水木しげる『総員玉砕せよ!』水木しげるの戦争体験を描いた傑作漫画

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水木しげるの戦争体験を描いた傑作漫画!水木しげる『総員玉砕せよ!』

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今回ご紹介するのは1973年に水木しげるによって発表された『総員玉砕せよ!』です。

私が読んだのは講談社より1995年に発行された『総員玉砕せよ!』2013年第22刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

昭和二十年三月三日、南太平洋・ニューブリテン島のバイエンを死守する、日本軍将兵に残された道は何か。アメリ力軍の上陸を迎えて、五百人の運命は玉砕しかないのか。聖ジョージ岬の悲劇を、自らの戦争体験に重ねて活写する。戦争の無意味さ、悲惨さを迫真のタッチで、生々しく訴える感動の長篇コミック。

講談社、水木しげる『総員玉砕せよ!』裏表紙

前回の記事でもお話ししましたが、私は水木しげるが戦地に出征し、そこで左腕を失っているという事実を全く知りませんでした。そしてその戦争体験を基に作品を書いていたことも初めて知ったのでした。

今回ご紹介する『総員玉砕せよ!」はまさしく水木しげるの戦争体験をストレートに描いたものになります。

作品の内容に入る前に、巻末解説で水木しげると戦争について書かれた箇所がありましたのでそちらを読んでいきたいと思います。

一般に水木氏は、妖怪マンガ家、諷刺マンガ家として広く知られ評価されている。

もちろん、それはそれで間違いではないが、私は、戦記マンガ家としての水木氏の業績がもっと注目されてもいいと思う。

日本のマンガ文化は戦後間もなく花開き、その後急速に発展し、今や世界に冠たる隆盛ぶりである。大家、巨匠と呼ばれるマンガ家も数多いる。ところが、わずか五十年前に国の基盤を根底から覆す戦争があったというのに、その実態をキチンと描いた作家はほとんどいない(小説や詩歌、演劇、映画の世界では数え切れないほどいるのに!)。日本の軍隊を内側から描いたマンガ作品も、水木氏の諸作品を除けば、寡聞にして私は知らない。

水木氏はまさに、最底辺で戦争を体験した当事者の一人として、この平和ボケした日本マンガ界で孤軍奮闘してきたのである。(中略)

生き地獄にも似た戦場での体験がなければ、墓場から蘇ってくる鬼太郎のようなキャラクターは生まれるわけがない。もっともらしい価値観をあざ笑い、徹頭徹尾自分のために生きようとするねずみ男も創造し得ない。

水木しげるは何よりも、不条理な玉砕を生き延びたマンガ家なのである。

講談社、水木しげる『総員玉砕せよ!』P362-362

前回の記事でもお話ししましたが、水木しげるは戦争における強烈な体験をしています。

そして戦前、戦中の必死の読書によってその思想が形成されていたのでありました。私たちは水木しげるというとまず『ゲゲゲの鬼太郎』を思い浮かべます。しかしそこから先、水木しげるがどんな人生を送ってきたかはあまり見ることがありません。私自身もそうでした。しかしこの漫画を読むことで水木しげるが体験した壮絶な戦争の有り様、そして戦争の悲惨さを目の当たりにすることになります。

この作品についての解説を引き続き見ていきましょう。少し長くなりますが重要な点ですのでじっくり読んでいきます。

水木氏はこの作品に対して「九十パーセントは事実です」と言っているが、それはこの物語が、ニューブリテン島のズンゲン(本文中ではバイエン)で水木氏本人が所属した成瀬大隊(本文中では田所支隊)の命運をほぼ忠実にたどっているからだ。ただし、参謀が指揮した二度目の玉砕というのは現実にはなかった。実際は、二名の将校が自決させられた後、残った将兵たちは玉砕を覚悟しつつも次の戦闘がなかったために生き延び、無事に終戦を迎えたのである。

また、水木氏自身は最初の玉砕にも参加していない。というのも、成瀬大隊の不完全な玉砕事件があった一九四五年(昭和二十年)三月には、水木氏はラバウル近郊の傷病兵部隊で療養生活を送っていたからである。その前年の六月、マラリアで寝込んでいた時に空爆を受け、左腕を吹き飛ばされて後方に移送されていたのだ。

従って『総員玉砕せよ!』の構成は、前半が水木氏(本文中では丸山二等兵)の体験した成瀬大隊の日常、後半が負傷した水木氏がいなくなってからの支隊の実話、ということになる。そして、最後だけ二度目の玉砕があったように作り換え、そこにマボロシの水木(丸山)二等兵を配置した……。

結果から言えば、これはみごとな脚色だった。水木氏の戦記マンガにはそれまで、実体験に裏打ちされた短編群(『敗走記』など)と、発掘した史実に基づいた短編群(『白い旗』や『レーモン河畔』など)があったが、唯一の長編『総員玉砕せよ!』は従来の二つの方法論を巧みに組み合わせ、ラスト・シーンを思い切ってフィクション化することにより、〝事実を超える事実〟を描くことに成功したのである。

講談社、水木しげる『総員玉砕せよ!』P360-361

この作品はほぼ史実でありながら最後の結末だけがフィクションとなっています。ただ、読んで頂ければわかるのですがこのラストシーンはなかなかにショッキングです。思わず息を呑んでしまうほどでした・・・

この作品でまず水木氏は、愛着をこめ、しかし決して感情に溺れることなく、戦地での兵隊たちの日常の姿を淡々と描く。

登場するのは、善良だったり小ずるかったり猥雑だったり小心だったり居丈高だったりバ力正直だったりするごく普通の下級兵士たちである。彼らは日本本土から四千六百キロも離れた前線にいるというのに、〝大東亜共栄圏建設〟も。〝七生報国〟も関係なく、目先のことのみ考えて日を送っている。

なぜならそれ以外の生活は許されないからだ。多少とも現状に疑問を感じたり、上官に質問したり口答えしたりすると、「ビビビーン」と殴り倒される。質問や口答えをしなくても殴られる。理由もなく殴られることが常態なのだ。しかも、身近に〝死〟がある。運んでいた丸太の下敷きになり、川に落ちてワニに食べられ、魚を取りに行きロに魚を詰まらせ:……。戦局とはおよそ無縁な犬死のような死である。

そんな彼らに、年若い支隊長が「死に場所を得たい」と決意したため、玉砕せねばならぬ運命が襲ってくる。水木氏は、支隊長と中隊長の対立や師団司令部の思惑などを織り込みながら、視点はあくまで一般兵の位置に据え、冷静に物語を悲劇へと導いて行く。

無謀なバンザイ突撃が敢行された。だが、多数が生き残ってしまう。しかしひとたび玉砕した部隊は二度と存在することを許さないのが日本の軍隊だった。司令部から派遣された参謀は、将校二名を自決させ、敗残兵たちに再度の玉砕命令を下す。

最後の突撃を前に兵隊たちがやり切れぬ思いで合唱するのは『女郎の歌』だ。私はなんでこのような、つらいつとめをせにゃならぬ……。巻頭で従軍慰安婦と兵隊が和して歌った哀歌が、全編を通じての基調低音となって切々と響く。そして水木氏は玉砕後のファンタジーを提示する。何のために死んだのかわからないボロ切れのような兵士の屍体が累々と横たわるファンタジー、すなわち水木氏の知っている戦争の実相を……。

『総員玉砕せよ!』は、わけのわからぬまま戦場に放り込まれ生死をさまよった一兵卒として、水木氏がどうしても描き上げねばならない作品だった。一九四六年(昭和二十一年)に復員した水木氏は、原形となる『ラバウル戦記』を四九年からワラ半紙に描き始めるが、それは氏が貸本マンガ家になる七年も前のことである。マンガ家になって数十編の短編戦記マンガを手掛けた後、満を持して世に問うた本格的長編が本作品だったのだ。

講談社、水木しげる『総員玉砕せよ!』P361-362

この作品の特徴はやはり、普通の人間が戦場に送られ、そこでどういう日々を送っていたのかにスポットを当てた点にあります。戦場の不条理を主人公の丸山を軸に見ていくことになります。丸山は水木しげる自身をモデルにしただけあって、普通の人とは違い、醒めた目で周りを見回しています。しかしそんな彼も上官の命令や戦場の論理に抗うことはできません。次々と彼は不条理な世界に巻き込まれていくことになります。

そして上官の精神論によってなされる無謀な玉砕攻撃。しかも一度その命令が下ったら生還することは許されません。生きて帰ることは重大な軍規違反であり、裏切り者として扱われ、自決を迫られます。

そしてそんな命令を出す人間はのうのうと安全なところで高みの見物です。

こうした人の命を何とも思わない玉砕攻撃が繰り返されていたのでありました。

私は以前、戦争の悲惨さを学ぶために独ソ戦について様々な本を読んでいました。その中でもキャサリン・メリデール著、松島芳彦訳『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』という本でまさにソ連軍の人海戦術、特攻攻撃について書かれていた箇所がありました。

ソ連軍も一歩たりとも後退することは許されず、それを破ったら問答無用で射殺するという軍規があり、多くのソ連兵が味方の処刑によって死亡しています。Youtubeに何の映画かはわかりませんが、おそらく独ソ戦の戦闘と思われるシーンでまさしく「ウラー!」の叫び声と共に突撃する映像がありましたのでこちらに引用します。かなりショッキングな映像なのでご注意ください。

ソ連軍においても人を人とも思わぬ玉砕攻撃がなされていたのでした。

普通の人間が戦地に送り込まれ、人間性を失うまで戦わされ、無残にも死体が積み重なっていく・・・

独ソ戦を学んでいた時、「これは独ソ戦に限らず、戦争とはこういうものなのだ。国や時代を問わず、これは起こりうることなんだ。日本だってこうした事実とは無縁ではいられなかっただろう・・・」と私は感じていました。

そうした思いがこの『総員玉砕せよ!』を読んでいて改めて強く浮かんできました。

「戦争はいけない。平和は大事だ」

これはほとんど誰しもが思うことです。

ですが、そう思っていても実際に起こるのが戦争であり、そこに巻き込まれたらもう逃げ場はないのです。

だからこそ単に「戦争はいけない。平和は大事だ」という言葉で終わるのではなく、それが起こるメカニズムや歴史を学び、その予兆が起きたらいち早く気づき、戦争に向かわないよう私たち自身が動いていかなければなりません。

太平洋戦争を描いたドラマや物語は無数にあります。しかし、そのほとんどが被害者としての日本を描いたものです。

ですがこの作品は加害者とまではいかなくとも、戦地へ赴き実際に戦った人間達の物語です。しかも心を鼓舞するような英雄的な物語でもなく、涙をそそるような悲劇の物語でもありません。水木しげるは戦争のありのままを描こうとしました。そこにあるのは戦争の不条理さ、無意味さだけです。私たちと同じ普通の人間がそこに送り込まれ、何の意味があるかもわからずに地獄のような日々を生き、そして無残にも死んでいった物語です。

戦後75年が経ち、当時の経験を知る方がこれから先さらに少なくなっていきます。そして世界はコロナ禍だけでなく、いつ戦争が起こってもおかしくない緊張状態にあります。私たちは戦後、平和を生きてきたかのように思っていますが、独ソ戦や冷戦社会のことを学んでから改めて考えると、それは紙一重のバランスで保っていた均衡に過ぎません。いつ何が起こるかなんて誰にもわからないのです。だからこそ歴史に学び、戦争の悲惨さ、人間性を失っていくその過程をしっかりと学んでいかなければならないのだと私は思います。

Twitterで知り合った方に薦めていただいたご縁で読んだ『総員玉砕せよ!』でしたが、非常に心に残った本になりました。水木しげるさんがどのような過去を背負って生きていたのかを全く知らなかった自分が少し恥ずかしくなりました。『ゲゲゲの鬼太郎』を見る目もきっと変わったと思います。

この作品は漫画で書かれていますので、誰にでも手に取りやすい本となっています。戦後75年が経過し、コロナ禍で大混乱の今だからこそ大切にしたい1冊だと私は思います。非常におすすめです。

以上、「水木しげる『総員玉砕せよ!』水木しげるの戦争体験を描いた傑作漫画」でした。

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