(61)恋の始まりは眼差しから!堅物マリユス、ついに恋に落ちる!

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(61)恋の始まりは眼差しから!堅物マリユス、ついに恋に落ちる!
第三部 マリユス 第六章 二つの星の出会い ⑷
会わなかった半年の内に急激な変化を遂げたコゼット。彼女はもはや「むさくるしい娘」ではなく、聖母マリアのような美女へと変貌していたのでした。
しかしそんなコゼットを見ても一向に関心を示さないマリユス。
ああ!一体どうしたら彼は恋に落ちるのでしょう!
ただ、前回の記事のラストでもお話ししました通り、事は思いのほかあっさりと起こってしまいます。早速その顛末を追っていくことにしましょう。
ある日、空気はなま暖かく、リュクサンブール公園は影と陽光にあふれ、空は今朝天使たちが洗ったかのように澄みわたり、マロニエの木立の中では雀が可愛い鳴き声を立て、マリユスは心をすっかり自然にゆだねて、何も考えず、ただ生きて、呼吸するばかりだった。例のべンチのそばにさしかかると、二人の目が合った。
そのとき、若い娘の眼差しには何があったか?マリユスにはそれを言い表わす言葉がなかっただろう。何もなく、そしてすべてがあった。不思議な光があったのだ。彼女は目を伏せ、彼は散歩をつづけた。
今見たのは、無邪気で単純な子供の目ではなく、ちらりとひらいて、またすぐ閉ざされた神秘な深淵だった。どんな若い娘にも、こんな眼差しで見つめる日がある。それを受けた人こそ、不幸である!(中略)
その晩、屋根裏部屋に帰ったとき、彼は自分の服に目をやって、自分の汚なさ、無作法さ、リュクサンブール公園を、「ふだん着」を着て散歩に行くなどという言語道断な馬鹿さ加減に初めて気がついた。そのふだん着とは、リボンのところまでつぶれた帽子や、馬車屋のはく無骨な長靴や、膝が白くなったズボンや、肱が薄くはげた黒い上着のことだった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P234-236
乙女の神秘な眼差し・・・!これがマリユスを撃ち抜いたのです!あの堅物マリユスをもってしても対抗不可の強力な一撃がそこにあったのです。
いやあ、それにしてもユゴーの語りは絶品です。さすが恋多き男、ユゴーです。詩人としての本領発揮と言えましょう。
そして上の箇所で「マリユスが恋をした」という直接的な表現をしていないというのも粋ですよね。彼が恋をしたということを、自分の身なりを気にすることによって読者に示しています。こうした文章の綾にも私は唸らずにはいられません。
さて、こうしてマリユスは恋に落ちました。
あの堅物マリユスを陥落させたのは恋する乙女の眼差しだったのです。
この第三部ではコゼット側からの視点は書かれていませんが、上のユゴーの語りを聞く以上、先に恋していたのはコゼットのようです。ミュージカルのように、たまたま二人が出くわしたその瞬間、双方が一目惚れしたという電撃的な恋とは違ったのでありました。
こう考えると、マリユスはコゼットが美人だから恋をしたのではなく、自分に好意を寄せてきたその眼差しに恋をし、そこからコゼット全体を熱愛するようになっていったと言えるかもしれません。
ミュージカルだけを見ると、「外見だけを見て二人とも恋をしたのではないか」と思ってしまうかもしれませんが、原作ではそうではなかったということです。美しくなったコゼットに関心を示さないマリユスをユゴーがわざわざ描いたのも、そういう意図があったからだと思われます。
単に美人だから好きになるというのはマリユスにはそぐわないのです。マリユスの名誉のためにも、その点は改めて確認したいと思います。
というわけで、彼はこれから毎日リュクサンブール公園におめかしをして散歩に出かけるようになったのでした。
ただ、堅物マリユスは相変わらずの女性恐怖症もありなかなか距離を縮められません。それに、そもそもジャン・ヴァルジャンが常に彼女の横にいるのでどうしようもありません。
とはいえ、彼女の姿を見るだけでも彼は天にも昇る気分になったのでした。
そしてある日、どうにも距離を縮めてこないマリユスに歯がゆくなったのか、コゼットの方から彼に近づいてきました。そしてヴァルジャンにばれないように、マリユスの方を見つめたのです。
若い娘は通りすぎ、通りすぎながら彼を見つめた。彼を物思わしげに優しくじっと見つめたので、マリユスの全身は戦慄した。長い間、彼女に近づかなかったことをとがめているように思われた。「わたしの方からまいりましたの」と言っているように思われた。
マリユスは光と深淵とにみちたその眼差しに目がくらんだ。頭が燃えあがるような感じだった。彼女が自分のそばに来た、なんという喜び!彼女は前に見たときより一層美しく思われた。女性と天使の美を兼ね備えた美しさ、ペトラルカが歌い、ダンテがひざまずく、完璧な美しさだった。青空のただなかを泳いでいる思いだった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P244
いかがでしょう。コゼット、なかなかのやり手ですよね!あの可憐で大人しい少女であった頃とはだいぶ違った印象です。このコゼットの不思議な自信については第四部でその種明かしがされますが、ウブすぎるマリユスにはとてつもないインパクトだったのでした。
ちなみにですが、この箇所に出てくるペトラルカというのはイタリア・ルネサンスの創始者として知られる大文学者です。

『デカメロン』で有名なボッカッチョが尊敬してやまなかった文学者がこのペトラルカで、彼がいたからこそルネサンス運動が始まったという、ヨーロッパ文学界最大の巨星でもあります。
しかも彼の生涯や作品がこれまた面白いのです!現代を生きる私たちが読んでもクスっと笑ってしまうようなユーモアが散りばめられていて、私も大いに楽しませてもらいました。
日本ではあまり知られていない人物ではありますが、ぜひぜひおすすめしたい文学者です。以下にそのおすすめ本を掲載しますので興味のある方はぜひご参照ください。


さて、話は少し逸れてしまいましたが、マリユスはコゼットの接近にすっかり舞い上がってしまいました。
姿が見えなくなるまで、彼女を目で追った。それからリュクサンブール公園を、狂人のように歩きはじめた。たぶんときどき独り笑いをしたり、大声でしゃべったりしたことだろう。夢みるような顔で、子守女たちのそばに行くので、どの子もこの人は自分に恋しているのだと思いこんだほどだった。
通りで彼女の姿がまた見つからないかと思って、彼はリュクサンブール公園を出た。
オデオン座のアーケードの下でクールフェラックに出っくわすと、「一緒に晩飯を食いに行こう」と誘った。二人でルソーの店に行って六フラン奮発した。マリユスはめちゃくちゃに食べた。ボーイには六スーやった。デザートのとき、クールフェラックに言った。「新聞を持ってるか?オードリー・ド・ピュイラヴォー(訳注 王政復古時代の左翼の代議士)がすごい演説をやったなあ!」
彼は恋に気が狂いそうだった。(中略)
クールフェラックは、翌日、キャフェ・ヴォルテールに昼食を誘った。マリユスはそこに行くと、前日よりもっとたくさん食べた。彼はすっかり物思いにふけっていながら、とても陽気だった。何かあればすぐ大笑いしそうなふうだった。自分に紹介されたある田舎出の男に、親しみをこめて抱擁したりした。学生がテーブルを囲んで、国家の金でソルボンヌの講壇で切り売りされるくだらない講義のことを論じていたが、やがて、話はキシュラーの辞書や韻律論の誤りや不備のことに落ちていった。マリユスは議論をさえぎって叫んだ。「だけど十字勲章をもらうのは、とてもいい気持だぜ!」
「こいつは変だぜ!」とクールフェラックは小声でジャン・プルーヴェールに言った。
「いや」とジャン・プルーヴェールが答えた。「あいつは真面目なんだよ」
実際真面目だった。マリユスは大きな情熱の生れる、激しく楽しい最初の時期にいたのだった。
眼差し一つの威力なのだ。爆薬が仕かけられ、発火の準備も済んでいれば、あとはしごく簡単である。眼差しが口火となる。
万事休すである。マリユスは一人の女を恋したのだ。彼の運命は今未知の世界に入りかけていたのだ。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P244-247
堅物マリユスが恋をした!
恋をしたことのない夢想家が恋をするとこうなってしまうのです!
彼の浮かれっぷりがこれでもかと描かれていますよね。読んでいるこちらが恥ずかしくなってしまいます。
それにしても、クールフェラックの言葉に対して「あいつは真面目なんだよ」と答えたジャン・プルーヴェールがいい味を出していますよね。「(51)ABCの友とは~レミゼを彩る若者たちについて」の記事でも見ましたように、彼は詩人です。詩人だからこそ恋に狂う彼の気持ちがよくわかるのです。
そして極め付きが「眼差し一つの威力なのだ。爆薬が仕かけられ、発火の準備も済んでいれば、あとはしごく簡単である。眼差しが口火となる。」からの「万事休すである。マリユスは一人の女を恋したのだ。」という流れですね。
格好良すぎです!ユゴーの言葉選びのセンスたるや!痺れますねこれは。
レミゼは物語展開のパワーだけでなく、こうした言葉そのものにも大きな魅力があります。これも原作ならではの味わいでありましょう。
続く
レミゼのおすすめ参考書一覧、解説記事一覧はこちら
「『レ・ミゼラブル』おすすめ解説本一覧~レミゼをもっと楽しみたい方へ」
「『レ・ミゼラブル』解説記事一覧~キャラクターや時代背景などレミゼをもっと知りたい方へおすすめ!」
「フランス革命やナポレオンを学ぶのにおすすめの参考書一覧~レミゼの時代背景やフランス史を知るためにも」
前の記事はこちら

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」目次と記事一覧ページはこちら
ミュージカルをもっと楽しむためにもおすすめです!

関連記事
