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(4)護摩のルーツ、ヒンドゥー教の火の儀式プージャを体験!

プージャと護摩
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『シン日本仏教史』(4)護摩のルーツ、ヒンドゥー教の火の儀式プージャを体験!

18時半。一休みして英気を養った私は夜のプージャを観に行くために宿を出ました。日中に街を一回りしただけでショック状態に陥ってしまったものの、ハリドワールのメインはここから。ここでは毎晩メインガートにて祈りの儀式、プージャが執り行われます。これを観るのを私は楽しみにしていたのです。

と言いますのも、ヒンドゥー教の火の儀式プージャは仏教の護摩のルーツであると考えられています。私達日本人にも馴染み深い仏教の火の儀式のルーツがヒンドゥー教にあるのです。なぜヒンドゥー教の儀式が仏教の護摩のルーツになったかは後の記事で改めてご紹介しますが、ここではまずその儀式そのものについて皆さんに紹介していこうと思います。

さて、これより早速現地の様子をお伝えしていきましょう。

昼間より明らかに人が多いです。そして暗くなってきた分、より雰囲気があります。道行く人達からも何か独特な熱気といますか、高揚感のようなものが伝わってきます。

次の動画もプージャ前の熱気がよく感じられる一幕です。流れてくる掛け声に合わせて皆両手を上げ言葉を発します。儀式が始まる前からそれは始まっているのです。

そしてメインガート近くまでやって来るといよいよその混雑度合いも高まってきます。

ガイドさんの後ろに付き、少しずつ前の方に進んでいきます。

かなり前のエリアまでやってきました。すぐそばにはシートの上で靴を脱いで座っている団体が陣取っていました。色とりどりのサリーが目にまぶしい。そしてその中で引率者らしき男性が熱弁し、お金を集めています。この熱弁がまたものすごく、インド人の熱量をまざまざと感じることになりました。インド人の雄弁はつとに有名ですが、まさにさもありなんであります。

そして19時頃になり、儀式の開始を告げる音楽がかかり始めると皆一斉に立ち上がり、前の方へと押し寄せていきました。私もその勢いに飲まれ最前方付近まで押し流されてしまいました。押されている内は何が何だかわからなかったのですが、よく見ると足元は座席用のシートの上でありました。

「え?いいんですか?こんなとこにいて!しかも土足ですよ?」

「いいんです。気にしないで。こういうものなんです。ほら、皆そうでしょ?」

たしかに周りは人だらけでそんなことを気にしてる人など誰もいません。ですが、このシートの上に座っていた人達の靴はどこに行くのでしょうか・・・わかりません。ですが、そんなこと気にせず皆押しのけ押しのけで前までやってきます。ルール無視のカオス。そういうとこだぞインド人・・・・。

そしていよいよバラモン(宗教者)がやって来て目の前で火を焚き始めます。大音量で流れる音楽に合わせて彼らは燃える祭具を操っていきます。その動きはゆったりしていますが、荒々しい炎は有無を言わせぬ迫力があります。火の熱気や煙のにおいがこちらまで漂ってきます。

集まった巡礼者達も本気です。彼らも音楽に合わせ掛け声を発したり大声で歌っています。何という一体感!異邦人の私ですらそう思うのです。同胞のインド人達ならばその比ではない一体感を感じているのではないでしょうか。

そして私が度肝を抜かれたのはここからでした。プージャの音楽が終わり、儀式も終わろうかというその瞬間、どよめきのようなものを感じたのです。そしてその正体に私はすぐに気づきました。ここにいる大群衆が目の前で焚かれている火に向かって我よ我よと群がってきたのです!

見ての通り、火を焚いていたのはまさに川岸です。その川岸に向かってこの大群衆が押し合いへし合いのとんでもない修羅場を演じ始めたのです。一歩間違えればこの濁流にドボンではないか!これには私も面食らいました。

男性も女性も関係ありません。我先にとほんのわずかの隙間でもあれば身体をねじ込んできます。そして川岸までたどり着いた者はその神聖な火に手をかざして熱気を受け取り、それを自身の頭に沁み込ませるように大事に撫でつけていました。

こうして巡礼者達は自身の罪を清めるのです。ガンジスの沐浴で罪を洗い流し、さらに聖なる火によって身を清め、幸福な日々と来世を願うのです。堀田善衞の名著『インドで考えたこと』でインド人の「おっかない顔」について書かれていましたが、まさにこの修羅場の本気のインド人の顔は私にとっても「おっかないもの」でした。彼らがなぜここまで本気になれるのか、私は末恐ろしくなったのです。罪の自覚があるからなのか、はたまた幸福への飽くなき願望なのだろうか・・・今の私にそれを判断する余裕はありません。早くここから退散せねば・・・!

この大混雑を抜けて帰るのも難儀なものでした。まるで花火大会の帰り道です。しかもこれで雨季のオフシーズンということでかなり空いている方だといいます。乾季のピークシーズンはそれこそ全く身動きが取れなくなるほどだそうです。

それにしても、花火大会という年数度のイベントならまだしも、毎日がこれだというのですから何とも言えません。しかもこれがオフシーズンだというのだからなおさらです。ハリドワールという街は年中祝祭的な雰囲気の街ということなのでしょう。

さて、なんとか宿に戻ってきました。

思い返しても「あれは何だったのか」と問わずにはいられません。プージャの熱気に今も当てられてしまっています。

そして不思議なことにあのプージャの音楽が頭を離れないのです。今回初めて聴いたメロディーであったにも関わらずです。それほどキャッチーで忘れがたい音楽だったのでした。

この映像は翌日に撮影したものですが、より全体像が見えるかと思います。そして音楽もより聴きとりやすいのではないでしょうか。

そしてこれを聴いて皆さんも感じるのではないでしょうか。「たしかにインドらしいと言えばインドらしいが、ずいぶん現代的な音楽だな」と。

そうなのです。ここは古くからヒンドゥー教の聖地として有名ですが、この音楽は明らかに現代風です。しかもスピーカーで爆音で流されています。まるでライブ会場です。目の前には聖なるガンジス。建物群も日常を離れた宗教施設であり、火を使った儀式もエンタメ性が非常に強いと言えましょう。非日常の祝祭空間がこれでもかと演出されています。現代のライブコンサートもこうした非日常性や祝祭性を演出していることは周知の通りですが、ここハリドワールでも私はそれを強く感じたのです。

ですが、そもそもエンタメ性は現代のライブや演劇、ショーなどの専売特許ではなく、古代より人間は様々な場面でそれを活用し、楽しんできました。王の謁見やパレード、詩の朗読や演劇だけでなく、宗教儀式もその一つです。宗教の儀式や祭りは人々のそうした祝祭性を求める気持ちの受け皿ともなってきました。魅力的な祭式がない宗教は遅かれ早かれ衰退していくのが運命なのです。ここインドにおいて仏教が衰退しヒンドゥー教が栄えていったのも、このことと無関係ではないでしょう。インドの仏教はそうした祭式を重視しない傾向にあったのです。

それに比べ東南アジアや中国圏に伝わった仏教は各地の土壌と融合し、それぞれに特徴的な祭式を作り上げその地に根付いていきました。教えそのものの魅力は確かに宗教の根幹です。しかしそれだけではダメなのです。それだけでは決定的に足りないのです。ここハリドワールのプージャで、私はそのことを痛烈に感じたのでありました。

いずれにせよここのプージャが巡礼者に強烈な体験を与えているのは確かでしょう。遠路はるばる苦労してでもここに来たい。一生に一度はここに来たいと心の底から願っている人たちがここに集まってくるのです。そしてそのエネルギーがあの「おっかない顔」に集約されているのです。

プージャの異様な熱気に当てられヘトヘトになった私でしたが、これは何にも代えがたい刺激的な体験となったことは間違いありません。祭式の重要性を全身で体感したハリドワールの夜でありました。

続く

主要参考文献一覧

〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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