トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』~修道士の精神生活に巨大な影響!驚きの力強さ!ベルニーニも愛読した作品

ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック

トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』概要と感想~修道士の精神生活に巨大な影響!ベルニーニも愛読した作品

今回ご紹介するのは1441年にトマス・ア・ケンピスによって完成された『キリストにならいて』です。私が読んだのは1960年に岩波書店によって発行された大沢章、呉茂一訳の『キリストにならいて』2021年第45刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

トマス・ア・ケンピス(1379/80-1471)が自らの宗教体験から修道士たちの精神生活の完成のために書いた書。「霊の生活に役立ついましめ」「内なることに関するすすめ」「内面的な慰めについて」「祭壇の秘蹟について」の4章からなり、神への愛を欠く生のいかに空しいかを説く。世界中で聖書についで最もよく読まれた書物だという。

Amazon商品紹介ページより
トマス・ア・ケンピス(1379/80-1471)Wikipediaより

私がなぜこの人物に興味を持ったのかといいますと、ローマバロックの天才、ベルニーニがきっかけでした。

ベルニーニ(1598-1680)Wikipediaより

ベルニーニと言えばサンピエトロ大聖堂の内装やサンピエトロ広場の設計、ローマ市内の様々な噴水を手掛けた人物として有名で、ミケランジェロと並ぶ天才として知られています。当ブログでもこれまで彼について紹介してきました。

そんな中でも石鍋真澄著『ベルニーニ』でとても気になる文章があったのです。それがこちらです。

彼は一面で非常に世俗的な人間だったが、その生活は質素で、生涯熱心なカトリック教徒だった。朝は必ずミサに出席し、夕方にはイエズス会の総本山であるジェズまで歩いてゆくという習慣が四〇年間も続いた。またイエズス会の総長オリーヴァ師とは親密な交わりを持ち、彼自身イエズス会の指導でイグナティウス・デ・ロヨラの『霊操』を実践したともいわれる。

またパリに赴いた時にも、この『霊操』とトマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』を携えてゆき、パリの教会でもしばしば祈りを捧げた。またある時シャントルーがべルニーニを訪ねると、ア・ケンピスを読んでいた彼は、ローマでは毎晩息子や家族とともにこれを一章ずつ読むのだと説明し、それからサレスのフランチェスコの『献身的生活への導き』について、これは教皇が最も評価するすばらしい書物だと語っている(この本は一六〇九年に出版された俗人のための宗教書である。アレクサンデル七世は一六六五年四月一九日にこの本の著者を聖人の列に加えた)。

今日イエズス会の聖典であるイグナティウス・デ・ロヨラの『霊操』を一読してみても、我々には決して面白い書物とは思えない。けれどもべルニーニとバロック美術を理解する上で、それは貴重な示唆を与えてくれる。この書物において最も印象的なことは、「想像の眼」や「想像の耳」や「想像の手」を用いて「現場の設定、すなわち、場所を眼の前に現に見るように想像すること」を繰り返し鍛えようとしていることである。想像の五官を働かせて霊的世界に沈潜し、より深い宗教的境地に達しようとするこの書物の教えは、確かにべルニーニの作品に反映しているように思われる。
※一部改行しました

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ』P135-136

ベルニーニの圧倒的な表現力はイグナティウス・デ・ロヨラの『霊操』に大きな影響を受けているというのは驚きでした。ですが石鍋氏の、

『この書物において最も印象的なことは「想像の眼」や「想像の耳」や「想像の手」を用いて「現場の設定、すなわち、場所を眼の前に現に見るように想像すること」を繰り返し鍛えようとしていることである。想像の五官を働かせて霊的世界に沈潜し、より深い宗教的境地に達しようとするこの書物の教えは、確かにべルニーニの作品に反映しているように思われる。』

という言葉を聴くと、「おぉ、なるほど!そういうことか」と納得してしまいます。

イエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨラの瞑想法がベルニーニの独創的な作品に大きな影響を与えていた。

これは宗教を学んでいる私にとっても非常に興味深いものでした。

そして上の引用には今回ご紹介しているトマス・ア・ケンピスの『神にならいて』も出てきました。ベルニーニはローマにいるとき毎日この本を読んでいたようです。この作品が彼の精神形成に大きな影響を与えていたのは確かなようです。実際、ベルニーニは敬虔なカトリック教徒として知られていました。人格的にも優れていたことは石鍋氏の『ベルニーニ』からも伝わってきます。

であるならば、そんなベルニーニに大きな影響を与えた『キリストにならいて』を読んでみたい、そんな思いで私はこの本を手に取ったのでした。

前置きが長くなりましたが、トマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』は聖書についで最も多く読まれた書物とされる作品です。

この作品について訳者解説では次のように述べられています。

本書を貫く基本的な思想は、キリストの中に自らを隠して生きることである。トマスは、神の中に埋もれた生涯の貴さと美しさとを、この書物によって教えようとしているのである。それゆえ、もしもひとが何か役に立つことを知り、かつ学びたいと願うならば、他のひとから知られずにおり、ひとから何ものでもないと思われることを愛しなければならない。

すべての人間が脆く弱いけれども、かれ自らが最も脆く弱いものであることを悟らなければならない。この真実を知るものが、まことの知恵をもつものである。

「できるだけ人間の騒がしさを警戒せよ」とトマスが戒めたのは、実にこのためであった。かれの心に、ただ神のみが語りたまわんことを。これが、九十二年の生涯を貫くトマスの願いであった。すべての学者たちが黙することを。また神の前において、すべての被造物が黙することを。そうして、ただ神のみが、かれに静かに語りたもうことを。これが、三十一年の長い年月を費して書かれた本書を貫いて流れているトマスの根本的な思想であるといっても、差支えないであろう。本書が、聖書についで最も多くよまれた書物であるのは、このためである。
※一部改行しました

岩波書店、トマス・ア・ケンピス、大沢章、呉茂一訳『キリストにならいて』2021年第45刷版P277

『キリストにならいて』というタイトルの通り、トマス・ア・ケンピスはキリスト者としての生き方はどうあるべきかを語っていきます。この本は次のような言葉から始まります。これがとても印象的でしたので引用します。

1 私に従うものはやみの中を歩まない、と主はいわれる。このキリストのことばは、もし本当に私たちが光にてらされ、あらゆる心の盲目さを免れたいと願うならば、彼の生涯と振舞とにならえと、おしえるものである。それゆえキリストの生涯にふかく想いをいたすよう、私たちは心を努むべきである。

岩波書店、トマス・ア・ケンピス、大沢章、呉茂一訳『キリストにならいて』2021年第45刷版P15

まさに『キリストにならいて』という言葉そのものですよね。そしてケンピスは次のように続けます。少し長くなりますが重要な箇所なのでじっくり読んでいきます。

2 キリストの教えは、聖徒たちのすべての教えに優る、彼の精神を守るものは、その中にかくされているマナを見つけるだろう。けれども、たまたま、福音をいくたびも聞いていながら、キリス卜の精神をもたないため、それに対しわずかなあこがれをしか感じない者が多い。それゆえキリストのことばを十分によく味わい理解しようと思うものは、自分の全生活を彼に従わせるよう努むべきである。

3 もしもあなたが謙遜を欠き、従って三位一体(の意)にかなわないなら、三位一体について高遠な論議をしたところで、何の益があろうか。まことに高邁なことばが、聖徒や義人を作るものではなくて、徳のある生活が人を神に愛されるものとするのである。私は悔恨の定義を知るよりも、悔恨の情を感ずることのみを選ぶ。たとえ聖書のすべてを外面的に知り、あらゆる哲学者のいったことを知るとしても、神の愛と恵みとがなければ、その全てに何の益があろう。神を愛し、それだけに仕えること、それ以外は、空の空、すべてが空である(伝道・一の一)。この世を軽んずることによって天国に向かうこと、これが最高の知恵である。

4 それゆえ、いずれは亡ぶべき富を求め、それに望みをおくのは、空しいことである。また名誉を求め、高い地位に登ろうとするのも空しいことである。肉の望みに従い、後でそのために重く罰せらるべきものを乞い願うのは、空しいことである。長い生を望みながら、よい生について心を用いることが少ないのは、空しいことである。この世のいのちについてのみ、気を使い、後の世のことにあらかじめ用意しないのは空しいことである。いと速かに過ぎ去るものを愛して、かしこ、永遠のよろこびの続くところに急いで往かないのは、空しいことである。

5 かの諺をしばしば憶い返すがいい。眼は見るものに満足せず、耳はきくものにみたされない(集会書・一の八)。それゆえあなたの心を、見えるものへの愛着から引きはなし、見えないものに移すように努めなさい。何となれば、自己の官能の欲に従うものは、良心をけがし、神の恵みを失うからである。

岩波書店、トマス・ア・ケンピス、大沢章、呉茂一訳『キリストにならいて』2021年第45刷版P15-16

「私は悔恨の定義を知るよりも、悔恨の情を感ずることのみを選ぶ。たとえ聖書のすべてを外面的に知り、あらゆる哲学者のいったことを知るとしても、神の愛と恵みとがなければ、その全てに何の益があろう。」

この言葉は深く胸に刺さるものがありました。抽象的な言葉の定義云々を議論するより、それを感じているかどうかが問題ではないかと彼は言うのです。

また、4の言葉では「空しいことである」という言葉が繰り返されますが、ここで語られることはまさに「諸行無常」を説く仏教とも繋がるものがあるのではないでしょうか。

そしてこの本を読んで最も心に残った言葉がこちらです。

死の後に、誰があなたをおぼえていよう。また誰があなたのために祈ろう。おこないなさい、今おこなうのだ、最愛の(わが魂)よ、することのできるどんなことでも。なぜというと、あなたは自分がいつ死ぬかも知らず、また死後何が自分を待っているかも知らないのだから。その機会をもってるうちに、滅びない富を積み上げなさい。身の救い以外は何も考えるに及ばない。神のことだけに意を用いなさい。神の聖者たちを敬い、彼らの行ないをならうことによって、今彼らをあなたの友としなさい(ルカ・一六の九)。この世の生涯を終えたときに、彼らがあなたを永遠の幕舎に迎え入れてくれるように。

岩波書店、トマス・ア・ケンピス、大沢章、呉茂一訳『キリストにならいて』2021年第45刷版P56

「おこないなさい、今おこなうのだ」

「その機会をもってるうちに、滅びない富を積み上げなさい。」

なんと力強い言葉でしょうか・・・!私はこの言葉を読んで鳥肌が立ちました。

この作品の持つ力強さには衝撃しかありません。この本がこれだけ世界に影響を与えたのもわかる気がします。ここまで力強さを感じる本はなかなかありません。

他にもご紹介したい言葉がたくさんあるのですが、ぜひそれはこの本を読んで確かめて頂けたらなと思います。

ベルニーニとのつながりから読んだこの作品でしたが素晴らしい読書になりました。僧侶としても非常に刺激を受けた作品になりました。

以上、「トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』~修道士の精神生活に巨大な影響!驚きの力強さ!ベルニーニも愛読した作品」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME