『戦争と読書 水木しげる出征前手記』~知られざる水木しげるの姿と『ゲーテとの対話』のつながり

ドイツの大詩人ゲーテを味わう

水木しげる 荒俣宏『戦争と読書 水木しげる出征前手記』概要と感想~知られざる水木しげるの姿と『ゲーテとの対話』のつながり

今回ご紹介するのは角川新書より2015年に発行された水木しげる、荒俣宏『戦争と読書 水木しげる出征前手記』です。

早速この本について見ていきましょう。

水木しげるが徴兵される直前に人生の一大事に臨んで綴った「覚悟の表明」。そこにあったのは、今までのイメージが一変する、悩み苦しむ水木しげるの姿。太平洋戦争下の若者の苦悩と絶望、そして救いとは。

Amazon商品紹介ページより

この作品は水木しげるが出征前に書いた手記と、それを基に荒俣宏がその手記の背景と、戦前、戦中、戦後の青年たちがどのように読書していたのかということが語られます。

そもそもこの本を読むまで私は水木しげるのことを『ゲゲゲの鬼太郎』以外ほとんど知りませんでした。まさか戦争に出征してそこでの体験から様々な作品を書いているとは思ってもいませんでした。

ここで水木しげるのプロフィールを改めて見ていきましょう。

水木しげる(みずき・しげる)

本名武良茂。漫画家。1922年(大正11年)生まれ、鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地ラバウルに送られ左腕を失うも、九死に一生を得る。戦後、紙芝居作家になり、貸本漫画家を経て、少年誌にデビュー。代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』など。紫綬褒章、旭日小綬章を受章、文化功労者。2007年フランスで仏語版「のんのんばあとオレ」が日本人初の最優秀漫画賞を受賞。

角川新書、水木しげる、荒俣宏『戦争と読書 水木しげる出征前手記』より

彼のプロフィールを初めて見た時は驚きました。まさか戦地で左腕を失うほどの負傷をしていたなんて・・・

そうした悲惨な戦争体験があったからこそ次の記事で紹介する『総員玉砕せよ』などの戦争を題材にした作品を書いていたことがこの本を読んでよくわかりました。

出征前の手記を読むと、どれだけ水木しげるが心の中で悩み苦しみ、迷い、葛藤していたかがわかります。その揺れ動きが戦争下で生きる青年の心を私たちに伝えてくれます。

そして個人的にこの本で私が最も興味深いなと思ったのは当時の青年たちが何を求め、どこに心のよりどころを持とうとしていたのかということをこの本で語っている点でした。

この本では水木しげるの手記を基に、共著者荒俣宏が当時の時代背景を解説していきます。

かつての日本の青年たちの読書熱は今とは比較にならないほど熱烈なものでした。皆が宗教書や哲学書、古典、名作などの難しいものをひたすら読みふけっていた時代があったのです。読書人口が減りつつある現代では想像もできないですよね。

水木しげるも手記の中で次のように述べています。

読書は吾を救ふてくれた。
世に文字なかりせば吾は今頃如何なるものとなつていたか。
思へば読書は恩人である。教師である。吾に於ては、正に唯一の教師であつた。否、教師でありつつある。
吾はもつとゝよくならねばならぬ。それには、常に十字架上のような心を持つことが必要だ。

角川新書、水木しげる、荒俣宏『戦争と読書 水木しげる出征前手記』P57

この本では、当時の青年たちがなぜそんなにも読書に熱を持っていたのか、そこから解説していきます。そこには時代のうねりが深く関わっていました。「目がつぶれるほど本が読みたい」とまで願う読書人がいた時代だったのです。「目がつぶれるほど本が読みたい」・・・そこまでの熱い気持ちを持って私は本を読んでいるだろうか。本がたくさんあって、読みたいものを読める環境を当たり前だと思っていないだろうか。当時の人たちは、ものが少ない中でそれこそ人生をかけて読書をしていたと思うとその熱い気持ちに頭が下がらざるをえませんでした。こうした先人達の姿を知って、「私ももっと熱くならねばならない。いや、熱くなるんだ!」と感じたのでした。

そしてその解説の中でエッカーマンの『ゲーテとの対話』の話も出てきます。水木しげるはこの作品を戦地にまで持っていくほど愛していたのでした。

水木しげるがなぜ『ゲーテとの対話』にそんなにも惹かれたのか、それをこの本ではじっくりと解説してくれます。これも非常にわかりやすく、ゲーテを学ぶ上でもとても参考になりました。

最後に、この本の帯について少しお話しさせて頂きます。

水木しげるは戦争の現実や悲惨さを作品で描いています。そして2枚目の最後の「時は権力の時代だ。独ソ戦を見よ」という言葉が私に強烈に響いてきました。

私は今年の冬からソ連の歴史を学び、そして独ソ戦についての本を読んできました。

独ソ戦の悲惨さはそれこそ巨大すぎてまさに想像を絶するものでした。人を人と思わぬ絶滅戦争。戦争のために国民を権力の下強制的に徴用し、それに従わないものは容赦なく裏切り者として粛清される時代でした。

上の「私達日本人が今あえて独ソ戦を学ぶ意義ー歴史は形を変えて繰り返す・・・」の記事でもお話ししましたが、私たち日本人は太平洋戦争と言うとどうしても被害者としての日本を思い浮かべてしまいます。その記事で述べたことをここで改めて引用します。

日本が戦った太平洋戦争については様々なドラマや映画、ドキュメンタリーが作られているのでメディアを通じて私たちはその流れをなんとなく知っています。

ですがこの「なんとなく知っている」というのが厄介で、これがあるが故に第二次世界大戦全体への関心が薄れてしまうのではないかと思います。もし日本が戦った太平洋戦争についてほとんど知らなかったのなら「あの戦争とは何だったのだろう」という関心が生まれてくるだろうからです。そしてその流れで第二次世界大戦全体の流れも知らざるをえなくなってきます。

ですが「なんとなく知っているが故に」、学びがそこで止まってしまうのです。ドラマや映画、ドキュメンタリーで見た太平洋戦争のイメージで止まってしまうということが起ってしまうのです。

被害者としての日本。玉砕し、原爆を投下された日本。戦争に苦しむ日本人。平和を奪われた生活・・・

私たちはどうしても自分達日本に感情移入してしまいます。日本側の目線に立ってしまいます。どんなに気を付けても日本に対して中立ではいられません。好悪何かしらの感情から逃れることができません。

だからこそ独ソ戦を学ぶ意義があるのです。

想像を絶するほどの規模の戦いとなった独ソ戦は戦争の本質をこれ以上ないほど私たちの目の前に突き付けます。そしてその戦争に対して第三者的な目線からその歴史を学ぶことができるのです。もちろん、完全に中立な眼で見ることは不可能です。しかし当事国であった日本の戦争よりもはるかに距離を保った視点で戦争を学ぶことができるのです。

なぜ戦争は起きたのか。戦争は人間をどう変えてしまうのか。虐殺はなぜ起こるのかということを学ぶのに独ソ戦は驚くべき示唆を与えてくれます。私自身、独ソ戦を学び非常に驚かされましたし、戦争に対する恐怖を感じました。これまで感じていた恐怖とはまた違った恐怖です。ドラマや映画、ドキュメンタリーで見た「被害者的な恐怖」ではなく、「戦争そのものへの恐怖」です。

戦争がいかに人間性を破壊するか。

いかにして加害者へと人間は変わっていくのか。

人々を戦争へと駆り立てていくシステムに組み込まれてしまえばもはや抗うことができないという恐怖。

平時の倫理観がまったく崩壊してしまう極限状態。

独ソ戦の凄まじい戦禍はそれらをまざまざと私たちに見せつけます。

もちろん太平洋戦争における人々の苦しみを軽視しているわけではありません。

ですが、あえて日本から離れた独ソ戦を学ぶことで戦争とは何かという問いをより客観的に学ぶことができます。

「戦争の本質とは何か」という問いを独ソ戦を通して学ぶことで何が生まれてくるのか。

それは「日本における戦争とは何だったのか」、「今の日本はどういう状況なのか」という問いです。

日本が戦った太平洋戦争とは何だったのか。なぜ戦争は起こってしまったのか。戦争中日本は何をしたのか。

独ソ戦を学んでから改めて日本の戦争を考えてみるとこれまでとは違ったものが見えてくるのではないでしょうか。

私達日本人が今あえて独ソ戦を学ぶ意義ー歴史は形を変えて繰り返す・・・より

水木しげるの出征前手記や『総員玉砕せよ』を読んで私は独ソ戦を学んで感じたことと重なることを感じました。戦争状態においては人間は変わってしまうこと。平時の倫理観は吹っ飛ぶこと。そして一旦そうしたシステムに巻き込まれれば逃げられないこと。

水木しげるはそうしたことを作品に余すことなく描いています。次の記事で紹介する『総員玉砕せよ』はその最たるものです。ものすごい作品です。戦争とは何か。ただ「平和は大事だから戦争はいけない」と言うだけとはまるで違う衝撃があります。「なぜ戦争はいけないのか」、そのことを痛烈に考えさせられます。目を背けたくなるようなこともたくさん出てきますが今こそそうした現実に向き合うべきなのではないかと私は強く感じました。

『戦争と読書 水木しげる出征前手記』は得るものの多い素晴らしい一冊でした。水木しげるをはじめとした青年たちが当時何を思い読書していたのか、そして彼らはどんな思いで戦争時代を生きていたのかを垣間見ることができます。非常におすすめです。

以上、「水木しげる 荒俣宏『戦争と読書 水木しげる出征前手記』知られざる水木しげるの姿と『ゲーテとの対話』のつながり」でした。

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