(17)「これはまた何の寝言だい?いや、君らは……貴族だよ!」~ラキーチンの名言が炸裂!

「カラマーゾフを読む」(17)「これはまた何の寝言だい?いや、君らは……貴族だよ!」~ラキーチンの名言が炸裂!
第二編 場違いな会合 七 出世主義者の神学生
さて、ゾシマ長老の言いつけ通りアリョーシャは院長たちが待つ修道院へと急ぎました。
そしてそれを待ち構えていたが如く現れたラキーチン。アリョーシャの読み通り、実際彼はアリョーシャを待ち構えていたのでありました。
そしてラキーチンはゾシマ長老を批判的に評します。同じ修道院に住む神学生でありながら、徹底的にゾシマをこき下ろすラキーチン。修道院といっても一枚岩でありません。そこには様々な人間がいます。ラキーチンはアリョーシャと違ってゾシマのことをよく思っていないようです。
このラキーチンによるゾシマ評もぜひ覚えておきましょう。同じ修道院内でもゾシマをこう悪く言う人間が外にもいて、修道院外でもこのような批判がなされているのが想像できます。
こうしてゾシマの置かれた状況をこうしてアリョーシャ以外の視点から見せてくれるドストエフスキーはやはりさすがです。
そして情報通たるラキーチンからアリョーシャと私達読者はドミートリイとフョードル、さらにはイワンが置かれたとんでもない状況の見取り図を示されることになります。
この流れも実に自然です。ラキーチンという人物がここにいてくれたおかげで私たち読者はこれから起こる惨劇の予兆を知ることができるのです。これもドストエフスキーの絶妙な配慮でありましょう。
しかもさすがドストエフスキー。アリョーシャに「どうして君はそんなに何もかも知っているんだい?なぜそんなに核心をもって言えるの?」と厳しく問わせます。これのおかげでさらにラキーチンは踏み込んだことまで語れるようになりました。
そして極めつきのセリフがこれです。
これはまた何の寝言だい?いや、君らは……貴族だよ!
新潮社、原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(上)』P197
これには痺れました・・・!なんと見事な一撃でしょう!
アリョーシャの「イワンが求めているのは金や、平安じゃないもの。ひょっとしたら、苦悩を求めているのかもしれないよ」という言葉に反応してのこのセリフだったのですが、どちらも真理を突いています。
アリョーシャの言葉もイワンの性格を実に正確に見抜いています。そしてそれをさらっと言ってのけるアリョーシャも含めて、ラキーチンはこんな憎まれ口を叩くのです。もちろん、ラキーチンの言葉もずばり本質を突いています。
当時のロシアは圧倒的な格差社会です。そんな苦労を身に沁みて感じている人間からすれば、「金や平安より苦悩を求めている」なんて言葉はそれは気分を害せずにはいられないでしょう。その怒りを直接的に言わないところに文学的な面白さがあります。このセリフは本当に見事です。『カラマーゾフ』全体を通してもトップクラスに印象に残っているセリフです。
そしてその後もラキーチンとアリョーシャのやりとりは続きますが、ひとつひとつ実に細かい描写が施されていることにお気づきでしょうか。まさに舞台演劇の台本を読んでいるかのように、事細かに二人のやりとりが記されています。ドストエフスキーはシェイクスピア的だとも言われますが、まさにそれがよく表れています。
また、ラキーチンには気の毒ですが、イワンが語ったとされるラキーチン評は実に的を射ています。ラキーチン自身思い当たる節があるからこそ余計腹が立つのでしょう。そしてイワンが言うような人物だからこそ先のゾシマ評が出てくるのです。こういう人間も修道院にはいるのです。
どこの世界、業界でもそうですが、ある程度大きな集団になれば様々な人間が集まってきます。残念ながら、どんなに理想を掲げても色々な人間がいる以上、一枚岩ではいられません。
前回の記事で法然と親鸞についてお話ししましたが、まさにその法然教団も様々な思想を持つ人間の集合体でした。法然というカリスマを慕う人々の寄り合い所帯ですからそれぞれ出自も思想も異なります。詳しくはここではお話ししませんが、世の中、人が集まればいろんな人がいるというのは私たちも大いに実感できますよね。理想通りにはいかないものです・・・。
『カラマーゾフ』はそんな私たちにも身近な人間模様が描かれています。そう考えるとこの小説が少し身近に感じられるのではないでしょうか。
続く
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