独ソ戦中のスターリン スターリン伝を読む⑸

ソ連とドストエフスキー

独ソ戦中のスターリン スターリン伝を読む⑸

引き続きサイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。ここからは下巻となります。

兵士を強制的に戦わせる政令の制定

スターリンはドイツ軍が南部地域で開始した大包囲作戦に怯えていた。そして、恐怖心を鞭として赤軍兵士を戦わせようとする苛烈な法令な制定した。

開戦の第一週にスターリンが発したNKGB命令第二四六号は、兵士が捕虜となった場合はその家族も処罰するという内容だったが、今回はこの軍事命令を政令として公布した。悪名高い政令第二七〇号である。

スターリンはこの政令の制定に当たって、モロトフ、ブジョンヌイ、ヴォロシーロフ、ジューコフに署名を求めた。何人かはその場にいなかったが、それでも賛成の署名をしたことになった。

それが、結局のところ、ボリシェビキの伝統的なやりかただった。政令第二七〇号は数百万人の無実の兵士とその家族の命を奪うことになる。その中にはスターリン自身の家族も含まれていた。
※適宜改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、染谷徹訳『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち〈下〉』P45

独ソ戦が始まり、強力なドイツ軍に対抗するためにスターリンはある政令を制定します。それが上記のNKGB命令第二四六号と政令第二七〇号でした。

これによりソ連兵は政府に自分の家族を人質に取られたと同等になります。家族を殺されたくなければ戦え。逃げたらお前も家族も皆処刑する。死ぬまで戦わず敵の捕虜となった時も家族を逮捕する。だから死ぬ気で戦え。

こうしてソ連は兵士を戦地に送り続けていたのでした。

イワン雷帝伝を読むスターリン

ストレスはスターリンの身体にもこたえ始めた。急な老け込みは隠しようがなかった。今や「背丈が縮み、疲れ果て、頬がこけたスターリンは……昔日の眼の輝きを失い、声の張りもなくなっていた」。

フルシチョフは「骨と皮」のようになったスターリンを見て仰天した。凍るように寒い日、アンドレーエフが娘のナターシャを連れてクレムリンの中庭を散歩していると、ただ一人胸壁に沿って歩くスターリンの姿があった。

例によって薄着で、手袋もせず、顔は寒さのために蒼白だった。スターリンは暇な時間があると歴史書に読み耽った。この頃に出版された新版『イワン雷帝伝』の余白には「この人こそわが師」とか「いずれわれわれが勝利する」などの書き込みがある。当時のスターリンの気分はスパルタ風の蛮勇とヒステリックな悲鳴との間を揺れ動いていた。
※適宜改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、染谷徹訳『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち〈下〉』P75

前回の記事でも出てきましたがスターリンは自分を16世紀の専制君主イワン雷帝になぞらえていました。

イワン雷帝も圧倒的なカリスマと暴君ぶりで国を治めロシアの国力を強力にしましたが、その反動か精神的にかなり不安定な人間でした。どれくらいものすごい揺れ動きだったかというと、口論でかっとなり最愛の息子を殴り殺してしまうほどの癇癪持ちでした。

スターリンも精神的にかなり不安定な人間となっていましたが、こうしたところもイワン雷帝を好んでいた理由のひとつだったのかもしれません。

反撃するソ連軍の地獄絵図のごとき復讐

大戦の終盤、独ソ戦の形成が逆転し、ソ連軍がドイツ軍を押し返し始めます。

第二べラルーシ方面軍と第三べラルーシ方面軍が東プロイセンになだれ込んだ。東プロイセンはドイツ本土である。狂乱の復讐が始まった。

数ケ月間に二〇〇万人のドイツ人女性が強姦された。ロシア兵たちはドイツ人女性だけでなく、ナチスの強制収容所から解放されたばかりのロシア人女性にも襲いかかった。

スターリンはこの件をほとんど気にもかけず、ジラスに向かって言った。

「もちろん君もドストエフスキーは読んだことがあるだろう?それなら、人間の魂がいかに複雑なものか分かるはずだ……愛する家族を失った兵士たちがスターリングラードからベオグラードまで、戦友の死体を乗り越えて戦い、敵の攻撃で荒廃した祖国の惨状を数千キロにわたって眼にした時の気持ちを想像してみたまえ。彼らは通常どのように反応するだろうか?このような恐ろしい体験の後で女性と少しばかり楽しみたいと思っても不思議ではなかろう?」

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、染谷徹訳『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち〈下〉』P216-217

この箇所を読んでみなさんはどう思いましたか?

これが戦争の現実なのでしょうか・・・

だとしたら、もし今戦争に巻き込まれたらこうした復讐のやり合いが繰り返されることになるのでしょうか・・・あまりに恐ろしすぎるとしか言いようがありません・・・

そしてスターリンがドストエフスキーをどのように捉えていたかもここから見えてきます。彼は非道な行為を正当化するためにドストエフスキーを利用していました。ドストエフスキーはたしかに人間の闇を描きました。ですが彼はそれを肯定するために書いたのでしょうか?私はそうは思いません。

しかし、ドストエフスキーの意図はどうあれ、現実にスターリンが彼を利用したという事実は動きません。このことはこれからドストエフスキーと付き合う上でも忘れてはならないことだと思います。

広島への原爆投下とスターリン

一九四五年八月六日、アメリカは広島に原爆を投下した。獲物を取り逃がすことを恐れたスターリンは即座に対日参戦に踏み切った。

しかし、広島の惨状はトルーマンの警告をはるかに上回る衝撃をもたらした。その日、クンツェヴォに遊びに来ていたスヴェトラーナは、「全員が忙しそうに駆けまわっていて、誰も私をかまってくれない」と不満を言った。

「戦争は野蛮なものだ」とスターリンは感想を漏らしている。「だが、原爆は度を越えて野蛮だ。しかも、原爆を使用する必要などなかったのだ。日本の敗北はすでに決まっていた!」

スターリンはヒロシマの真の狙いが自分にあると確信していた。「原爆による脅迫、それがアメリカのやり方だ」(中略)

「ヒロシマは全世界を揺るがした。均衡は失われた」とスターリンは一同に告げた。「だが、アメリカの思い通りにはさせない」。今や、スターリンは核開発プロジェクトに最高度の重要性があることを理解していた。

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、染谷徹訳『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち〈下〉』P254

原爆投下に対してスターリンがどう言ったかというのは非常に興味深いですよね。

そしてスターリン自身が「原爆は度を越えて野蛮だ。しかも、原爆を使用する必要などなかったのだ。日本の敗北はすでに決まっていた!」と言っているところも見逃せません。この直後にスターリンは慌てて北方領土に向けて侵攻してきます。戦争に負けるということは、そういうことなのだと痛感されます・・・

続く

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