(18)仏像制作の始まり~有名なガンダーラ仏やもうひとつの発祥の地マトゥラーについて

『シン日本仏教史』(18)1世紀末から2世紀頃、仏像制作の始まり~有名なガンダーラ仏やもうひとつの発祥の地マトゥラーについて
紀元前2世紀頃よりサーンチーをはじめとした巨大なストゥーパの制作と仏教芸術が花開き始めたインド。

ですが、肝心の仏像はそれからしばらく経っても制作されることはありませんでした。その理由は諸説ありますが、当時のインドの文化からすると、偉大なる存在であるブッダを直接形どった仏像はタブー視されるようなものとして考えられていたということでしょう。
そのような状況がしばらく続き、紀元1世紀末から2世紀にかけてようやく仏像が現れてきます。ブッダが亡くなってからすでに500年近くが過ぎていました。
仏像の始まりとしてよく言われるのがガンダーラではありますが、実はもう一か所候補地があります。それがタージマハルのあるアグラからも近いマトゥラーという地になります。

ちなみに、かなりざっくりではありますが赤い丸で囲ったエリアがガンダーラです。

こちらが1世紀末頃から2世紀にかけて作られたマトゥラーの仏像。

そしてこちらがガンダーラ仏になります。マトゥラーがインド的で肉感的なものを感じさせるのに対し、ガンダーラはより写実的でシャープな印象を受けます。人種も明らかに違いますよね。
ただ、この両者、どちらが先だったのかというのは学術的にもまだ決着がついていません。とはいえどちらが先かはわかりませんが、「ブッダの姿を芸術化してはいけない」というタブーを打ち破ったという点で非常に画期的なことだったと言えます。ここから先、ストゥーパと並行して仏像製作が盛んになり、仏像への信仰も生まれてくることになります。
こうしてインドの仏教が仏像の存在により新たなステージへと展開していくのでありました。
ちなみにですが、ガンダーラとマトゥラー、なぜこの2地点で同時発生的に仏像が制作されたのでしょう。どちらが先かはたしかに学術上決着はついていないのですが、この2つの地にはある共通点があります。それは何かと言いますと、当時この2つのエリアを統治していたのがクシャーナ朝という王朝だったのです。
そしてそのクシャーナ朝の中でも特に有名なのがカニシカ王です。

カニシカ王は2世紀頃にインド西北部からやって来たクシャーナ朝の統治者です。全盛期のカニシカ王時代にはインダス川上流からガンジスの中流域の諸地方、サールナートやパータリプトラまで支配するという巨大国家でした。また、クシャーナ朝はローマなどヨーロッパとの交流もあり国際色豊かな文化を持っていたことでも有名で、その文化水準は極めて高かったとされています。
こうした国際色豊かなクシャーナ朝はローマ・ギリシャのヘレニズム彫刻の影響も受けることになり、それが花開いたのがガンダーラの仏像だと言われています。また、同じようにマトゥラーもクシャーナ朝の統治下だったためここでも独自に仏像制作が始められたのではないかとされています。
そしてここで重要なのはクシャーナ朝が仏像制作を始めたということだけでなく、それをインド社会も受け入れることができたという点です。
これまで禁じられていた仏像制作がタブーでなくなったということは、この時代にインド人の社会やメンタリティーに何らかの変化があったことがうかがえます。
おそらくその最たるものがローマとの交易でしょう。
紀元前2世紀頃からローマとインドが陸路だけでなく海路でも繋がるようになったのですが、紀元後1世紀になるといよいよそれが活発化していきました。そのため多くの商船がインドにやって来て交易をするようになったのです。しかもその規模はかなり大々的だったようで、西暦77年に『博物誌』を書いた老プリニウスが「毎年5億5千万セステルティウスの金がインドに流出している」と嘆いていたほどだったそうです。その証拠にインドでは大量のローマ貨幣が出土しています。ローマ人にとって香料や宝石、絹などのインドの物産は非常に珍しく、大金を払ってでも欲しい物だったようです。
というわけで当時のインドはすでにグローバルな社会に突入していました。
グローバルな社会になったということは、外部から様々なものや考え方が入ってくるということです。
その中には神々の彫刻やその製造法などもあったことでしょう。
ローマ帝国やギリシャといえば神々の美しい彫刻がわんさとありますよね。


私もこれらの彫刻を見て完全に心を奪われてしまいました。それはきっと当時の人達も同じでしょう。ローマ・ギリシャ世界においては神々の美しい彫刻はそれだけで人の心を虜にする力を持っていたことを身をもって知っていたはずです。
その彫刻の威力をインドの人々に伝えていたというのは大いに考えられます。「私達の国にはこんなに素晴らしいものがありますよ!」といった風にです。

さらに、この写真にありますように、その素晴らしい彫刻が持ち運び可能なサイズだった場合どうでしょう。ニケほどの巨大な彫刻であれば輸送は困難ですが、等身大くらいまででしたらはるばるインドに運ぶことも不可能ではありません。
こうした彫刻を見たインド人はどう思ったことでしょうか。
伝統墨守派の人からすれば相変わらず受け入れがたいものがあったかもしれませんが、今まさに交易で潤う新興商人たちはどうでしょう。仏教が受け入れられた背景をお話しした「(10)ブッダ教団の支援者は誰だったのか~宗教は宗教だけにあらず」の記事でもお話ししましたが、新興商人は新しいものの考え方を取り入れる余地があります。きっと彼らはこうした美しい彫刻の存在に心惹かれるものがあったのではないでしょうか。
こうしてインドに神々の彫刻を受け入れる素地が徐々に育まれ、受け入れる準備ができていたからこそ仏像制作が始まったのではないかと思われます。そしてこれはどちらか一方向の話ではなく、仏像を作る側、受け入れる側の相互作用の産物と言うことができましょう。
文化の伝播は「進んだ側から遅れた方へ」というイメージで考えられがちですが、実はそうではありません。受け取る側の準備ができているからこそ文化は伝わります。一概に一方向で文化が伝わっていくというわけではないのです。
これは日本の仏教伝来でも同じです。日本に仏教が伝来するのはここからさらに500年近く先の6世紀中頃です。その時の日本の状況はどうだったのか。このことも後に詳しくお話ししていきます。
仏教が伝来すると一言で言っても、そこには様々な背景があります。この記事では仏像制作の始まりを見ていきましたが、そこにも当時のインドの社会事情が関わっていました。国際的な文化を持つクシャーナ朝の支配やローマとの交流がなければ仏像制作は始まらなかった可能性が高いです。まさに「宗教は宗教だけにあらず」ということが言えましょう。
そしてこの1世紀頃、インド仏教におけるもうひとつの重大事が発生します。それが大乗経典の誕生です。実は同じ頃、仏像だけでなく大乗仏教も生まれていたのです。これはおそらく偶然ではないでしょう。インドにおいてやはりこの時期に何らかの巨大な変化が起こっていたのです。
続く
主要参考文献一覧
〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧
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