(11)古代インドの思想戦!ブッダ在世時の独特な宗教事情とは

『シン日本仏教史』(11)古代インドの思想戦!ブッダ在世時の独特な宗教事情とは
前回の記事ではブッダが生きた時代の時代背景をお話ししました。その記事の中でもお話ししましたが、仏教はブッダひとりの力で広がったわけではありません。時代がブッダを求めていたという社会的な要因も強力に作用していたのです。
そしてこうした時代背景において、ブッダと同じように独自の思想や宗教を世に問うた人達がたくさんいたということも前回の記事でお話ししました。
今回の記事ではそうしたブッダのライバルたちについてお話ししていきます。
ブッダの教えのどこが革新的だったのかを知るには他の教えと比べてみるのが一番です。
ただ、今回の記事でも難しい思想問題には踏み込まず、あくまでざっくりと思想の流れを追っていきますので気軽にお楽しみください。学術的に思想内容をかっちり見ていくことも大事ですがまずは歴史の大まかな流れを掴むことが先決です。
というわけで、まずはブッダ時代のインドの独特な宗教事情について見ていきましょう。
自由思想家「沙門」の登場
当時の主流はアーリア人の宗教たるバラモン教ということで、その国家運営や商業も体面上はバラモン教の世界観に基づき行われていました。
ですが前回の記事でもお話ししましたように、インド東部ではその力も比較的弱く、独自の宗教や思想を求める土壌が育ちつつあったのです。
そしてそこに現れたのが沙門(シラマナ)という人たちになります。沙門は従来のインドの宗教家バラモンとは異なる存在として現れてきました。では彼ら沙門はバラモンと何が違うのか、そのことについての解説を中村元著『思想の自由とジャイナ教』から見ていきましょう。
シラマナは従前からの精神的指導者である「バラモン」と相対するものであり、そののちシラマナとバラモンとはインド社会における精神的指導者の二大類型となった。(中略)
では両者の差異がどこにあるかというと、社会的にはバラモンはバラモンの家に生まれた人であり、その家の一員かつ後継者としてバラモン教の儀礼を相続し、尊奉している。
これに反してシラマナは、いかなる階級の人でもシラマナとなることができる。すなわち自分個人の決心でなることができる。
バラモンは旧来の伝統的思想の保持者であったが、これに対してシラマナは当時としては自由思想家であった。
バラモンは古来祭祀をつかさどり、呪術的な性質がいちじるしいが、これに対してシラマナは哲学的な知識をめざし、あるいは神秘的な瞑想静観に耽り、解脱を得ようとして精進した。
仏教の修行者たちはもともとシラマナであった。だから東アジアの仏教では仏教僧のことを「沙門」と呼ぶのである。
※スマホ等でも読みやすいように一部改行しました
春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第10巻 思想の自由とジャイナ教』P22-23
なるほど、こう見てみると、沙門(シラマナ)という存在がどのようなものだったかとてもわかりやすいですよね。
そして重要なのは、こうした新興思想家たちが弾圧されることなく自由に議論を交わすことができたという点です。当時の東インドでは特にその風潮が強く、王のお膝元で公開討論までさせていたということです。これはよくよく考えてみればものすごいことですよね。
先程も申しましたが、当時の主流はバラモン教ということで、その国家運営や商業も体面上はバラモン教の世界観に基づき行われていました。ですが沙門たちはそれに真正面から批判を加えます。これはもう「反体制派」と言っても過言ではありません。既存の秩序に対する明らかな挑戦です。普通は弾圧が行われてもおかしくはありません。世界の歴史上、こうした弾圧は幾度となく繰り返されてきました。
しかしその挑戦に対し体制側は弾圧の素振りも見せません。むしろそうした新思潮を歓迎するかのような姿勢でした。実際問題、これまでお話ししてきた通り東インドの王侯貴族や新興商人は既存の秩序を打破する新しい思想を求めていました。だからこそ無数の新興思想家を自由に活動させ、彼らに切磋琢磨させるよう場を整えました。こうして有能なライバルたちがしのぎを削る思想の戦国時代が幕を開けることになったのです。
そしてその戦国時代を生きた一人がまさに我らがブッダなのでありました。ブッダは彼ら無数の新興思想家や宗教家の教えと文字通り戦ったのです。
また、こうした思想戦というのは戦いでありながらも、相互に影響を与え合うという面もあります。
つまり、「あなたのその説は間違っているのではないか。私はこう思うのだが・・・」と相手に問う時、その時点で相手の思想内容を熟知していなければなりません。相手の思想を熟知してはじめて「私の思想は〇〇ではない」という自己規定が生まれてきます。極々簡潔に言うと、「あなたはこの世は快楽の世界だと言うが、私はこの世をそのようには思わない」という主張をするにはまず「この世は快楽の世界である」という定義内容をしっかり知っていなければならないということです。そしてその上で「私はそうではなく、この世は苦しみの世界である」と述べていくのです。
ぱっと聞いてみれば当たり前のことのように思えますが、実はこのことは見過ごされがちです。なぜなら、ブッダは圧倒的な存在で、自分一人で仏教を生み出したと考えられがちだからです。もちろん、ブッダは長い修行と瞑想によってこの世の真理を悟りましたが、それも無から生まれたものではありません。当時存在した様々な思想や宗教を摂取し、その思想戦の中でブッダは真理へとたどり着いたのです。ある意味、こうしたライバルたちの存在があったからこそ磨き上げられた思想でもあったのです。こうした意味でも、当時多数出現した沙門の意義は非常に大きなものであると言うことができるでしょう。
そしてこの沙門の中でも特に強い影響力を持ったのが六師外道と呼ばれる6人の思想家でした。「外道」と言いますと日本ではあまりいいイメージを持たれないかもしれませんが、ここではシンプルに「仏教の外の教え」という意味で用いられています。
次の記事ではブッダにも強い影響を与えたこの六師外道について見ていきましょう。
続く
主要参考文献一覧
〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧
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