(50)お金持ちのマリユスがなぜ貧乏な一人暮らしとなったのか

(50)お金持ちのマリユスがなぜ貧乏な一人暮らしとなったのか
第三部 マリユス 第三章 祖父と孫 ⑸
父の真実を知り、世界が一変してしまったマリユス。彼は全ての時間と労力を捧げその研究に没頭します。
ただ、そんな異常なまでの熱中ぶりにも関わらず、祖父ジルノルマンは「女に違いない!」と特に気にすることはありませんでした。彼の思考ではマリユスが真実を知ったなど到底想像すらできなかったのです。
そんなこんなで月日が経っていったのでありますが、ついに事が露見してしまいます。
ある日、たまたま外出していたマリユスの部屋に入れ違いで祖父が入ってしまうのです。外泊を繰り返すマリユスに「どこに行って来たのか」と聞きに行こうとしたら、ちょうど入れ違いになってしまったのでありました。
そしてベッドの上に乱雑に置かれていたフロックコートとリボンを目にし、「これで女の正体がわかるぞ!」と黙って持ってきてしまったのです。
実際、メダルに似た黒い鮫革の小箱が、リボンの先についていた。老人はその小箱を手に取り、ひらかずにしばらくながめていた。まるで飢えた乞食が、自分のものではないすてきなご馳走が鼻の下をかすめるのを見つめるように、逸楽と恍惚と怒りのまじった表情でながめていた。
「これは肖像にちがいない。わしにも覚えがある。胸に優しくつけるものだ。馬鹿者めが!どうせぞっとするようなすべただろう!このごろの若い者は趣味が悪いよ!」
「見ましょう。お父さん」と老嬢が言った。
バネを押すと、箱がひらいた。中には、丁寧にたたんだ一枚の紙きれがあるだけだった。
「《同じ女から同じ男》か」とジルノルマン氏は大声で笑いながら言った。「わかってるよ、ラブ・レターだ!」
「あら!そんなら読んでみましょう!」と伯母が言った。
そして彼女は眼鏡をかけた。彼らは紙をひらいて、次のような文句を読んだ。
「―わが子に―皇帝はワーテルローの戦場でわたしを男爵とした。血を流したこの称号も、王政復古で否認されたが、息子にこれを譲り渡す。息子がそれに値することは言うまでもない。」
父と娘がどんな気持を持ったかは、とうてい言葉で表現しつくせない。彼らは死人に息をふきかけられたように、体じゅうが凍りついてしまった。お互いに言葉もかわさなかった。ただ、ジルノルマン氏は、低い声で、自分に言い聞かせるように言った。
「これはあの猪武者の筆跡だ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P122-123
まるで映画を見ているかのような展開ですが、こうしてマリユスの秘密がばれてしまうのです。これまでマリユスは叔母にも祖父にも父のことは一切言っていませんでした。自分の心境を隠し続けていたのです。
ですが、これでその努力も無駄になりました。もはや完全にばれてしまったのです。
そしてちょうどこのタイミングでマリユスが帰ってきます。実に良い(最悪な)タイミングです。
怒り心頭のジルノルマンはマリユスを見た瞬間「これはどういうことなんだ!」と食ってかかります。その口調には父ポンメルシーに対する侮蔑も含まれていました。
これにマリユスもカチンと来て言い返します。「私の父は共和国とフランスに仕えた立派な人でした」と。
こうなると王党派の頑固爺さんは止まりません。
「マリユス!」と彼は叫んだ。「ろくでなし!お前の親父がどんな人間だったかわしは知らない!知りたくもない!あいつのことは全然知らん!知らないんだ!だがわしの知っているのは、あんな連中には、下劣な奴しかいなかったということだ!どいつもこいつも乞食、人殺し、革命派、泥棒!みんなそうだ!どいつもこいつもだ!みんなひっくるめて言っているんだ!わかったか!マリユス!なんだって、お前が男爵だって、とんでもない!ロベスピエールに仕えた奴は、みんな山賊だ!ビュ・オ・ナ・パルテに仕えた奴は、みんな強盗だ!正当な国王を裏切った裏切者だ!裏切者なんだ!ワーテルローで、プロシャ軍とイギリス軍の前から逃げた卑怯者なんだ!わしの知ってるのは、それだけだ。お前のお父上が、そうだったかどうか、わしは知らん。気の毒だが、仕方がないと申すだけだ!」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P125
「お前の親父がどんな人間だったかわしは知らない!知りたくもない!あいつのことは全然知らん!知らないんだ!」
これは極めて重要な告白です。怒りで我を忘れたジルノルマンから不意に出た言葉である分、いっそう真に触れています。
そうです。彼は知らないのです。知ろうともしないのです。
ジルノルマン氏は党派やレッテルでしか人間を見ようとしません。徒刑囚であったジャン・ヴァルジャンを「お前」ではなく「あなた」と呼んだミリエル司教とはまるで逆のあり方と言えるでしょう。
ただ、ここでジルノルマン氏を偏見で凝り固まった人物と切って捨てるのは簡単なことですが、はたして私達自身はどうなのでしょうか。相手の所属や肩書で人を判断してはいないでしょうか。「どうせあいつはこんな奴だ」と決めつけ、相手を知ろうとする努力すら放棄してはいないでしょうか。
そう問われてみると、「ぐぬぬ・・・」となりますよね。私自身もそうです。自分がどうしても苦手とする人たちと相対した時、どうしてもそうなってしまうのは人間の性でありましょう。ミリエル司教がすごすぎるのです。我々凡夫はそんな聖人のような人生をなかなか送れません。
ジルノルマン氏の偏見はたしかに強烈です。さすがに私達もここまでのことは普段なかなかしないでしょうが、多かれ少なかれ私達もジルノルマン氏と陸続きの存在だということは思わずにはいられません。
そして、この「お前の親父がどんな人間だったかわしは知らない!知りたくもない!あいつのことは全然知らん!知らないんだ!」という言葉・・・。実はこれ、少し前のマリユスとうり二つであることに皆さんも気づかれたでしょうか。やはりこの祖父と孫は似ているのです。
前回の記事でもお話ししましたが、マリユスはジャン・ヴァルジャンの死に対しても同じことを繰り返します。その時も知ろうとすれば知れたはずなのに何もしませんでした。むしろ彼を悪人と決めつけ嫌悪すら催します。結局、マリユスの性格の深い所にはこの祖父ジルノルマン氏と同じものが根付いているのです。
「わしは知らない!知りたくもない!あいつのことは全然知らん!知らないんだ!」
でも、決めつけるのです。これが祖父ジルノルマンであり、マリユスなのです。
ああ、となるとコゼットに対する愛も雲行きが怪しくなってきました・・・。彼は本当にコゼットを見ているのでしょうか・・・。
まあ、このことについてはこの物語をじっくりと読んでいきながら考えていくことにしましょう。
さて、話は少し逸れてしまいましたが、こうした祖父の言葉に、ついにマリユスも爆発してしまいます。
「ブルボン家をぶっつぶせ!ルイ十八世の大馬鹿野郎をぶっつぶせ!」
これを言っちゃあおしまいです。
ジルノルマンは完全にキレてしまいます。
しかも、怒りで我を忘れるのではなく、いきなり静かになって真っ青になって体を震わせるのですからよほど危険です。
そしてついに「出ていけ」と叫びます。
こうしてマリユスは家を出ていくことになったのでした。
これがマリユスの一人暮らしの始まりの理由になります。
ただ、そうは言っても孫が大好きなおじいちゃんです。翌日になって頭が少し冷えたのか「マリユスに6か月ごとに600フランずつ送ってやりなさい」と叔母に伝えます。600フランは大金です。6か月であれば贅沢はできないかもしれませんが十分暮らしていけます。ファンチーヌが40フランを得るためにどれだけ葛藤したかを思い出して頂ければこの金額がどのようなものか想像できるかと思います。
ならマリユスは全然苦労せずに一人暮らしができたのかと思いきや、それがそうではないのです。
やはりマリユスも超頑固者。彼は一切このお金を受け取ろうとしませんでした。
こうして手持ちの30フランを残して、マリユスはパリの街路へと飛び出します。しかし、何処に行くかのあてすらありません。ユゴーもこの章のラストをこう締めています。
「マリユスはどうなるのだろう?」と。
そしてこの次のページからいよいよレミゼを彩るイケメンたちから成る「ABCの友」の話が展開されていきます。
つまり、マリユスがどうなったのかを知るためには「ABCの友」を知らねばならぬ。そうユゴーは言うのです。
続く
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