冷静に「新米さん、証明書を持っているかね?」と問いかけます。最初はぽかんとしていたグリビエでありましたが、身を探っている内に真っ青になっていきます。
実はこの証明書がないと15フランという高額な罰金が科せられてしまうのです。子供を養うために働いている彼にとってこんな大金など払えるわけがありません。
そこでフォーシュルヴァンはさらに語りかけます。
「新米さん、がっかりすることないよ。自殺して、墓穴の肥料になるこたあないさ。十五フランは十五フランだし、それに払わないで済む方法もあるんだ。俺は古顔で、あんたは新米だ。俺は裏の裏まで知りつくしてる。あんたに友達甲斐に、いいことを教えてやろう。一つだけはっきりしていることは、日が沈み、円屋根すれすれだ。五分もすれば墓地はしまる」
「なるほど」と墓掘り人夫は答えた。
「今から五分じゃ、穴をいっぱいにするひまはないぜ。この穴は、ものすごく深いし、門がしまらないうち出るには、間に合わないよ」
「そのとおりだ」
「そうなったら十五フランの罰金だ」
「十五フラン」
「だが、まだ時間はある……あんたはどこに住んでる?」
「城門のすぐそばだ、ここから十五分だ。ヴォージラール通り八十七番地だよ」
「すっ飛んで行けば、門を出る時間はあるよ」
「全くだ」
「門を出たら、あんたのうちに突っ走って、証明書を取って戻って来れば、墓地の門番があけてくれる。証明書がありゃ、なにも払うことはない。それから、死体を埋めりゃいい。俺はそれまで死体が逃げないように、番をしてやるよ」
「おかげで助かるよ、おっさん」
「早く行け」とフォーシュルヴァンは言った。
墓掘り人夫は夢中で感謝して、手を握って振り動かしてから、駆け出した。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P475-477
この緊急事態にこれだけの機知を働かすことができるフォーシュルヴァンはやはり有能です。
こうしてグリビエを遠ざけることに成功した彼は急いでジャン・ヴァルジャンを救出します。これがまたものすごいシーンですのでぜひ紹介したいと思います。
墓堀り人夫が茂みの中に姿を消してから、フォーシュルヴァンは足音が聞えなくなるまで耳をすましていたが、やがて墓穴にかがみこんで、小声で言った。
「マドレーヌさん!」なんの答えもなかった。
フォーシュルヴァンはぞっとした。彼は墓穴におりるというより、ころげこむようにして、棺の頭の方にすがりついて叫んだ。
「いなさるんですか?」
棺の中は無言だった。
フォーシュルヴァンは体がふるえてもう息もできなかったが、鑿と金鎚を取出して、上の板をはねのけた。ジャン・ヴァルジャンの顔が、黄昏の中にあらわれたが、目は閉じ、青ざめていた。
フォーシュルヴァンは総毛立った。立ち上がったものの、墓穴の壁にもたれかかり、棺の上に今にも倒れそうになった。彼はジャン・ヴァルジャンを見つめた。
ジャン・ヴァルジャンは横たわり、青ざめ、動かなかった。
フォーシュルヴァンは溜息のような、低い声でつぶやいた。
「死んでる!」
そして身を起しながら、握り拳で両肩をなぐりつけるほど、激しく腕を組んで叫んだ。
「助けたつもりがこんなことに!」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P477ー478
「死んでる!」「助けたつもりがこんなことに!」
なんと、間に合わなかったのです!ジャン・ヴァルジャンはここで死んだのです!
さあ大変なことになりました!引き続きこの場面を見ていきましょう。
それから哀れな老人はむせび泣きながら、独り言を言った。独り言が自然の中に存在しないと思うのは、まちがいである。ひどく興奮すると、大声で話すものだ。
「メチエーヌ爺さんが悪いんだ。あの馬鹿、なんで死にやがったんだろう?なにもだしぬけに死ななくたっていいじゃないか?マドレーヌさんを殺したのはあいつだ。マドレーヌさん!この人は棺の中にいる。死んじまった。もう駄目だ。……だいたい理屈に合わないことじゃないか?ああ、なんてことだ!この人が死んだなんて!ところでこの人の女の子をどうしよう?果物屋のおかみはなんと言うだろう?こんな人がこんな死に方をするなんて、一体そんなことってあるだろうか!この人が俺の車の下に飛び込んでくれたことを考えたら!マドレーヌさん!マドレーヌさん!ほんとに、息がつまったんだ、俺の言ったとおりだ。俺の言うことを聞こうとしなかった。全くひどいことになったものだ!死んじまった、あんな立派な人が、神さまのつくった善人の中でも、いちばんの善人が!それにあの女の子!いや、第一俺はもうあそこには帰れない。ここにいよう。こんなことをしちまって!年寄りが二人寄ってこんな馬鹿なことをするなんて。だが、第一あの人はどうやって修道院の中に入ったんだろう?それがそもそものはじまりだった。あんなことはするもんじゃない。マドレーヌさん!マドレーヌさん!マドレーヌさん!マドレーヌ!マドレーヌさま!市長さま!聞えないんだな。さあ、なんとかしてくださいよ!」
そして彼は髪の毛をかきむしった。
遠く木立の中から、するどくきしむ音が聞えた。墓地の門がしまる音だった。
フォーシュルヴァンはジャン・ヴァルジャンの上にかがみこんだ。そして、突然飛び上がるようにして、墓穴の中でできるだけあとじさりした。ジャン・ヴァルジャンが目をあけて、彼を見つめていたのである。
死を見るのは恐ろしいが、生き返るのを見るのもほとんど同じくらい恐ろしい。フォーシュルヴァンはあまりの感動に仰天して、目をむいて、石のようになって、相手が生きているのか死んでいるのかもわからずに、自分を見つめるジャン・ヴァルジャンを見つめるばかりであった。
「眠ってしまったよ」とジャン・ヴァルジャンは言った。
そして上体を起した。
フォーシュルヴァンはひざまずいた。
「ああ、マリアさま!なんて恐ろしかった!」それから立ち上がって、叫んだ。
「ありがたい、マドレーヌさん!」
ジャン・ヴァルジャンは気を失っただけなのだ。外気に触れてよみがえったのである。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈡』P478ー480
なんと、ジャン・ヴァルジャンは生きていました!意識を失って仮死状態になっていただけだったのです。
それにしてもフォーシュルヴァンの独り言は彼のパニック状態をよく表していますよね。様々な思念が弾丸のように発せられていく様は非常にリアルだと思います。
そしてこうした魂の叫びの直後にジャン・ヴァルジャンが復活するまさにそのシーンは傑作です。フォーシュルヴァンの長いパニック的な独白がこの復活を非常に効果的なものにしています。それに、死んだと思った人間がいきなり目を開いてこちらを見つめているなんてホラーですよね。ただ、さすがにここはちょっとくすっとしてしまいました。きっとそれは我々がジャン・ヴァルジャンが本当に死ぬはずがないと知っているからでありましょう。ですがフォーシュルヴァンからすればこれは心臓が飛び出るくらいの驚きだったのではないでしょうか。
こうしてジャン・ヴァルジャンは復活を果たし、見事修道院脱出というミッションを完遂します。ちなみにでありますが、この復活劇はイエス・キリストの復活に重ねられているということも注意したいところです。棺に入り、埋められたところからの復活はまさにイエスそのものです。ジャン・ヴァルジャンがどのような存在かを考える上でもこのシーンは大きな意味を持つことでしょう。
これがミュージカルで語られなかった修道院脱出作戦になります。この後ジャン・ヴァルジャンはコゼットと共に修道院に入り、フォーシュルヴァンの弟ユルティームとして生活することになります。第二部のラストではそんなユルティームとしての生活が語られるのでありますが、その前にこの脱出作戦においてどうしても触れておきたい点がもうひとつありますので次の記事で引き続き見ていきたいと思います。
続く
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